第0225話 小さな音楽
四葉亭の扉を押し開けると、春の光が柔らかく差し込み、石畳に淡い橙色の模様を描いていた。
扉の鈴の音が、まるで久しぶりの再会を告げる合図のように響く。
ルシアンはカウンターに座った。
かつての怒りは静まり、幻の色を残しながらも、確かに生としての温もりを帯びていた。
彼の瞳は、かつて抱えていた復讐の炎ではなく、淡い光を宿している。
ライネルは、重い鎧を脱ぎ、樽から注ぐ酒に手を伸ばす。
「……無事に戻ってきたか」
その声は低く、だが安堵を滲ませていた。
シルヴィアは窓際に腰かけ、指先で硬貨を弄びながら笑った。
「ねえ、幻でも戻って来れるのね。やっぱり世界は、少しだけ柔らかい」
マリーベルは炎の髪を揺らし、杯を掲げる。
「怒りを超えたあんたを祝うわ。やっぱり、私たちの仲間は最後に強い」
アリアはそっとロザリオを握り、静かに祈った。
「嫌な感情も、赦されたのですね。幻も、生も、すべてが祝福されるべきもの」
ルシアンはゆっくりと杯を手に取り、仲間たちと目を合わせた。
「俺が“あり得ぬこと”として生きるなら、ここにいる皆も、共に祝うべきだろう」
その瞬間、四葉亭の奥から小さな音楽が流れ始めた。
誰かが指で弦を弾くような、柔らかな旋律。
まるで、過去の怒りと復讐の残響が、喜びに変わるように。
外では春風が舞い、街の人々の笑い声が聞こえる。
石畳の水たまりに映る陽光は、まるで色とりどりの花のように揺れていた。
ルシアンはそっと息をつき、言葉を紡いだ。
「幻であっても、俺は生きている。
復讐は終わった。怒りは癒えた。
あり得ぬ自分として、これからはこの瞬間を生きる」
ライネルが杯を軽く掲げる。
「現実も幻も、祝福すべきものだな」
シルヴィアが笑って頷く。
「じゃあ、次のあり得ぬことも、一緒に楽しもうか」
マリーベルは少し怒ったように、しかし微笑みを隠さずに言った。
「怒らずに楽しむなんて、やっぱりあなたも変わったわね」
アリアが小さく息をつき、全員の手を見つめる。
「嫌な感情があったからこそ、今の祝福があるのですね」
ルシアンは四人を見渡し、静かに杯を掲げた。
「俺たちの歩み――幻も現も、祝福に変えてみせる」
春の光と風が四葉亭を満たす。
そして、あり得ぬことを成し、あり得ぬ自分を知った男と、
その周囲の仲間たちの微笑が、確かに世界に刻まれた。
街の鐘が鳴る。
日常と非日常の狭間で、嫌な感情は静かに溶け、祝福の余韻だけが残る。
――こうして、復讐も怒りも疑念も、すべてが祝福に変わったのだった。




