第0290話 すべてを見届ける。それが、私たちの役目です
霧の切れ間から朝日が差し込み、酒場《四葉亭》の窓を淡く照らしていた。
長い夜を越えた四人は、それぞれの席に腰を下ろす。
ライネルは手の甲で額の汗をぬぐい、シルヴィアは膝の上で軽く笑い、マリーベルは紅い炎の残り火を指でそっと吹き消す。
アリアは静かに祈りの印を結び、静謐な空気を保った。
外の村では、四足で歩いていた者たちが再び立ち上がり、歩き始めたという。
退化の夢は消え、森には生霊の囁きだけが残った。
誰もそれを恐れることはなく、ただ静かに受け入れていた。
「……村は、平穏を取り戻したようね」
シルヴィアが短く呟く。
ライネルは頷き、剣を脇に置いた。
「ただし、安心を手にした者たちの中には、今も小さな恐怖が残るだろう。
それを祝福として扱うのが、我々の役目だ」
マリーベルは赤い瞳を細め、窓の外を見た。
「恐怖も、悲しみも、憤りも――
それらはすべて、生きている証。
だから、消すのではなく、祝うのよ」
アリアがゆっくりと口を開いた。
「生霊は難しい。鎮めることは簡単ではない。
でも、死霊よりも、人の心の余韻として受け止めれば、
それは祝福になる。
悲しみの形を認め、恐怖の声に耳を傾けること――
それが、私たちの守るべき顕現です」
シルヴィアがカウンターに肘をつき、笑う。
「結局、あたしたちは何も変わっちゃいないわね。
ただ、嫌な感情を“扱える”ようになっただけ」
「それが大事なんだ」
ライネルの声は、硬くも温かい。
「戦うだけが答えではない。
受け入れ、理解し、祝福することも――勇気のひとつだ」
酒場の奥で、オルドリックが静かに微笑む。
彼の表情は安堵と悲哀を含んでいた。
「村を救えたのは、あなたたちのおかげだ……
だが、私自身もまた、“安心”を失ったままだ」
アリアが手を差し伸べる。
「失ったのではなく、変わったのです。
恐れや不安を抱えながら歩くこと――それも、顕現です」
四人は互いに目を交わし、静かに笑った。
それは、夜の森で戦った恐怖を受け止め、
互いに祝福する笑みだった。
シルヴィアが杯を掲げる。
「じゃあ、乾杯。嫌な感情も、もう怖くない」
「祝福を」
マリーベルも、ライネルも、アリアも。
杯が軽く触れ合い、微かな音が酒場に響いた。
外の空気は澄み、風は静かに森の間を通り抜ける。
遠くの鳥が鳴き、村は目覚めを迎えていた。
退化も顕現も、すべてが静かに落ち着き、
森は新たな秩序の中で呼吸を続けている。
ライネルは、盾を膝に抱き、ゆっくり息を吐いた。
「終わったわけではない。
だが、嫌な感情を恐れず、受け入れ、祝福できた……
それだけで、十分だ」
シルヴィアは、風のように軽やかに言った。
「ねえ、あたしたち……やっぱり探偵って、こういうことをするのね」
アリアは静かに微笑む。
「はい。人の心の中に潜む退化も、顕現も――
すべてを見届ける。それが、私たちの役目です」
マリーベルが小さく炎を揺らし、外の光に溶かした。
酒場《四葉亭》に、柔らかな朝の光が満ちる。
嫌な感情も、恐怖も、悲しみも――
すべては祝福として包み込まれた。
四人は立ち上がり、窓の外の村を見つめた。
退化と顕現の物語は終わり、
新しい日々が始まるのを、ただ静かに見守っていた。




