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第0272話 愛と死の境界を越えて

 春の訪れは、いつも静かにやってくる。

 雪解けの水が丘を伝い、墓地の根を潤すころ、〈四葉亭〉の窓辺には白い花が咲く。

 その花は“赦し草”と呼ばれている。

 誰が名づけたのかは知らない。けれど、この街では、誰もが知っている――

 石になった二人の足もとにだけ、それが咲くのだと。


 「ねえ、見て」

 アリアが窓を開け放つ。

 風が香を運び、店内に春の匂いが満ちる。

 丘の上では、騎士と女の石像が寄り添っていた。

 陽の光に溶けかけるように、二つの影は柔らかく抱き合っている。


 「本当に、少しずつ動いてるのね」

 シルヴィアが言った。

 「まるで、時間が彼らを許してるみたい」

 「赦しは、時のなかでしか熟さないのよ」

 アリアの声は水のように穏やかだった。

 「人も、愛も、死も――ぜんぶが“遅れて”届くの」


 カウンターでは、マリーベルが火をいじっていた。

 「“遅れて届く”ね。あの鈍感な騎士にはぴったりの言葉じゃない」

 「でも、届いたわ。彼女に」

 アリアが言う。

 「彼女は、いまもあの手で、彼を抱こうとしているもの」


 ライネルとリサ。

 彼らの姿はもう、伝説になりつつあった。

 死者の穴をくぐり抜け、天と地の境界で愛を遂げ、石となってなお祈り続ける者たち。

 その物語を聞きに、今日も旅人が〈四葉亭〉を訪れる。


 「で、その“嫌な感情”ってのは、どうなったんだ?」

 客の一人が尋ねる。

 シルヴィアは片眉を上げ、笑った。

 「嫌な感情? ああ、愛とか、執着とか、後悔とか、そういうやつ?」

 「そう、それだ。結局、全部呪いじゃないのか?」

 「違うわよ」

 アリアが杯を差し出す。

 「呪いじゃなくて、根よ。心の奥に残って、いつか花を咲かせる。赦し草みたいに」


 マリーベルが笑う。

 「じゃあ、あたしの怒りも、そのうち花になるのかしら」

 「なるわ」

 「シルヴィアの気まぐれも?」

 「ええ、風に乗って芽吹くの」

 「アリアの寂しさは?」

 「それは、水のように、誰かの涙をやさしく包む」


 四人の笑い声が響いた。

 風、火、水、土――それぞれの属性が混ざりあい、店の中にひとつの色を生み出す。

 それは“赦し”という色。誰のものでもない、けれど確かに温かい。


 外では、鐘の音が鳴った。

 新しい依頼の知らせだ。

 「また誰か、悔やみを抱えてやってくるのね」

 「いいじゃない。そういうの、放っておけないでしょ」

 シルヴィアがマントを翻し、扉を開く。

 春風が、彼女の髪を撫でた。

 「さ、行こう。死者も生者も関係ない。どちらも、愛を探してる」


 アリアが祈りの印を胸に描く。

 「――すべての嫌な感情に、祝福を」


 その声は風に乗って、丘を越え、石像のもとへ届いた。

 誰も見ていなかったが、

 その瞬間、リサの石の唇が、かすかに動いた。


 「ありがとう」と。


 そして、風がまた、四人の旅路を押し出した。

 天と地のあいだ――愛と死の境界を越えて。

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