第0074話 背後にある事情
四葉亭の夜は深く、窓の外では霧雨が街灯の光をぼんやりと滲ませていた。
店内の灯は赤い炎を残すだけで、残り火が揺らめき、天井の梁に影を落とす。
卓の上の封書は、四人の間に置かれたままだ。ライネルが指先で軽く触れたその紙には、過去を示唆する文字が書かれていた。
――「逆、生まれたのが男児か女児かを知らせる合図。」
意味が即座に理解できる者はいなかった。ただ、依頼人の視線がその紙を追うとき、胸の奥の痛みがちらりと覗く。彼女の瞳には、失われた記憶と、封じられた過去が一瞬だけ垣間見えた。
「……どういうこと?」
シルヴィアが手を叩き、冗談交じりに問いかけるが、その声にはわずかに震えが混じっていた。
マリーベルが腕を組み、厳しい目で紙を見つめる。
「文字の意味は理解できる。だが、この背後にある事情を解かねば、赤子も依頼人も守れないわ」
アリアは小さく息を吐き、指先でカップを撫でながら言った。
「……これは、依頼人の家族の歴史に関わること……。
誰かが赤子を守るために、意図的に合図を逆にしたのかもしれません」
ライネルは無言で頷き、思案する。
彼の心は、底知れぬ穴を覗き込むような重みを帯びていた。過去に救えなかった人々の顔が脳裏をよぎる。もしも今回も失敗すれば、誰かを傷つける――その責任は、間違いなく自分たちにある。
そのとき、酒場の扉が再び開き、冷たい夜風と共にドルグが入ってきた。
黒衣の男は一瞥もくれず、静かに卓の封書に視線を落とす。
「なるほど……封書の中身はこれか」
彼は指先で紙をなぞり、口元に薄い笑みを浮かべた。
「やはり、過去に触れる鍵はここにある。
しかし、真実を知るのは俺だけだ。君たちに分かるか?」
シルヴィアが舌打ちをする。
「真実を独占したいだけでしょ!
なんでいつもこう、あんたは人を惑わすのが好きなんだ」
ドルグは笑みを深め、低く言う。
「混乱は、真実への近道だ」
その言葉に、酒場の空気が一層重くなる。
依頼人の顔色が青ざめ、彼女の過去に触れることの恐怖が、
その微かな震えとなって卓に伝わった。
ライネルは静かに立ち上がる。
「俺たちは、赤子と依頼人を守る。そのために、真実を追う。
お前の挑発など気にしない」
言葉の重みは、四人の心に灯をともした。
マリーベルの炎のような瞳も、アリアの寂しげな指先も、
シルヴィアの軽口も、すべてが戦う意思に変わる瞬間だった。
ドルグは一歩退き、低く唸る。
「ふん……では、見せてもらおう。お前たちの探偵としての腕をな」
その声が、赤い残り火に反射して揺れた。
酒場の中に漂う緊張は、やがて嵐の前触れのように、四方へと広がる。
依頼人の過去は、封書の文字に端を発する。
だが、その背後に潜む陰謀と謎の糸は、まだ解かれぬままだった。
四葉亭の夜は、静かでありながら、次第に深い闇を孕んでいく。




