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第0246話 月だけが見ていた

 四葉亭の暖炉の火は、昼を過ぎても眠そうに赤く燃えていた。

 灰の底からくすぶる炭が、ときおりパチリと音を立てて、静まり返った室内にわずかな息づかいを刻む。

 客の声もなく、樽の中のエールも泡を立てるのをやめている。

 まるで、この空間まるごとが「動かぬ石」に変わってしまったかのようだった。


 その沈黙を破ったのは、風の女盗賊シルヴィアの軽い声だった。

「で、ライネル。あんた、さっきの“石像事件”に何か違和感感じなかった?」

 土の騎士ライネルは、肘をテーブルにつきながら、重たげに眉を寄せた。

「違和感、か。……あれはただの呪いだ。村の神殿に祀られていた守護像が、怒りを発して人を石に変えた。よくある話だ」

「でもさあ、“動かないもの”が怒るって、変じゃない? あたし、呪いとかより、誰かが“そう見せてる”気がするんだよね」


 火の女魔法使いマリーベルが、赤い髪を振り乱しながら口を挟む。

「またあなたの妄想でしょ、シルヴィア。私たちは実際に見たのよ。男が、叫びながらその場で石になったのを!」

「見た? 本当に?」

 シルヴィアが声をひそめた。

「ねえ、マリーベル。あんたが見たのは、男が“石になった”瞬間? それとも、“石のように動かなくなった”後?」


 火のような口論が一瞬、凍る。

 沈黙の中で、アリア――水の僧侶が、静かに祈りの手を下ろした。

「……見誤ることは、罪ではありません。けれど、見たと思い込むことは、時に“害”となる。私が思うに、あの石像の呪いは“見誤り”によって動いているのかもしれません」

「見誤り?」

 ライネルが低くうなった。

「つまり、誰かが“動かぬもの”を“動いた”と錯覚し、それが現実に影響している――そういうことか」

「ええ。たとえば、“狸が人間を妖怪と思う”ようにね。誤認の祈りが、動かぬものに命を与えてしまう」


 マリーベルが顔をしかめる。

「そんな馬鹿な話が……」

「けれど実際、石は動いたわ」

 アリアの言葉に、誰も反論できなかった。

 ――あの夜、確かに石像がわずかに首を傾けたのを、全員が見たのだ。



 翌朝、四葉亭の扉が、外の風を巻き込んで開いた。

 砂埃まみれの男が一歩、二歩と踏み込んでくる。

 顔は怯え、両腕で抱え込んでいるのは、黒布に包まれた何か――。


「お願いです、調べてください……」

 掠れた声が、床に落ちるように響いた。

「“動かぬ石”が、私の妻を……!」


 その声に、四人の探偵たちの表情が一斉に変わる。

 新たな依頼人が現れたのだ。


 男は“ラズロ”と名乗った。石工であり、村の聖像を修復していたという。

 だが、ある夜、妻が工房で作業をしている最中に――

 「石像が動いた」と叫び、気づけば彼女は“石化”していた。

 彼女の目は、悲しみにも恐怖にも見えず、ただ「何かを見つめて」いたという。


「その石像を、ここに……?」

 アリアが問いかけると、男は包みを開いた。

 黒布の下には、掌ほどの“顔の欠片”があった。

 血管のような亀裂が走り、まるで呼吸をしているように微かに震えている。


「……まさか、これが」

 ライネルが立ち上がる。

 石は、誰かが見ている間だけ、わずかに動く。

 視線を外せば、ただの欠片。

 ――“動かぬものが、見られることで動く”。


 アリアが小さく呟いた。

「人の“誤認”に、害が芽吹くとき……。

 この石こそ、“人を惑わせる静けさ”の源です」


 四葉亭の空気が、またひとつ、沈む。

 風が止み、火が燃え、土が軋み、水が揺れる。

 四人の属性が、それぞれの疑念を胸に交錯する。


 ――“依頼と代行”とは、他者の想いを背負い、その誤認の重さに耐えること。


 彼らは、その重荷を引き受ける決意をした。

 ラズロの妻を救うために。

 そして、“動かぬはずの石”の真実を暴くために。



 夜更け。

 アリアは一人、聖堂の跡地に立っていた。

 月光が崩れた石像を照らし、影のような涙が床を濡らしている。

 その中心に、“動かぬ石”が置かれていた。


 ――だが。

 石は確かに、息をしていた。


 誰の祈りも届かぬ夜に、静けさの奥から、何かが芽吹こうとしていた。

 “誤認”が、“真実”を生む瞬間を、月だけが見ていた。

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