表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
274/314

第0274話 もし、本当に“声を奪う悪魔”がいるとしたら

 夜の街は、息を潜めていた。

 雨は細く、糸のように垂れている。

 石畳を踏むたび、水面が波紋を描き、音もなく消えていった。


 ライネルたち四人は、王都の北端にある廃劇場――《蛇の舌》の根城へ向かっていた。

 劇場はかつて、王立の祝祭を開いた場所だったという。だが、今では扉も窓も打ち付けられ、沈黙の館と化していた。

 ひとたび外界の音を閉ざせば、そこは“死者の声”だけが響く世界だった。


「この中に、“言葉を奪われた者”たちがいるのね……?」

 アリアが、冷たい息を吐くように言った。

「“言葉を奪う”って……どういう仕組みなんだろうな。」

 シルヴィアが肩をすくめ、闇を覗く。

「心臓を抜くとか、魂を縫いとめるとか、そういう呪術かもね。」

「そんな冗談、笑えないわよ」

 マリーベルの声が、乾いて響いた。

 ライネルは答えない。ただ手を上げて合図を送り、皆に前進を促す。


 扉を開くと、湿った空気と、古い楽器の匂いが漂った。

 劇場の内部は闇のように広い。壁には、破れた幕と焦げたポスターが掛かっている。

 中央に、ひとつの舞台。

 舞台の上には、仮面をつけた者たちが円を描いていた。


 彼らは、声を持たなかった。

 代わりに、指で文字を描く。

 だが、その文字は――意味をなしていない。

 線が交わり、ほどけ、再び絡み、まるで誰かの“思考の迷路”のように見えた。


 その中央に、ひとりの男が立っていた。

 長い黒衣。仮面の口元には、蛇の文様。

 彼こそが《蛇の舌》の首領――と呼ばれる存在だった。


 シルヴィアが囁く。

「喋れないってことは……命令もできないの?」

「いや、している」とライネル。

「“声を奪う”のではない。“声で命令する”のだ」

「え?」

「誰かが、代わりに“語っている”。」


 その時、背後で微かな声がした。


「……つきが、かけたよるに……ひとが、わらう……」


 それは前夜の声と、同じだった。

 だが、今度は確かに、舞台の下から響いてくる。

 アリアが震えた。

「カミル……?」


 舞台の床が軋み、板の隙間から、白い指が伸びた。

 マリーベルが咄嗟に炎を放つ。

 赤い光の中で、影が浮かび上がった。

 男の顔――カミルの顔だった。


 だが、その瞳には、生の光がなかった。

 彼は微笑んでいた。

 笑っているのに、声が出ない。

 その口元だけが、何度も繰り返す。


「ひとが、わらう。ひとが、わらう……」


 その光景に、ライネルの胸が凍りついた。

 死者が、笑っている。

 それは“声のない笑い”――まるで沈黙そのものが、嘲笑っているかのようだった。


 マリーベルが怒りを爆発させる。

「こんなふざけた真似、誰がしてるの!?」

 炎が舞台を照らし、仮面の群れが後ずさる。

 だが、彼らの影から、別の影が現れた。


 それは、黒衣の首領だった。

 仮面の奥で、唇が動いた。

 ライネルは聞き取った。


「沈黙こそ、最も雄弁な言葉だ。」


 その瞬間、劇場全体が震えた。

 壁に刻まれていた“口”たちが一斉に開き、囁く。


「しゃべるな。しゃべるな。しゃべるな――」


 言葉が刃となって飛ぶ。

 アリアが叫びを上げ、聖印を掲げる。

 青白い光が、闇を押し返す。

「神は、沈黙の中にいません!」


 ライネルは剣を抜いた。

 土色の光が刃を走る。

「沈黙を信仰にする者は、いつか自分を喰う。」


 剣が仮面を割った。

 中から覗いたのは――カミルと同じ顔。

 ひとつではなく、いくつも。

 どの顔も、彼と同じ声で囁いていた。


「ひとが、わらう。ひとが、わらう。」


 シルヴィアが小さく呟いた。

「……これ、全部、聞き間違えの呪い?」

「そうだ」とライネルが応じた。

「言葉を繰り返すたび、意味が崩れていく。

 本当の“蛇の舌”は――言葉を歪める悪魔だ。」


 その瞬間、彼の耳に、あの声が蘇る。


『おまえの沈黙は、誰を守るためのものだ?』


 足元の影が、ぬるりと伸びた。

 カミルの生霊が、彼の手を掴む。

 冷たい。だが、その指は懺悔を求めるようだった。

「……兄さん、助けて……」


 ライネルは息を呑んだ。

「兄……?」

 マリーベルが振り返る。

「つまり――カミルの兄が、この組織の本当の頭?」

「まだ断定はできない。でも、“逆の復讐”なら、あり得る」


 彼の瞳が、土の底のように暗く光った。

「弟が兄を討ったのではない。兄が“弟の声”を奪ったのだ。」


 雨音が、再び屋根を打ち始める。

 アリアは震える声で祈った。

「どうか、この誤解の輪が、終わりますように……」

 マリーベルが立ち上がり、炎を収めた。

「誤解って言葉で済むなら、呪いなんていらないわ」

 シルヴィアが息を吐く。

「いや、誤解こそがいちばん強い呪いさ。

 だって、誰もそれを“呪い”だと思ってない。」


 ライネルは剣を鞘に納め、静かに言った。

「行こう。……この沈黙の中に、まだ“真の依頼人”がいる。」


 舞台の奥の扉が、ひとりでに開いた。

 冷たい風が吹き抜け、蝋燭が揺れる。

 そこに、ひとつの言葉が刻まれていた。


【沈黙を破る者、罪を背負う】


 外に出ると、雨がいっそう激しくなっていた。

 だが、ライネルの心には別の雨が降っていた。

 それは“自分の内に潜む悪魔”――言葉を選ばなかった罪の雨。


 シルヴィアが隣で言った。

「ねえライネル。もし、本当に“声を奪う悪魔”がいるとしたら、

 あんたはどうする?」

 ライネルは空を見上げた。

「……その声を、取り戻す。たとえ、俺の命を代償にしても。」


 風が吹き抜けた。

 四葉亭の探偵たちは、再び沈黙の中へと歩み出す。


 雨が、街灯の光を滲ませる。

 その向こうに、次なる“影の依頼人”が、待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ