3.風の誘惑-8
(サーカス団の団長の娘…)
考えてみれば、俺は武来のことを何も知らなかった。
ただ、好きだと自覚して、その気持ちだけで武来と接していて。
武来のことを知れた喜びの方が大きかった。
サーカス団の団長の娘。
たまに出演している。
女友達がいない寂しい奴。
それでも飄々と男友達を作り、学校生活を送っている。
俺と同じ数学科Ⅰ類。
共通点があり、若干嬉しくなる。
数学科の試験は4種類ある。
物理を除けば、現代文、古文、英語、化学。
その4つが苦手科目。
それから、男相手でもみんなを和ませる力。
武来は、俺のことをいろんな雑誌で調べてくれている。
俺のことをよく見て、些細な変化も見逃さずに的確に声を掛けてくる。
相手を知らずに惚れて。
知ったらまたさらに惚れて。
もっと知りたいという気持ちが出てくる。
「なんか、ほっこりするなぁ。お前ら。」
「…何だよ?ほっこりって。」
「見てたら笑顔が自然と浮かんでしまう。」
「見るなよ。俺だってどうすればいいか、まだ分からねぇのに。」
「…え?何の話?」
「「!!」」
突然背後から現れた綺羅に、二人して動揺する。
「…颯汰、何か悩んでるの?」
「…別に。それより、俺はインターハイまで集中したいと言っただろ。何しに来た?」
「…会いに来てもダメなの?」
「会いに来ても構えねぇと言ってるんだよ。余計なことを考えずに集中したいってこと。」
「…余計って…何よ?私が余計だっていうの?」
「バスケもろくに知らねぇ奴がうろちょろしてたら邪魔だと言ってるんだ。部員のためにもならねぇよ。」
「…部員の前じゃなきゃいいんでしょ?帰り送ってよ。」
「……………」
「それならいいでしょ?」
そう言いながら右方向を向いた。
必然的に俺は綺羅の左頬を見る。
傷痕を、俺に見ろと言ってる。
奴隷……だと。
穏やかだったさっきまでの自分が嘘のよう。
チクチクとした痛みに変わり、それからイライラしていく自分が分かる。
「…分かったよ。校門で待ってろ。後で」
「綺羅!お前…正気かよ!!」
「!?」
「孝太郎!やめろ!!」
「颯汰!…止めるな!颯汰!」
「やめろ!綺羅!もう行け!早く!」
(こいつが泣いてしまう!)
怒鳴るように叫ぶと、綺羅は走って出ていった。
綺羅が傷痕を見せるとバラしてからの再会。
俺の言ったことを確認すると、逆上する孝太郎など分かっていたのに。
綺羅の胸ぐらを掴み、殴ろうとした孝太郎を必死で止めた。
「こんなの……こんなのねぇよ!」
「孝太郎。…いいんだ。」
「なんで…なんでもっと早く気付けなかったんだ俺は!!」
「孝太郎…」
「そこまで苦しんで何になるんだよ!」
堪えていた涙がとうとう溢れだした。
自分が気付いてやれなかった悔しさ。
そして、綺羅への憎悪。
俺の気持ちを理解できる苦しさ。
そのすべてが入り交じった涙。
俺のために涙を流してくれる親友は、後にも先にも孝太郎だけだろう。
「…ありがとな。」
「何言ってるんだよ!アホか!」
「なんでだよ。お前が俺の親友で良かった。」
「なぁ颯汰…もうやめよう?な?俺、見てられねぇよ。」
「見なくていいよ。俺と綺羅のことは俺たちの問題だ。見てもどうしようもない。」
「…颯汰…」
「何度も言ってるだろ?俺が決めたことだから。お前が苦しまなくていいんだ。ごめんな孝太郎。泣かせてしまって悪かったよ。」
「なんで…お前が謝るんだよ……」
大きな体育館で、鼻を啜る音が響く。
いつもは活気に溢れている場所。
涙の種類も全く違う。
勝利の嬉し涙か。敗北の悔し涙か。
そのどちらでもない涙を、しかも親友に流させてしまった俺の罪。
涙の止まった孝太郎は、無言のまま体育館を出ていった。
その背中は、思った以上に苦しませたことが分かるように、丸く肩を落としていた。
「…ねぇ…さっきの何?」
「別に。お前に関係ねぇだろ。」
「…いたっ……ちょっと!!」
「うるせぇな。俯せになれよ。」
「は?何……やだ!颯汰!」
お決まりパターン。
送れ→ヤれ。
(もううんざりだ)
そう思いながらも、この前抱いた時から、随分と自分の心に変化があったので、こいつの顔さえ見たくない。
それでも言われるがまま、愛のないセックスを繰り返す俺。
こんなこと、絶対に武来に知られたくない。
こんな情けない俺を。
言われることしかできない俺を。
「クソ…早くイけよ。インハイ前でピリピリしてるのに付き合ってやってるんだ。」
「…や……あっ…颯汰…」
「だから一時構わないでくれ。頼むから。」
「…やだ!」
「……………」
「……わ……分かったから!…止めないで…」
男を揺さぶるようなテク。
一体誰に習ったんだか。この淫乱女が。
…本気でキレそうになる。
こうして抱いてる間も、全く違う人間を考えているのに。
それが手に入れられない悔しい。
その思いを届けられなくて苦しい。
でも好きだから切ない。
「……ハァ…ハァ…ハァ……」
やっと屍が出来て。
家に帰って直ぐに風呂に入った。
汚れた自分を清めるように。
まとわりつく綺羅の匂いを消すように。
「…はっ……バカバカしい……」
それでも拭えない汚れた自分。
(……会いてぇな……)
翌日の授業は、ほぼ上の空。
こんなの、今流行りの恋愛シュミレーションゲームにでも出てきそうな感じだし。
バスケ以外のことを考えて、ボーッと空を眺めるなんて、いつ以来だろう?
しかも女のことなんて。
綺羅に会った1時間。
たったそれだけで、俺をイラつかせる達人。
そして、それを払拭できる達人も知っている。
…ただ、会いたい。それだけ。
会えば必ずあの笑顔に迎えられるから。
それで癒されるから。
「あーーー!!テメェ!どこ蹴ってるんだよ!」
「だってサッカーなんてやったことないもん!」
「!!!」
開けた窓の外から、聞き覚えのある声が聞こえて、ドクン!と胸が高鳴った。
グラウンドでサッカーをしている1年。
その中に、武来が元気よく走り回ってる。
「手でもったらダメ?」
「ダメに決まってるだろ!」
(……プッ!バカだあいつ)
それでも可愛く思う俺は、終わってるな。
そして、心が少し癒されてる気がして。
「……ああああ!!美作くん!!後藤くん!!」
「何だよ?いきなり!」
「見てみてーー!!夏目先輩がいるよ!」
「うわ!やめろ!授業中だぞ!!」
「…おおーーい!夏目先輩!!こっち見てー!」
………ゴンッッ!!!
思わぬ発言。机に頭を打ち付けた。
クラス中にも聞こえたのか、クスクス笑われて、しまいには
「…夏目。手でも振ってやれ。」
と、教師にまで言われる始末。
「気付かない!もういっちょ!」
「武来!やめろって」
「夏目先輩!!好きだー!付き合えー!!」
「誰が付き合うかーーー!!!……あ。」
「わーい!気付いた!でもフラれた!」
(…クソ…後で覚えてろ…)
叫んで答えた俺にクラス中爆笑されて。
恥ずかしい思いで席に座った。
俺たち二人は、既に名物コンビになっていて、誰もが容認して見ている感じ。
それもまた、嬉しくも恥ずかしい。
「やってくれるよな!勇ちゃん!ワハハ!」
「先輩、2年の教室まで聞こえてましたよ!」
「多分、全校生徒に聞かれてますって!」
「…もういい…なんか慣れてしまってる自分が情けねぇ…」
部活に行くと、その事で話の花が咲く。
かなり恥ずかしさの方が増してくる。
「でも、武来ちゃんもめげないよな。」
「そうそう。先輩は彼女いるってのに。」
「知ってんのかな?あいつ。」
「先輩、三宅先輩の話はしたんですか?」
「初期段階でな。」
「知っててやってるんだ!スゲェ!」
「彼女には負けないとか叫んで逃げたけど。」
「マジっすか!!」
「あーー!もう!この話は終わりだ!ダッシュから始めるぞ!3年!いけ!」
武来の話をされると、俺まで頭の中が武来でいっぱいになる。
別に嫌じゃないが。
切り離す時間がなければ、俺自身がどうにかなりそうになる。
「!」
その時、柔らかい風が揺らいだ。
密閉された体育館。
蒸し暑いのに、爽やかになる。
目を上げると、夏の光の中から姿を見せた。
いつものような尻尾頭ではない。
揺れる髪が、キラキラ輝いている気がした。
「あ!噂の的発見!!」
「武来ちゃーん!!大胆告白聞いたぞ!大胆なフラれっぷりも!」
「盗み聞きしましたね?」
「全校生徒知ってるから!!」
「それより髪下ろしたんだ?そっちのが可愛いよ!」
「あらやだ!私の髪は夏目先輩だけのものですよ!口説かないで下さい!」
「自意識かじょーー!!アハハ!」
(可愛いより綺麗)
言いたいことも言えず。
会話を聞きつつ、心の中で呟いた。
休憩時間になると、いつものごとく水場に集まる部員たち。
その輪の中にいる武来の姿。
風に揺れる長い髪に、魅入られる。
「……颯汰?大丈夫か?」
「大丈夫じゃない。」
「どうした?」
「…孝太郎…髪だけでここまで女の印象は変わるものなのか?」
「…あー、勇ちゃん?そっちのが可愛いよな。大人って言うか、綺麗だよな。」
「俺は…心が狭いよ…」
「何?またヤキモチ?」
「認めるよ。あんな姿誰にも見せたくない。あんな笑顔を向けるのも俺だけにって思ってる。」
「……颯汰……」
「なのに、俺は自分を出すことも、あいつの願いを叶えてやることも出来ずにいる。どうしようもないバカな男なんだ。」
綺羅だけじゃない。
俺は、綺羅のせいにして、自分で自分を殺している。
それに慣れてしまった今、どうやって接したらいいかも分からない。
好きなのに。
こんなに好きなのに。
あいつも好きだと言ってくれるのに。
「あ、夏目先輩!お疲れ様です!」
「……ああ。」
だからと言って、武来が来なくなれば、会いたいという気持ちも、声だけでも聞きたいという願いもあるくせに。
「先輩!授業中に目が合って嬉しかったです!もう!運命って感じに思えちゃって!!」
「……………」
揺れる髪から甘い香り。
それが俺を刺激する。
「先輩って、授業中の真剣な横顔」
「…武来。しつこい!」
「…………え?」
「邪魔だ。迷惑なんだよ。」
「……………」
……しまった……!
そう思ったときには遅かった。
「…颯汰!…ゴメンね?勇ちゃん。こいつ、インハイ前でちょっと気が立っててさ!」
空かさず孝太郎がフォローを入れてくれたが、武来は俺から目を離さず、どこか観察されていて。
いつか見た、寂しそうな、柔らかい笑顔を見せると、無言でその場を去った。




