第0298話 救いを望む者ほど、破滅に近い
「悪魔」。
その言葉は、ただの恐怖でも迷信でもなく――
この世界では、人間が願ったとき現れる存在である。
願わない限り姿を見せず、
しかし願った者には、必ずその代償を提示する。
救済という蜜の香りをまとい、
絶望の隣に静かに立つ。
だからこそ、人は悪魔を拒めない。
◆◇◆
依頼人――ヨアヒムの案内で、
四人は石化した妻が眠る村へ向かっていた。
道中、空気は澱み、鳥の声は途絶え、
風だけが細く鳴いていた。
アリアが馬上で呟く。
その声は冬の湖面のように静かだった。
「……魂の声が、まだ鳴っている」
シルヴィアが眉を上げる。
「死んでるのに泣いてる、って話、あれ本当なのか?」
「死ではない。でも、生でもない。
魂が肉体に囚われている状態。
……本来、あってはならない」
マリーベルが唾を吐くように言う。
「悪趣味な呪いよ。
魂を閉じ込めるなんて、神の禁忌に近い」
ライネルは黙ったまま馬を進める。
考えるほど重たく沈む答えを抱えながら。
◆◇◆
村に入ると――静寂が異様だった。
家の扉は固く閉ざされ、
窓の向こうからひそひそとした視線が覗く。
犬も、子どもも、音を立てない。
まるで村全体が息を止めているようだった。
ヨアヒムが震える声で呟く。
「……ここだ」
村の中心、石造りの広場。
そこに――
石と化した女が立っていた。
生前の姿そのまま。
驚きと苦悶が混ざった表情。
指先には痕跡のように涙の筋。
アリアが近づき、膝をつく。
指が触れない距離で、そっと手をかざす。
「……冷たい。
死した者の静けさではない。
――拒絶の冷たさ」
マリーベルが眉をひそめる。
「魔術式の痕跡? ルーンは……無い。
自然発生じゃない。意図的な術式」
シルヴィアは背後の視線に気付く。
声を潜めて囁いた。
「――見られてる。あの家々から」
ライネルは石像に目を据えたまま問う。
「ヨアヒム。
妻は――いつ、変わった?」
ヨアヒムは喉を鳴らし、答える。
「……ひと月前。
夜に泣きながら言ったんだ。
『救われたい』って」
「その次の夜――あの医者が来た」
四人が視線を上げる。
「医者?」
「名前は?」
ヨアヒムはゾッとしたように息を呑んだ。
「モルヴェイン。
『苦しむ者を楽にする方法を知っている』と……」
マリーベルが短く怒りを噛む。
「“安楽死”を語る男……か」
アリアの声が震えた。
「魂を切り離す者……
そんな術、許されないはず……」
ライネルが静かに言う。
「――あの男に会う必要があるな」
ヨアヒムは首を振り、引き止めるように縋る。
「やめろ!あいつは……人じゃない!」
シルヴィアが笑う。
「人じゃない奴のほうが、話が早い」
ヨアヒムの顔から血の気が引いた。
「会えば……戻れなくなる。
あいつは“選ばせる”。
いつだって――絶望した者の耳元で」
アリアが目を閉じ、祈るように呟く。
「……救済を語る者は、嘘をつく。
だけど――救済を望む者は、もっと愚か」
その言葉に、村の家々の影がざわりと揺れた。
誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが祈っていた。
では――この村のどこにつまずいたか。
それは、まだ誰も知らない。
◆◇◆
石化した妻の足元。
地面には――小さな穴があった。
拳ほどの大きさ。
アリアが震えた声で言う。
「……これは“死者の通り道”。
ここを通れば魂は天上へ昇る。
けれど――石は通れない」
ライネルが低く呟く。
「つまり――閉じ込められている」
◆◇◆
そのとき。
広場の端から、乾いた杖の音が響いた。
ゆっくり、引きずるように歩む老人の影。
腰の曲がった老婆――
だがその瞳だけが異様に澄み、若い。
老婆は四人を見て、言った。
「救いたいのなら――やめておきな」
「救いを望む者ほど、破滅に近い」
風が止まり、村全体が息を呑む。
老婆は微笑むでもなく、怒るでもなく、
ただ静かに告げた。
「救済は毒だ。
そして毒を欲する者は――
必ず自ら飲む。」




