第0299話 救いが“嘘”だと言うなら…… 私は何を信じて生きればいいの……?
老婆の声は、冬の朝に落ちる霜のように鋭く、
四人の胸の奥へ静かに突き刺さった。
救いを望むことが愚かだ――
その言葉は、依頼の意味すら根底から揺らす。
シルヴィアが口の端を吊り上げる。
「……また妙な婆さんだな。
忠告してくれるなら、酒でも奢ってくれりゃいいのに」
老婆は目を細め、まるで千年先を見透かすように答えた。
「忠告は酒より高い。だが、聞いてもらえた試しはない」
ライネルが前に出る。
「お前は誰だ。
この村で何を知っている」
老婆は杖を地面に突き、石像になった女へ視線を向けた。
「――わしは、“拒絶された救済者”。
誰も救えず、誰からも感謝されず……
ただ“間違った祈り”の跡を見続ける者よ」
その声には、苦悩とも諦めともつかぬ重さがあった。
アリアの瞳が揺れる。
「……あなたは。
かつて癒し手だったのですか?」
老婆は笑う。
嘲笑でも苦笑でもない。
ただ、自分の存在そのものを笑う者の声だった。
「癒し手? あれは嘘だよ。
人は“治る”のではない。
ただ“耐える”か“終わらせる”かだ」
沈黙。
その言葉は、アリアの心に鋭い棘となって突き刺さった。
彼女は小さく震える唇で問い返す。
「……では、救いとは?」
老婆は即答した。
「選択だ。
代償と引き換えに差し出される、美しい嘘」
マリーベルが不快そうに声を荒げた。
「嘘で魂を奪う者なら、裁くべき存在だ!」
老婆はマリーベルを見据え、低く呟く。
「裁く?
裁かれるべきは――“望んだ者”のほうじゃよ」
その瞬間、ヨアヒムが弱々しく叫んだ。
「違う!
妻は……妻は死にたいんじゃなかった!
ただ……苦しみから逃げたかっただけなんだ!」
その悲痛な声に、村の家々から嗚咽が漏れた。
まるで皆が同じ痛みを抱えているかのように。
ライネルが問いかける。
「その“医者”――モルヴェインは、まだ村にいるのか?」
老婆は頷く代わりに、石像の影を顎で指した。
「夜になると来る。
救いを求める声がある限り、奴は現れる」
シルヴィアが舌打ちした。
「じゃあ――罠にかけるか。
“救われたい人間”を餌にして」
その案に、アリアは強く頭を振った。
「そんな……魂を使い捨てるような真似……!」
老婆はアリアを見据え、静かに言った。
「綺麗事で救えるなら、
今ここに石の娘は立っておらんよ」
アリアの心が砕ける音が、
炎の揺れる音よりはっきり聴こえた気がした。
◆◇◆
四人は広場近くの空き家に拠点を置いた。
夜――月が昇り、村に影が伸び始める。
沈黙。
空気には、見えない緊張と焦燥が漂う。
シルヴィアが短剣を研ぎながら言う。
「なぁ。
救われたいって、そんなに悪いか?」
ライネルはゆっくり答えた。
「弱い者は救いを求める。
強い者は静かに耐える。
……だが問題は、どちらも人間だということだ」
マリーベルが炎石のランタンを灯しながら呟く。
「救済は希望じゃない。
――“誘惑”よ」
アリアは祈りの姿勢のまま動かない。
その唇だけが静かに震えていた。
「私は……ずっと、救えると信じてきた。
祈りは届くと、信じたかった。
でも――」
ライネルが問う。
「迷っているのか」
アリアは、月の光を浴びた水面のように揺れる声で答えた。
「救いが“嘘”だと言うなら……
私は何を信じて生きればいいの……?」
その問いに答えられる者は、誰もいなかった。
◆◇◆
そして――
深夜。
扉も窓も閉じられた暗闇の中。
村全体に、かすかな音が響いた。
――コツン。
杖の音。
静かで、乾いた音。
遠くから近づき、
まるで闇そのものが形を与えられたかのような足音。
四人は息を呑む。
シルヴィアが囁く。
「来たか……」
ライネルが剣に手を添え、
マリーベルは魔力を編み始め、
アリアは両手を胸元で組む。
杖の音は、石像の前で止まった。
闇の中――
白い手袋をはめた男の声が響いた。
「――救いを望む者はいるかい?」
その声は滑らかで、
優しく、甘く、まるで天使の囁きのようだった。
だが――きっと誰よりも邪悪だった。




