第0088話 逆暗号の符号
街の石化を止めた翌日、探偵たちは再び酒場〈四葉亭〉の扉を開いた。
柔らかい光が差し込む室内には、昨日の戦いを知る常連客たちの安堵した笑顔があった。しかし探偵の目は、依然として落ち着かない。
「やれやれ……こんなに早く平穏が戻るわけじゃないと思ってたけど、案外あっけないものね」
アシュレイは笑いながらも、探偵に真剣な視線を向ける。
「次は、絶対に一人で抱え込まないでよ」
その時、酒場の扉が大きく開いた。
赤い外套を羽織った青年――没落貴族の依頼者が、血で封印された古びた契約書を抱えて入ってきた。
「お願いです……この契約を解いてください」
彼の声は切羽詰まっており、額には冷や汗が滲んでいた。
探偵はゆっくりと頷き、卓にその書を置かせた。
アシュレイが眉をひそめる。
「血の契約……? 聞いたことあるけど、普通の人間には扱えないはずよ」
マリーベルは杖を握り、興味津々に覗き込む。
「ふふん、力を得られるってことかしら。面白そうじゃない」
アリアは顔を曇らせ、涙ぐんだ。
「でも命と引き換えにするなんて……怖すぎる」
契約書を広げると、そこには赤い文字で奇妙な符号が並んでいた。
探偵は慎重に指をなぞり、文字の形を確認した。
「……逆暗号と同じ起源だ」
ライネルが眉を寄せる。
「どういうことだ?」
探偵は低く説明する。
「街を石に変えた暗号と同じ術式が使われている。誰かが歪めたせいで、契約の代償が本来の持ち主ではなく、周囲の人間に及ぶようになっている」
その瞬間、酒場の奥に黒い影が滑り込む。
「ふん、まさかここで会うとはね」
姿を現したのは、ドルグだった。
彼はにやりと笑い、契約書を狙うように視線を走らせる。
「お前の正義感には呆れるな。だが、その契約、私の手に渡ればもっと面白いことになる」
ライネルが剣を構え、シルヴィアは素早く身を翻してドルグの動きを封じようとする。
マリーベルが杖を掲げ、炎を灯す。
アリアは震える手で祈りを捧げた。
探偵は彼らを制し、契約書に視線を戻す。
「冷静に。まずは術式を理解することが先決だ」
深夜、依頼者は契約を果たすために血を差し出そうとしていた。
円陣の中心で、逆暗号の符号が浮かび上がる。
その場で声に出して読めば、周囲の者が石になる仕組みだ。
探偵は息を整え、暗号を一つずつ正しい形に戻して読み始めた。
「……『逆・枷を解く者は、命を賭す覚悟をせよ』」
光が夜空を裂き、契約の円陣を包む。
依頼者は恐怖で体を震わせたが、探偵の言葉に導かれ、静かに血の手を下ろした。
円陣が光を失い、空気が重く沈む。石化の波も、血の契約も止まった。
しかし、その代償として依頼者は自ら命を絶たねばならなかった。
アシュレイは泣きながら青年を抱きしめ、仲間たちは静かにその場を見守った。
探偵は胸の中で誓う。
「犠牲を無駄にしない。この契約の裏に潜む黒幕を、必ず暴く」
酒場に戻る道すがら、夜風が頬を撫でた。
街の灯りは優しく揺れ、石化の恐怖は一時的に消え去ったが、彼らの冒険は、まだ序章に過ぎなかった。




