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第0250話 赦しを拒む涙のように

 ――その夜、雨は、まるで赦しを拒むように降り続いていた。


 石畳の上に映る灯火は、風の嘆きに震えながら、ゆらゆらと滲む。

 《四葉亭》の扉を叩いた男の姿を、誰もが一瞬、幽霊かと錯覚した。


 重い外套の裾から、泥と血の匂いが滲み出ていた。

 彼の名はルカ・フェルナー。かつて王都で衛兵として働き、

 一度の“誤った証言”によって、人生を破壊した男である。


 扉の向こうでは、火の粉がぱちぱちと弾ける。

 炉端の卓には、いつもの四人――“四葉亭探偵団”がいた。


 土の騎士ライネルは、静かに酒杯を置いた。

 その瞳は、深い洞窟のように光を拒む。

 「……外の雨より、重い顔だな。」


 風の盗賊シルヴィアは、背もたれに体を預け、にやりと笑う。

 「泥まみれでここに来る奴って、大抵ろくでもない話を持ってくるのよね。」


 火の魔法使いマリーベルは、短気そうに指を鳴らし、

 「話を聞く前に暖炉で干からびないといいけど」と呟いた。


 水の僧侶アリアは、そっと彼に毛布を差し出した。

 その手は温かく、しかしどこか、涙のように冷たい。


 ルカはその毛布を握りしめながら、声を絞り出した。

 「……私は、ひとりの無実の女を殺しました。」


 その言葉に、炎の音さえ止まったように思えた。


 彼の話は、ひどく断片的だった。

 夜の屋敷、逃げ去る影、赤い月、叫び声――

 そして、確かに“見た”と思った犯人の姿。


 「見間違いじゃないか?」と、マリーベルが吐き捨てるように言う。

 ルカは首を振る。「見たんです、あの男を。私の目は確かだった……はずだ。」


 ライネルはただ、黙って杯の底を見ていた。

 その沈黙の奥に、何かを計るような気配があった。


 「その“はず”ってやつが、一番やっかいなのよね。」

 シルヴィアは煙草に火をつけ、煙をくゆらせる。

 「見たつもり、聞いたつもり――人間の錯覚が、どれだけ人を殺してきたか。」


 アリアはそっと祈りの言葉を唱える。

 「罪を告白できたのなら、それはまだ……魂が生きている証です。」


 ルカは俯き、濡れた前髪の下から、震える唇を動かした。

 「私は、彼女の名を呼ぶこともできなかった……クラリス。侯爵の娘だ。」


 名前が落ちた瞬間、マリーベルの炎がわずかに跳ねた。

 ライネルは、低く呟く。


 「バルク侯爵の娘……あの事件か。」


 その名は、王都に残る“正義の象徴”として語られていた。

 貴族の娘を殺した男が、衛兵の証言によって捕らえられ、

 正義の手により、広場で処刑された。


 ――だが、それは“誤認”だった。


 ルカの証言が作り出した“アリバイ”によって、

 本当の犯人は逃げおおせた。

 そして、誤って罪を着せられた男が死に、

 真実だけが雨の中に取り残された。


 「どうして、今さら話しに来た。」

 ライネルの声は、地を這うように低かった。

 ルカは拳を握り、血がにじむほどに爪を立てた。


 「……夜毎、夢に出るんです。

 彼女が、私の目を見て笑うんです。

 “正義は間違いでもいいの?”と。」


 沈黙が重く落ちた。

 マリーベルは炎を細め、アリアは唇を結び、

 シルヴィアだけが、淡く息を漏らした。


 「つまり、アンタが見た“犯人”は、もしかしたら存在しなかったかもしれない。」

 「……そうかもしれません。」


 「その可能性に、今さら気づいたってわけか。嫌な感情、だな。」


 ルカは俯き、嗚咽をこらえながら呟いた。

 「それでも、あの夜の真実を……もう一度、確かめたい。」


 ライネルは立ち上がり、壁に掛けられた剣を取る。

 刃には、鈍い赤の反射が走った。

 「ならば、四葉亭はその“誤認の夜”を調べる。

 だが覚えておけ、ルカ――真実は時に、正義よりも醜い。」


 外では、雨がさらに激しくなる。

 窓を打つ音が、まるで罪を数えるように響いていた。


 アリアは静かに祈りを捧げ、マリーベルは炎をともす。

 シルヴィアは短剣を指で回しながら笑った。

 「じゃあ、また地獄みたいな夜に出かけるってわけね。」


 ルカは目を伏せたまま、絞り出すように言う。

 「もし真犯人を見つけても、私は……その手で殺すかもしれない。」


 ライネルの瞳に、淡い憂いが宿る。

 「仇討ちは、真実を腐らせる。だが……それもまた、人のさがだ。」


 扉が開かれ、冷たい風が流れ込む。

 誰かの心をえぐるような、雨の音。

 その中で、ルカの声が小さく響いた。


 「――あの夜、確かに“誰か”が笑っていたんです。

  血の匂いの中で、静かに。」


 風が、ランプの灯を揺らす。

 炎が、赤く、青く、そして黒く変わる。

 “誤認”の影が、今ふたたび、四葉亭の夜に降り立った。


 雨は止まなかった。

 それはまるで、赦しを拒む涙のように。

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