第0048話 砂漠商人
夜の砂漠は、昼間の灼熱をすっかり奪い去り、刃のような冷気をまとっていた。
焚き火の赤い炎が、帳幕に映る影を大きく揺らす。
その影の中で、アランは黙して相手の言葉を待っていた。
対面に座るのは砂漠商人サリーム――黒い外套に覆われた顔からは、眼
光だけが猛禽のように鋭く光を放っている。
「約定は果たされねばならん」
低く乾いた声が焚き火のはぜる音に混じって落ちた。
「おまえたちは“血の果実”を探している。だが、あれはただの果実ではない。噛めば肉を灼き、喉を裂き、魂すら酔わせる。砂漠の部族にとっては聖遺物。外の者に渡せば、必ず血を呼ぶ」
サリームの口調は威嚇ではなく、むしろ淡々とした告解に近い。だからこそ重みがあった。
アランは指先で腰の剣の鞘を軽く叩き、言葉を選ぶ。
「俺たちが欲しいのは、取引を成立させるための一片だ。すべてを奪うつもりはない。だが――」
彼は焚き火に照らされたサリームの瞳をじっと見据える。
「裏切りがあれば、砂漠の夜に新しい影がひとつ増えることになる」
短い沈黙。砂粒が風にさらわれ、布幕の隙間から忍び込んだ。
やがてサリームは肩をすくめ、薄い笑みを浮かべる。
「荒事の匂いがするな、剣士。だが、悪くない。――ならば契約だ」
帳幕の中央に、小さな木箱が置かれた。蓋を開けると、中には血のように赤黒い果実が二つ、ぎらりと妖しい艶を放っていた。
ただの果実ではない。アランも一目で悟る。皮膚の奥がざわめき、心臓の鼓動がわずかに早まった。視線を離そうとしても離せない。
彼の背後で、同行していたミリアが小さく息を呑んだ。
「……本当に、存在したのね」
果実から立ちのぼる香りは甘美で、しかしどこか鉄錆のように生臭い。
吸い込むだけで、頭の奥に熱が回るようだ。
サリームは指先で一つをつまみ、アランの前に差し出す。
「契約の証に、一口だ。果実は契約者の血を識別する。口にせぬ者は、この場で砂の餌になる」
ミリアの顔色が蒼白に変わる。だが、アランは一歩も引かない。
掌に果実を載せると、その冷たさが掌の血を奪い取るようだった。
彼は深く息を吸い、焚き火に映る仲間の視線を背に感じながら、ゆっくりと歯を立てた。
――甘い。
だがすぐに、喉を焼くような灼熱が走る。
口中に広がるのは蜜とも毒ともつかぬ味。
視界がぐにゃりと揺れ、遠くで太鼓の音が鳴るような幻聴がした。
額に汗がにじみ、膝が震えた。
だがアランは吐き出さず、最後まで嚙み砕く。
次の瞬間、胸の奥に熱い衝撃が走り、血管を駆け上がった。
瞳が紅に染まり、視界の輪郭が鋭く浮き立つ。
サリームは満足げにうなずいた。
「よし……契約は成った。おまえの血は果実に刻まれた。
裏切りを企てれば、果実が血を逆流させる。死は一瞬だ」
ミリアが慌ててアランの腕を支える。
「アラン、大丈夫?!」
「……心配するな。まだ、死んでない」
かすれた声で答え、彼は力強く立ち上がった。
焚き火の炎が、契約の証として赤々と燃えさかる。
砂漠の夜に、新たな運命が刻まれたのだった。




