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第0237話 風が街を通り抜けた

 ――夜が明けきるころ、風が街を通り抜けた。


 廃礼拝堂をあとにした四人は、石畳を踏みしめながら「四葉亭」へ戻っていた。

 朝霧が流れ、街の輪郭はまだ柔らかい。

 露に濡れた路地は、まるで世界が一度だけ涙をこぼしたように輝いていた。


 沈黙のまま歩いていた四人のうち、最初に口を開いたのはライネルだった。

 「……結局、誰が誰を見ていたのだろうな」


 シルヴィアが肩をすくめた。

 「見た者が勝ちってのは、世の常さ。けど、今回のは違ったね。

 あたしたちが“見る”と思ってた間、ずっと“見られてた”。

 数字も、あの女も、礼拝堂さえも、全部“鏡”だったんだ」


 マリーベルが鼻で笑う。

 「笑えない冗談ね。真実を暴くつもりで、結局、自分の影を追ってたなんて」


 「でもね」アリアが静かに言う。

 「影を追っていたからこそ、ようやく“光”が見えたのよ。

 それが、嫌な感情の正体なのかもしれないわ」


 


 「四葉亭」に戻ると、酒場の主アシュレイが、黙って杯を磨いていた。

 彼女は、まるで四人の帰還を予期していたかのように微笑む。


 「おかえり。夜は……長かったみたいね」


 「ええ、少しばかり地獄の底まで。」

 マリーベルが腰を下ろし、ため息とともに炎の杖を床に置く。

 その杖の先には、まだ薄く灰が付いていた。


 「遺産を狙った女は?」とバネッサ。

 シルヴィアが肩の金貨袋を叩いた。

 「金も遺産も、もう消えた。残ったのは――足跡だけさ」


 「足跡?」


 「そう、“密会の折の足跡”。」

 ライネルが静かに答えた。

 「誰かがそこに立っていた証拠。

 だが、誰の足跡かは、誰にも分からない。

 見る者が変われば、足跡の形も変わるからな」


 


 アリアは杯を手に取り、月の残光を透かした。

 「誤認って、きっと祝福に近いものだと思うの」


 「祝福?」マリーベルが眉をひそめる。


 「そう。誰かを“違う誰か”と思い込むのは、悲劇の始まりに見えて、

 本当は“他者を信じたい”という祈りの形だから。

 見る者が見られる者になって、ようやくわかるの。

 “誤認”は、赦しの入口だって」


 ライネルは杯を静かに置いた。

 「……赦し、か。

 ならば、あの女も救われたのかもしれん。

 自分の罪を、他人の足跡の中に置いていったのだから」


 


 そのとき、アシュレイが小さな包みを取り出した。

 「これ、あなたたち宛てに。今朝、誰かが置いていったの」


 包みの中には、一枚の羊皮紙。

 数字が書かれている――だが、それはもう暗号ではなかった。


 1 → 2

 2 → 3

 3 → 4

 4 → ∞


 シルヴィアが目を丸くする。

 「なんだい、これ。足跡の続き?」


 アリアが微笑んだ。

 「いいえ、“これから歩く道”よ」


 


 マリーベルがふと笑った。

 「……あら、あたしたち、まだ続けるつもり?」


 ライネルはゆっくりと立ち上がる。

 「見ることをやめない限り、真実は変わり続ける。

 ならば我々の仕事も、終わらないだろう」


 「はぁ、まったく。土のくせに詩人ぶっちゃって」

 シルヴィアが笑いながら言い、アリアが小さく拍手した。

 その手の音は、朝の光の中で透きとおるように響いた。


 


 アシュレイが、杯に葡萄酒を注ぎながら言う。

 「……あなたたちが探していた“真実”って、どんな味だった?」


 マリーベルが答える。

 「苦くて、熱くて、でもどこか甘いわ。まるで焦げかけた祈りの味ね」


 シルヴィアが笑いながら続ける。

 「風みたいに軽くて、つかまえようとすると逃げちゃう味さ」


 ライネルは深く頷いた。

 「だが確かに、喉を通った。――それで十分だ」


 アリアが囁くように締めた。

 「ええ。真実を祝福するには、それだけで足りるわ」


 


 その瞬間、扉の外で鳥が鳴いた。

 朝日が差し込み、四人の影が床に長く伸びる。

 光の向きが変わるたびに、影が入れ替わる。

 まるで、“見る者”と“見られる者”が再び反転していくように。


 


 アシュレイは微笑んだ。

 「今日も依頼があるわ。“誰かの影を捜してほしい”って」


 「影、ね」マリーベルが呟く。

 「また誤認から始まる仕事か」


 「そうね」アリアが立ち上がる。

 「でも、誤認こそが世界を動かすのよ。

 誰かを見間違えるから、歩き出せる。

 それが“嫌な感情”の祝福なの」


 


 シルヴィアが扉を押し開けた。

 外の風が一気に流れ込み、金貨が一枚、床に転がる。

 転がる音が止んだ先――床の上に、淡い足跡の跡。


 右、左、右。

 それは、誰もいない方向へと続いていた。


 マリーベルが言う。

 「密会の折の足跡……あれは、あたしたちのだったのね」


 ライネルが静かに頷いた。

 「真実を追う者の足跡が、いつも“過去”に残るとは限らん。

 ――今、歩いているこの瞬間こそが、密会そのものだ」


 


 アリアが微笑んだ。

 「そう、見る者と見られる者が出会う“今”が、永遠の密会。

 その足跡が、きっとどこかでまた数字になる」


 シルヴィアが軽やかに口笛を吹き、

 四人は朝霧の街へと歩き出した。


 足跡は、やがて風に消える。

 けれど、風の中には微かに音が残る。


 ――カツ、カツ、カツ。


 四つの足音。

 それは、世界を裏返しながら歩く“探偵たち”の聖なる律動だった。


 

 アシュレイは窓辺からその背中を見送り、静かに呟いた。

 「誤認こそ、真実のかたち。

 あの子たちは、それを生きることを選んだのね……」


 窓の外では、街の朝が始まる。

 人々が動き出し、パン屋の煙突から白い煙が上がる。

 新しい一日が、“見る者”たちを迎える。


 


 その中で、

 礼拝堂に残された灰の上には、ただひとつの数字が風に描かれていた。


 ∞ → 1


 ――世界はまた、最初の誤認に戻ってゆく。

 だがそれは悲劇ではない。

 それこそが、“嫌な感情”を祝福する真実なのだから。


 

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