第0293話 恐怖と疑念を整理し、正体を見極めること
夜霧に包まれた酒場「四葉亭」の扉が、風に揺れる。
木の香とアルコールの匂いが混じった空気の中、土の騎士ライネルは剣の柄に手をかけ、黙ったまま壁際の席に腰を下ろした。
風の盗賊シルヴィアは肘をつき、陽気に脚を組み、酒場の奥を見渡す。
火の魔法使いマリーベルは巻物を広げ、慎重に文字をなぞる。
水の僧侶アリアは手を合わせ、静かに瞑想のように呼吸を整える。
依頼は簡単ではなかった――泡から生まれる不安定な陸地の奥で、消えた人物の行方を探せ、というもの。
だがその“人物”が果たして現実の人間か、それとも泡に潜む幻か、誰も確信できない。
泡の丘は、満月の光を受けて微かに揺れ、足元の地面は不安定だった。
ライネルは慎重に足を踏み出す。泥や泡の混じる地面は、まるで呼吸するかのように脈打ち、時折微かな呻きが響く。
「……不安だ。
依頼の本質は“探すこと”ではなく、“見極めること”にあるのかもしれぬ」
シルヴィアが指を伸ばし、泡のひとつに触れる。
「触れた瞬間に消えちゃうね。
まるで……嫌な感情が形になったみたい」
マリーベルが炎の魔力を静かに泡に向け、膜状の泡を固めようと試みるが、すぐに崩れ落ちる。
「幻でもない。現実でもある。
私たちの疑念が混じれば、完全には把握できぬ」
アリアが膝をつき、泡の中の微かな声に耳を澄ます。
「……助けて、と言っている。
でも人の声ではない。記憶や感情の残滓が形になったものね」
四人は息を整え、陸地の奥へと進む。
泡の中から、半透明の女の姿が現れた。
泡の膜で包まれ、形は不安定に揺れる。
見た目は人間だが、指先が泡のままゆらゆらと崩れそうだ。
「触れるな……」ライネルが低く警告する。
「敵か味方か、見極めねば」
シルヴィアは軽く笑った。
「味方も敵もない。
嫌な感情に向き合うことが、代行の意味かもね」
マリーベルは炎を周囲に回す。
「恐怖や不安を否定しても意味はない。
整理して、反論する術を見つけるのよ」
アリアは手を合わせ、祈るように泡の女に呼びかけた。
「正体を明らかにさせて。
偽りなら解消を、本物なら保護を」
泡の女は震える声で言葉を漏らす。
『……助けて……でも、私は本物じゃない……』
黒髪、白髪、半透明の姿……複数の“模倣”が泡の中から生まれ、増えていく。
形を見極めることは、感情を整理することと直結していた。
ライネルは剣を握り、踏みしめる。
「代行とは、単に依頼を果たすことではない。
恐怖と疑念に満ちた現実の中で、正体を見極める行為――それこそが試練だ」
シルヴィアは短剣を構え、跳躍する。
「幻を恐れる必要はない。
向き合って、整理して、前に進むだけだ」
マリーベルの呪文が泡の女の輪郭を固め、消えた泡は結晶化して跡形もなく消滅する。
アリアは穏やかに頷いた。
「恐怖や混乱も、整理すれば意味を持つ。
代行とは、依頼者のためだけでなく、私たち自身の感情と向き合うことでもあるのね」
泡の丘の奥で、四人はさらに複雑な形態と向き合う。
誰が本物で、誰が模倣か、誰も判断できない。
だが連携し、疑念に支配されず、感情を整理することで、一歩ずつ前進する。
ライネルが静かに言った。
「進めば、きっと正体が明らかになる。
感情に支配されることなく、代行の役目を果たすことができる」
シルヴィアは笑みを浮かべる。
「怖がる暇はないね。
嫌な感情も、幻も、全部受け止めてやる」
マリーベルが巻物を胸に抱え、炎を掌に集める。
「嫌な感情に反論する力を手に入れれば、依頼は達成できる」
アリアは祈りを続け、泡の中の声に耳を澄ませる。
「これが、代行の本質……
恐怖と疑念を整理し、正体を見極めること」
泡の丘は微かに脈打ち、四人を奥へ誘う。
存在の正体を見極めるために、彼らは一歩ずつ、前に進む――。




