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第0262話 “言葉”が、街に災いを呼んだ――

 翌日の午前、空はまだ灰色のままだった。

 雨はやんでいたが、湿気が石畳の底まで染みこんでいる。

 人々の足音が鈍く響き、誰もが息を潜めて歩いていた。

 “言葉”が、街に災いを呼んだ――。

 そんな噂が、もう広まっていた。


 〈四葉亭〉の二階、簡素な部屋にて。

 ライネルは、濡れた外套を椅子の背に掛けながら、

 昨日の出来事を紙に記していた。


 「――言葉は鍵なり、沈黙は門なり。」

 彼は低く読み上げた。

 筆跡は鋭く、だが迷いを含んでいた。

 “言葉”が真実を開く。だが、

 “沈黙”がその先を閉ざす。


 アリアが彼の背に声をかけた。

「まるで、祈りの逆さまみたいですね。

 言葉を発することで、神へ近づくんじゃなく、

 言葉を閉じることで、神に触れる……」

 ライネルは振り返らず、短く答える。

「その神が、人の形をしていればの話だ。」


 シルヴィアが寝台に寝転び、

 リンゴをかじりながら口を挟んだ。

「まあまあ、難しく考えすぎよ。

 要は“門が開く言葉”が何かって話でしょう?

 探偵団らしく、鍵探しといこうじゃない。」

 軽口に笑みを浮かべながらも、

 彼女の視線はどこか探るように鋭い。


 マリーベルが机を叩く。

「鍵だの門だの、呪文構造を理解せずに言うな。

 もし本当に“言葉”が物理的な鍵なら、

 音の響きそのものに術式が仕込まれてる。」

「つまり?」

「発音を間違えれば、“違う門”が開くのよ。」

 その言葉に、アリアの表情が曇った。

「……違う門?」

「ええ。生の門じゃなく、“死の門”よ。」


***


 アルトロワ邸の中庭では、

 冷えた朝靄の中に、石の門がぼんやりと浮かび上がっていた。

 昨日よりも、わずかに開きが広がっているように見える。

 ライネルたちが足を踏み入れると、

 使用人たちは一様に顔を背けた。

 “門を見た者は声を失う”という噂のせいだった。


 老執事ダミアンが出迎えた。

「お嬢様は……まだ部屋でお休みです。」

「構わない。門の調査をさせてくれ。」

 ライネルの声には、湿った決意が混じっていた。


 門の前に立つと、アリアが小さく祈る。

「……どうか、この言葉が真実ならば、静まりたまえ。」

 しかし、門は黙ったままだった。

 代わりに、風が低く唸り、草が逆立つ。


「音を感じるか?」

 マリーベルが耳を澄ませる。

「風の震えが“音節”になってる……

 まるで、誰かが口を閉じたまま、喋ってるよう。」


 シルヴィアが手をかざし、指で空を切った。

「なにこれ、空気が“歪んでる”。」

 確かに、門の周囲には見えない膜のような揺らぎがあった。

 そこに足を踏み入れると、

 空気の密度が一気に変わる。まるで水中だ。


「おい、戻れ!」

 ライネルが腕を伸ばしたが、

 シルヴィアは振り返り、にやりと笑う。

「平気平気。風の女をなめないで。」


 その瞬間、

 彼女の背後の石壁が淡く光った。

 白い影――いや、息の形をした何かが、

 門の隙間から浮かび上がる。


 人の顔のようで、人ではない。

 輪郭が曖昧で、

 まるで“言葉が形になった幽霊”のようだった。


「誰だ?」

 ライネルの声が低く響く。

 影は答えない。

 ただ、誰かの声を真似た。

 それは――亡き伯爵の声だった。


 “寡黙な石は、嘘をつかない。”


 声を聞いた瞬間、

 門がわずかに軋みを上げ、空気が震えた。

 石の下から、土煙が上がる。

 それはまるで、“何かが這い出してくる”ようだった。


「下がれ!」

 マリーベルが詠唱を始める。

 炎の輪が門を包み、揺らぎが止まる。

 石の影はそのまま霧となり、地面に吸い込まれた。


 沈黙。

 風だけが、言葉を奪ったまま通り過ぎていく。


 アリアが胸に手を当て、震える声で言った。

「今の……確かに、伯爵様の声でした。」

「死者の声は、誰かが呼ばなきゃ届かない。」

 ライネルが言う。

「呼んだのは――誰だ?」


***


 屋敷の書庫で、シルヴィアは古い日誌を見つけた。

 “アルトロワ家の秘密録”。

 その最終頁に、奇妙な儀式の記述があった。


 『死者に息を吹きかけ、名を呼べ。

  さすれば彼は石となり、嘘をつかぬ番人となる。』


 マリーベルがその文を読み上げて顔をしかめた。

「……蘇生の儀じゃない。これは“変質”の呪いよ。」

「つまり、伯爵は――?」

「蘇ったんじゃない。人間であることをやめたのよ。」


 アリアは震える声で言う。

「祈りを、間違えたんですね。」

「祈りじゃなく、“言葉”をだ。」

 ライネルの声は低く、重かった。


 沈黙の中、

 屋敷の外から、雷鳴が響いた。

 再び、雨が降り出す。

 その音が、まるで門の奥から聞こえてくるようだった。


***


 その夜、〈四葉亭〉。

 外は雨。客はまばら。

 四人は黙って杯を傾けていた。


「なあ、ライネル。」

 シルヴィアが軽く笑う。

「死者が言葉を話すなんて、気味悪いと思わない?」

「言葉を操るのが生者なら、

 言葉に操られるのが死者なのかもしれん。」


 マリーベルは小さく舌打ちをした。

「まるで世界そのものが呪文にかかってるみたいね。」

「ええ……」

 アリアが呟いた。

「祈りも呪いも、もとは同じ“言葉”ですから。」


 ライネルは静かに杯を置く。

「ならば、俺たちは――

 “呪いを翻訳する探偵”をやるしかない。」


 外の雨が強まる。

 その音の中で、誰かが小さく囁いた気がした。


 『寡黙な石は、嘘をつかない。』


 その声に、ライネルは一瞬、剣に手をかけた。

 しかし、誰もいなかった。

 ただ、雨が降っているだけだった。


 ――雨が、“不吉”の形をしていた。

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