第0254話 正義を終わらせた
夜の帳が降りると、王都の街灯が順に灯りはじめる。
雨が再び降り出していた。屋根を打つ音が、まるで何かを洗い流すように響く。
《四葉亭》の奥では、四人が黙ってテーブルを囲んでいた。
卓上の地図には、王都全域を巡るように赤い印がいくつも打たれている。
それは――“逆刻の印”が刻まれた場所の記録だった。
囚人が残した最後の言葉に従い、彼らは街の時間を追っていた。
しかし、その線はやがてひとつの場所を指し示した。
「ここだ……“処刑広場”」
ライネルの指先が止まる。
「最初の殺人が起こった場所。そして、最初の“誤認”が始まった場所でもある」
マリーベルが舌打ちした。
「つまり、最初から“誰か”が時間を操作してたってことね。
目撃証言を反転させ、アリバイを作って……」
「誰だと思う?」シルヴィアが呟いた。
「遺産の分配人よ」アリアが答えた。
「“逆・遺産を分配する”――死者の財産を、生者にではなく、亡霊に還す者。」
*
処刑広場の石畳は、雨に濡れて鈍く光っていた。
中央の断頭台には、既に使われなくなった古びた刃が錆びついている。
その前に、黒衣の女が立っていた。
手に銀の懐中時計を握り、ゆっくりと蓋を開く。
カチ、カチ、カチ――時は逆に回っていた。
「ようこそ、探偵たち。《四葉亭》の亡霊ども」
声は冷たく、それでいて懐かしい響きを帯びていた。
シルヴィアが目を見開いた。
「……あなた、“遺産分配人”エレノア?」
「そう。あなたたちが救おうとした囚人の“恋人”でもある」
雨がさらに激しくなる。
「どうしてあの人を殺した!」マリーベルが叫ぶ。
エレノアは微笑む。
「殺してなんかいないわ。あの人は、私の息を吸って、私の代わりに死んでくれたのよ。」
「……逆の息。」アリアが息を呑む。
「そう。彼の“死”は、私を生かすためのアリバイだった。
世界が誤認してくれたおかげで、私は今もここに立っていられる。」
ライネルが剣を抜く。
「それを正すために、俺たちは来た。お前の錯覚を暴き、正義を取り戻す。」
「正義?」エレノアが笑う。
「あなたたちの正義が、彼を殺したのよ。
“息を吐くと命を奪う”なんて、誰が最初に決めつけた? ――あなたたちでしょう?」
その言葉に、四人は動けなかった。
たしかに、囚人を“怪物”と決めつけたのは、他でもない自分たちだ。
誤った認識。正義のための正義。
それが彼を死に追いやったのだ。
雨が広場を洗う。
エレノアの足元には、赤い光が蠢いていた。
「彼の息を受け継いだ私は、もう止まらない。
正義を名乗る怪物を、この街から消す。それが――彼への仇討ち。」
マリーベルの炎が応えるように燃え上がる。
「正義も復讐も、どっちも燃やしてやるわ!」
炎が夜空を裂く。
シルヴィアが風でその炎を押し上げ、アリアが祈りを重ねる。
だが、ライネルだけが動かない。
彼の視線はエレノアではなく、自らの掌を見つめていた。
――この手もまた、誰かの命を奪ってきた。正義という名の下で。
「……俺が怪物なら、せめてお前を止める怪物であろう。」
ライネルが剣を構えた。
雨の夜、刃と刃が交差する。
時間が逆に回り出す。
過去と現在が入り混じり、空間が歪んだ。
「もうやめて!」アリアの叫びが、二人の間に割って入る。
その瞬間、時計が砕けた。
静寂。
そして、雨が止んだ。
エレノアは崩れ落ち、微笑んだ。
「……これでいいの。彼の時間を止めた私も、ようやく追いつける」
ライネルが膝をつく。
マリーベルが唇を噛み、炎を消した。
シルヴィアはただ空を見上げた。
アリアの頬を、一滴の涙が伝う。
「正義は、怪物を止めたのではない。
怪物のふりをして、ようやく正義を終わらせたのだ。」
雨上がりの広場に、朝の光が差し込む。
倒れた懐中時計の針が、今度こそ正しい方向に回り始めた。
それが、彼らの“成功”であり、
同時に、“失敗”でもあった。




