第0080話 十五年前の犠牲
鐘の音が、深夜の町に鳴り渡った。
教会の鐘ではない。もっと湿り気を帯び、胸の奥を震わせるような響きだった。
四葉亭に集った者たちは、その異様な気配に言葉を失った。
「……呼ばれている」
アリアが顔を上げた。
窓の外、月光を裂くように赤い靄が漂いはじめている。
まるで血を霧に変えたかのような色彩だった。
ライネルは立ち上がる。
「儀式だ。奴らが動いた」
彼の暗い声に、他の三人も即座に反応した。
マリーベルは火花のように杖を握りしめ、シルヴィアは舌打ちをしながら短剣を腰に差す。
依頼人は蒼ざめ、椅子にしがみついた。
「……やめて……あの音は、あの霧は、十五年前と同じ……!」
「十五年前?」
シルヴィアが鋭く問い返すが、依頼人はそれ以上言葉を紡げない。
四人は外に出た。
町の路地はすでに血の霧に包まれていた。
石畳が濡れて見え、空気は重く粘りつく。
吸い込めば肺の奥が焼け、吐き出す息は熱を帯びている。
「くっ……ただの霧じゃない」
マリーベルが呻く。
「魔法の構造を持ってる。……魂を吸ってるのよ」
通りのあちこちで人々が倒れていた。
その顔は安らかだが、呼吸は浅く、声をかけても目を開けない。
まるで生きたまま夢に囚われたようであった。
「誰が仕掛けた……?」
ライネルの問いに答えるように、鐘の音が再び鳴る。
音は町はずれの古い礼拝堂から響いていた。
四人は血の霧をかき分けて進む。
視界は五歩先も霞み、背後で足音がすると誰かの影と紛れる。
不意に、別の足音が追いすがった。
「やはり先を越されたな」
黒い外套をまとった男――探偵ドルグである。
「血の霧の儀式か。これを生き延びた者は少ない」
「なら帰れ」
ライネルが剣を抜くが、ドルグは口の端を吊り上げただけだった。
「お前たちが死ぬなら、その真実は俺が拾う」
やがて礼拝堂に辿り着く。
赤い霧はここを中心に渦を巻いていた。
扉の隙間から、赤い光が脈打つように漏れ出す。
中では、フードをかぶった導師が円環の中心に立っていた。
床に刻まれた紋様は血で描かれ、そこから絶え間なく霧が溢れている。
「ようこそ、探偵たち。血は記憶をつなぐ。霧は命を奪う。
十五年前の犠牲は、今宵ようやく完成する」
「十五年前……!」
依頼人の叫びが蘇る。
仲間たちは顔を見合わせ、真実が過去にあると直感した。
だが考える暇もなく、導師は手を掲げた。
霧が蠢き、無数の赤い手のように伸び、彼らを捕らえようとする。
「逃げるな!」
ライネルが盾を振るい、赤い手を弾く。
マリーベルが炎の魔法を放つと、霧は一瞬後退するが、すぐに濃さを増して迫ってくる。
シルヴィアはその隙をつき、影の中を駆け、導師に迫った。
だが導師の足元からは石の蔦が伸び、彼女の足首を絡め取る。
「ちっ……!」
彼女は短剣で斬り払うが、切った端から石は増殖していく。
アリアは必死に祈りを唱えた。
「光よ、この血を浄めて……!」
淡い青の光が霧を裂き、一瞬、空気が澄む。
その隙間から導師の足元が見えた。
「……足だ……!」
ライネルの瞳が鋭く光る。
「奴の弱点は、足にある!」
導師はわずかにたじろぎ、霧が不規則に揺れる。
だが次の瞬間、鐘の音が轟き、礼拝堂の壁が震えた。
血の霧はさらに濃く、町全体を覆い尽くそうとしていた。
彼らは知っていた――
この儀式を止められなければ、町も、依頼も、そして自分たちの命さえ失われる。
しかしまだ、謎は解かれていない。
依頼人の過去、十五年前の犠牲、不吉な雨とのつながり。
すべては霧の向こう、地底へ続く道に隠されていた。




