表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
227/314

第0227話 “愚かな証言”

 灰色の空の下、王都の裏路地にある〈四葉亭〉は、昼から沈黙していた。

 扉を押すと、重い木の香と、昨夜の葡萄酒の残り香が鼻を打つ。

 ライネルは鎧の埃を払いながら、無言でカウンターに腰を下ろした。

 彼の眉間の皺は、外の雨よりも深かった。


 「また、つまらん依頼を引き受けたのか?」

 シルヴィアが椅子の背にもたれ、指先で銀のコインを弄んでいた。

 風の女盗賊の笑みはいつも軽いが、目だけは鋭い。

 「違う。……つまらんどころか、奇妙だ」

 ライネルは低く言った。「目撃者が三人、だが全員、同じ間違いをしている」


 カウンター奥で帳簿を閉じたマリーベルが顔を上げる。

 赤い髪を結い上げた火の魔法使い。短気で情熱的な彼女は、事件の匂いには敏感だった。

 「間違い? どんな?」

 「誰もが“犯人を見た”と言う。だが、その時間、犯人は別の場所にいた。しかも、誰かがそのアリバイを証明している」

 「つまり、目撃者たちの“錯覚”ってわけね」


 「……愚かな錯覚だ。」

 ライネルの声には、怒りとも憐れみともつかない陰があった。

 彼が言う“愚かさ”とは、他人の誤りではなく、自身への苛立ちでもあった。


 アリアが静かにグラスに水を注いだ。

 水属性の僧侶であり、チームの中でももっとも穏やかな彼女は、低く祈るように呟く。

 「誰かの誤解が、誰かを殺すこともある。だから、私たちは調べなければならないのね」


 「依頼人は?」

 シルヴィアがコインを止め、真顔になる。

 「殺されたのは貴族の会計官。依頼に来たのはその妹、クラウディア。彼女は兄が冤罪で死んだと信じている」

 「冤罪……つまり、犯人はまだ別にいる」

 「いや、犯人は――アリバイによって守られたままだ」


 マリーベルが立ち上がる。「いいじゃない、そういう歪んだ事件。燃えるわ」

 ライネルはため息をつく。「燃やすな」

 「冗談よ。でも……こういうときの“証言”って、怖いわね。人の目なんて、あてにならない」


 外の雨音が強くなる。

 アリアが窓越しに街を見た。「雨が、記憶を濁らせるのかもしれない」


 ――彼らは翌朝、現場へ向かった。


 事件現場は〈黄金の秤〉と呼ばれる商館跡。すでに閉鎖され、板で打ち付けられた扉には、王都警邏隊の封印が残る。

 シルヴィアが鍵を器用に抜き取る。

 「ちょいと失礼」

 木の扉が軋む。冷たい埃の匂いが流れ出す。


 内部には、崩れた書類棚、割れたインク瓶、血の滲む床。

 そして壁際には、事件の夜、誰もが“見た”という黒い影の痕跡が残っていた。

 アリアが指でなぞる。「焦げてる……魔術の残留かも」

 マリーベルがすぐに詠唱を始める。赤光が床を照らすと、焦げ跡が淡く揺れ、そこに“誰かの幻影”が映し出された。


 ――剣を振り下ろす男の影。

 だが、その顔は曖昧で、輪郭が崩れている。

 「これが“目撃された犯人”……?」

 シルヴィアが眉をひそめる。「輪郭がぼけてる。これ、幻覚の投影じゃない?」

 ライネルは無言で剣の柄に触れた。「いや、これは“誰かの錯覚の記録”だ」


 「錯覚を記録?」マリーベルが驚く。「そんなこと、できるの?」

 「人の恐怖や誤解は、魔力の波として残る。特に、強い感情があった場合はな」

 アリアがうなずく。「まるで……感情がこの場所を縛ってるみたい」


 風が吹き抜けた。

 黒い影が揺れ、誰かの声が残響する。

 ――「あの人よ、間違いないの」

 女の声。三人の証言者のひとりだ。


 シルヴィアが口笛を吹いた。「これが“愚かな証言”の証拠ってわけね。まるで亡霊が嘘をついてるみたい」

 「亡霊……」

 ライネルは目を細める。「そうだ。まだこの事件には“生きている霊”がいる。生霊いきりょうだ」


 〈四葉亭〉に戻ると、そこには先客がいた。

 茶色の外套をまとった男、探偵ドルグ。

 冷徹な灰色の瞳が、ライネルたちを見据えている。

 「おやおや。君たちもこの事件を?」

 「ドルグ……またお前か」

 マリーベルが不快そうに呟く。


 ドルグは笑った。「目撃者三人。全員が同じ方向を指さした。それが間違いなら、何が真実だ?」

 「錯覚だ。だが、それを誰が起こしたかは別の話だ」

 「錯覚を操る者、というわけか。面白い」

 彼の声には冷たい愉悦が混じっていた。


 「ライネル、気をつけな。あいつ、また誰かを利用する気だ」

 シルヴィアの囁きに、ライネルは短く頷いた。

 「ドルグ、お前の目的は何だ?」

 「真実だよ。ただし――人の“間違い”にこそ、それが宿る」


 その言葉は、皮肉でもあり予言でもあった。


 夜。

 アリアは宿の部屋で、灯りを落としたまま祈っていた。

 夢の中で、彼女は誰かの声を聞いた。

 ――「見たの。確かに見たの。血の剣を……」

 女の声は震え、涙を含んでいた。

 「でも……その顔を、覚えていないの」


 目を覚ますと、額に冷たい汗。

 アリアは呟いた。「この“錯覚”は……彼女たちの罪じゃない。何かが、見せている」


 翌朝、ライネルたちは再び現場へ。

 焼け焦げた床の下から、小さな銀の鏡が見つかった。

 裏面には古い刻印――“契約”の印。

 マリーベルが呟く。「これ、悪魔との契約印……でも、逆向きに刻まれてる」

 「逆・契約……?」ライネルが目を細める。


 それは“悪魔が人間の望みをかなえ、人間が魂を与える”という契約の反転。

 つまり――

 「人間が悪魔の望みを叶え、代わりに“悪魔の魂”をもらう契約……?」

 アリアが青ざめた。「そんなこと、あり得ない……」

 シルヴィアが低く笑う。「いや、だからこそ、あり得るのさ。この街じゃ」


 事件の糸は、徐々に複雑に絡みはじめていた。

 “愚かな証言”は、錯覚ではなく、意図された幻視かもしれない。

 そしてその裏で、“誰かの魂”が、逆さまに動き出していた。


 〈四葉亭〉の灯が揺れる。

 ライネルはグラスの中の水を見つめながら、低く言った。


 「俺たちは……愚かさの中に、真実を見ることになるのかもしれない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ