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第0267話 酒と声と、湿った灯

 その夜、霧は重たく、鐘の音は沈んでいた。

 街の外れ、古い石畳をなぞるように、雨が静かに降っていた。


 酒場《四葉亭》は、そんな夜にだけ満ちる。

 酒と声と、湿った灯。

 死者と生者の区別が曖昧になる刻限、旅人たちは言葉で灯をともす。


 「聞いたかい、墓のほうの話を」

 風のような声が、場のざわめきの隙間を縫った。

 盗賊シルヴィアだ。銀の髪をひとまとめにして、椅子を逆さにまたがっている。

 「また死人が歩いたって? それとも恋人が墓を間違えて抱いたとか?」


 隣の席で、鎧のきしむ音が小さく鳴る。

 土の騎士ライネルは、無骨な手で杯を押しやった。

 「冗談にしては、墓守の顔が青かった。」


 炎の影を背負う女が、椅子をきしませる。

 「死人より青い顔の男って、だいたい何か見てるのよ。」

 火の魔法使いマリーベルが、赤いワインを舌先で転がす。

 その瞳はいつも、何かを燃やすものを探している。


 そして、彼らの間に流れる沈黙を、やわらかく断つ声があった。

 「……赦されぬ者が、また一人増えたのかもしれませんね。」

 水の僧侶アリアだった。

 淡い青の修道衣に包まれた彼女の言葉は、祈りのように静かだった。


 四人がそうして杯を傾けていると、

 扉の外で、風が一度だけ鳴った。

 続いて、泥のついた靴音――墓守の老人が、息を切らせて入ってきた。


 「四葉亭の皆さん……あなた方に、お願いがあるんです。」


 その声は、どこか遠い鐘のように震えていた。


 マリーベルが眉をしかめる。

 「墓に何か出たのか。」

 「出た、というより……立っておったのです。昨日まで、生きていた女が。」

 「死人が立つのは珍しくないわよ。」シルヴィアが笑う。「でも女のほうは珍しいか。」


 老人は首を振った。

 「違うのです。……その女は、石になっておったのです。」


 酒場のざわめきが、一瞬で消えた。

 火の明滅の音だけが、耳の奥に残る。


 「石?」ライネルの低い声が、木のテーブルを震わせる。

 「はい。雨の夜でした。墓を掃いておりましたら、

 亡くなったはずの遊女ミレーユが、丘の上に立っていた。

 笑っておりました。

 ……朝になって見に行くと、そこには、彼女と同じ姿の石像があったのです。」


 アリアが胸元の十字をそっと撫でた。

 「赦されぬ者の、最後の祈り……。」


 「墓場の噂だろう。」ライネルは立ち上がる。

 「だが、放ってはおけない。」

 「また、面倒な愛の話かしらね。」マリーベルが立ち上がり、炎の杖を回す。

 「愛ほど呪いを生むものはないのよ。」


 「おっと、呪いと聞いちゃ黙ってられないね。」

 シルヴィアが軽やかに指を鳴らした。

 「じゃ、調査代は倍額で請求していいかしら?」

 「ふざけるな。」ライネルが唸る。


 ――そのやり取りを見て、墓守の顔が少しだけ和らいだ。

 彼は深く頭を下げ、

 「“死者の穴”をご覧ください。女は、そこへ向かっていたのです。」

 と告げた。


 その名を聞いた瞬間、四人の間に重い空気が落ちた。

 “死者の穴”――

 天上界と地下界を分かつとされる、古代の縦穴。

 魂はそこから、光か闇のどちらかへ渡る。


 「……嫌な場所ね。」マリーベルが呟く。

 「風も吹かないところだ。」ライネルが頷く。

 「だけど、そういう場所にこそ、真実が転がってるのよ。」

 シルヴィアの笑みは、嵐の前のように軽い。


 四人は杯を置き、灯を消した。

 それぞれの属性が、夜に滲む。

 土は沈み、風は流れ、火は灯り、水は祈る。


 そして、彼らは歩き出す――

 生と死の境界へ、赦しを探すために。

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