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第0073話 封書

四葉亭の暖炉は、夜の深まりと共に火を落とされ、薄暗がりの中で赤い残り火だけが静かに明滅していた。杯を傾ける酔客の声もまばらになり、酒場は昼間の喧噪が嘘のように沈んでいる。探偵たちが腰を落ち着ける隅の卓には、緊張の糸だけが残っていた。


 ライネルは腕を組み、石のような沈黙を守っていた。土の気配をまとった男の頑なさは、彼の影そのものを重くし、会話の端々に石畳の冷たさを持ち込む。

 一方、シルヴィアは椅子を逆さに跨ぎ、頬杖をつきながら、わざとらしく欠伸をしている。「退屈だねぇ、待つだけってのは。依頼人は口を割らないし、ドルグはこっちを見張ってるしさ」

 マリーベルは鋭い眼差しで火の粉のように言葉を投げた。「退屈だなんて言ってられないわ。あのドルグの態度、どう考えても裏に何か隠してる。こっちを挑発して、情報を引き出そうとしてるんじゃない?」

 アリアは寂しげな眼差しで杯を撫でながら、小さな声を落とした。「……依頼人もまた、隠している気がする。過去に触れられたくないもの……。それを抱えている顔だった」


 そのとき、四葉亭の扉がきしみを上げ、重い外気とともに現れたのは、噂通りの影だった。

 黒衣に包まれたドルグ――その目は夜の沼を思わせる濁りと鋭さを兼ね備え、場の空気をひと撫でで変えてしまう。彼は音もなくカウンターに近づき、短く店主に囁いた。聞き取れない言葉。だが、その直後に差し出されたのは一通の封書だった。


 「何の用だ、ドルグ」

 ライネルが低く唸るように声をかける。

 ドルグは唇の端を歪め、視線を横切らせた。「お前たちが嗅ぎ回っている依頼――それに関わる記録だ。だが、ただでは渡さない。俺は依頼人の“本当の顔”を知っている。知りたいか?」


 シルヴィアが軽く笑って応じる。「ただでくれるって性分じゃないのは知ってるよ。で? 見返りは何さ」

 「単純なことだ」ドルグの声は低く、長く息を止めている者のように淀みを含んでいた。「依頼人を庇うのをやめろ。俺に引き渡せ。そうすれば、お前たちは余計な血を浴びずに済む」


 沈黙が卓を覆った。マリーベルの拳が卓を叩き、火花のように響く。「ふざけないで。あんたの汚れたやり口に従うくらいなら、炎で全部焼き払った方がマシだわ」

 アリアが慌てて彼女の腕を押さえる。だがその瞳は確かに揺れていた。依頼人の過去に、何か血の匂いがあるとすれば――ドルグの言葉は虚妄ではないのかもしれない。


 ドルグは封書を卓に置き、挑発的に肩をすくめて踵を返した。去り際に一言だけ残す。

 「合図を待て。あり得ぬことが起きたとき、それが証になる」


 その言葉の余韻だけが、赤い残り火のように酒場に漂った。

 誰も封書を開けようとしない。ライネルは石のように唇を結び、シルヴィアは無理に冗談を言おうとして失敗し、マリーベルは怒りを火種に抱え、アリアは寂しげな指先で杯を握りしめていた。


 やがて、封書を開く役を担ったのは主人公だった。

 封蝋を割り、紙を広げると、そこにはただ一行の言葉が走り書きされていた。


 ――「逆、生まれたのが男児か女児かを知らせる合図。」


 読んだ瞬間、四人の視線が主人公に集まった。誰も意味を理解できない。だが確かに、それは依頼人の過去を抉り出す“鍵”のように思えた。


 酒場の静けさが、いっそう重苦しいものへと変わっていく。

 外では風が吠え、まるで見えぬ穴へと世界全体が吸い込まれていくようだった。

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