第0247話 “人の信念”こそが敵
――それは、“見てはいけない石”になっていた。
ラズロの妻が石になってから三日後、村の聖堂は封鎖された。
だが封鎖の札の向こうでは、何かが動いている――。
そう噂する者があとを絶たなかった。
人々は恐怖のあまり、目を逸らしながらも、その“動き”を確かめようと集まってくる。
見ることが禁じられたものほど、見たいという衝動が生まれる。
その視線の群れが、“動かぬ石”をますます動かしていた。
四葉亭に戻った一行は、重たい空気の中で作戦を立てていた。
ライネルが、手のひらに置いた小さな石片を見つめる。
それはラズロから預かった、妻の石化した一部。
見つめれば、わずかに鼓動のような震えを返す。
だが目を逸らすと、ただの冷たい岩に戻る。
「……つまり、“観測”が命を与えているんだな」
低く呟いたのはライネルだ。
「この石は、人の“誤認”を糧に動く。動いていると思えば動く。静かだと思えば静まる」
彼の声には、土属性らしい沈みと確信が宿っていた。
「人の想いが命になるなんて、ロマンチックじゃない?」
風の女盗賊シルヴィアが軽口を叩くが、その瞳の奥には一瞬の怖れがあった。
「でも……それって、どっちに転んでも地獄だよね。信じたら動く。信じなかったら、冷たく死ぬ」
「まるで恋みたいだわ」
マリーベルが唇を歪める。
「けれど、その恋人は“石”。永遠に、あなたの答えを待ち続ける」
アリアは祈るように目を閉じた。
「……この石の正体を暴くには、見る者の“意識”を断ち切るしかない。けれど、誰も見ないままに観測することは不可能です」
「それが“障害”だな」
ライネルの拳が、机の上で鳴る。
「誰かが見張らなきゃならない。だが、見張るほどに動く」
矛盾の輪が閉じる音が、部屋を軋ませた。
*
夜。
ライネルは聖堂跡へ向かっていた。
足音はぬかるむ泥の上で、沈み込み、また浮かび上がる。
雨が降り始めていた。
夜気に混じる湿った匂いの中で、彼は“足跡”を見つけた。
――人のものではない。
だが、確かに形を持っていた。
「……逆だな」
彼は呟いた。
「密会の折、残るはずのない足跡が、動かぬ石の前にある」
足跡は祭壇の奥へと続いていた。
そこには、半ば崩れた“石の像”が立っている。
人の形をしているようで、違う。
顔が歪み、腕が不自然に長い。
そして――その“石”が、ゆっくりと首を傾けた。
「見てはいけない」
誰かの声が、頭の中で囁いた。
アリアの祈りか、それとも石そのものの意志か。
ライネルは一瞬、視線を外そうとした。
だがその瞬間、背後で誰かが叫ぶ。
「ライネル! 見るなって言ったでしょ!」
シルヴィアの声だった。
振り向いた彼の目に、彼女の姿が映る。
風のように駆け寄り、彼の肩をつかんで引き倒した。
倒れた拍子に、ライネルの鎧が割れ、土の香りが立ち上る。
その土の中から、小さな“白い石片”がこぼれ落ちた。
「……これは?」
シルヴィアが手に取る。
それは、人の“涙”の形をしていた。
だが、ほんのわずかに動いている。
「私たち……すでに、見られてるのよ」
その声に、マリーベルとアリアが息を呑む。
「“動かぬ石”を観測しているつもりが、あれに“観測されていた”――」
アリアの祈りが震えた。
「誤認の連鎖……“見られている”という意識が、逆に石に命を吹き込んでいる。誰かが、意図的にそれを利用しているのです」
マリーベルが杖を握りしめる。
「つまり、敵は“見せる側”ね。見誤らせることで、石を動かしている」
「敵……?」
ライネルが顔を上げる。
祭壇の向こう、闇の中で、確かに何かが動いた。
それは“人に似て非なる影”。
「――私を、動かしたのは誰だ」
石像が、口を開いた。
砕けた唇から、ざらついた声が漏れ出す。
「私は、石ではない。おまえたちが“そう見た”だけだ」
次の瞬間、聖堂の壁が崩れ、白い粉塵が舞った。
彼らは咄嗟に身を伏せた。
粉の中で、シルヴィアの声がかすかに響く。
「やっぱり……“動かぬ石”って、動かされてたんだ……」
――誰かが、背後で糸を引いている。
“石”に命を吹き込む術を持つ者。
あるいは、誤認を操る“幻視者”。
*
夜明け。
四人は四葉亭の奥の部屋で集まっていた。
沈黙の中、アリアが低く呟く。
「このままでは、“見ること”そのものが罪になります」
「でも、見なきゃ何も分からない」
シルヴィアが言う。
「見ても、真実じゃない」
ライネルが応じる。
「見るたびに、現実が歪む」
マリーベルの炎が、静かに揺れた。
アリアは祈りの珠を握りしめた。
「――動かぬはずのものが動く時。
それは、“私たちが信じる力”が、誤った方向へ向かっている証。
この害意を止めるには、見つめる心そのものを浄化するしかありません」
四人は互いを見つめ合った。
敵は石ではない。
“石を動かすほど強い誤認”――すなわち、“人の信念”こそが敵なのだ。
その夜、誰も眠れなかった。
四葉亭の窓の外では、雨が止み、空が光り始めていた。
だが、地の底では、まだ石が息をしている。
静けさの中に、確かに――動く音がした。




