第0220話 “帰らせないように射る”
遺跡の入口は、街の外れにある小さな丘の上にあった。
草に埋もれた石段を上ると、風が囁く。
まるで死者の声が耳元で歌っているようだった。
シルヴィアが軽く笛を吹きながら言う。
「ねえ、英雄の踵を射るって、変な表現よね。
普通は心臓とか、頭を狙うものでしょ?」
アリアが答える。
「踵は“旅の終わり”の象徴。足を止める場所……神への帰還の印とも言われているわ」
マリーベルが鼻で笑う。
「つまり“帰らせないように射る”ってこと? 随分皮肉ね」
ライネルは黙って階段の最上段に立ち、呟いた。
「その矢が、英雄を死に止めたのか。
それとも、生の幻に縛りつけたのか――」
風が強くなった。
扉が軋み、古代神殿の闇が口を開ける。
中は、異様な静けさだった。
壁に刻まれた文様は、半ば崩れかけ、祈りの言葉が血のように滲んでいる。
祭壇の中央には、黄金の矢が一本、突き立っていた。
アルトはそれを見た瞬間、息を呑んだ。
――その矢尻の欠け方を、知っている。
かつて、父が持っていた遺品。
矢を射た男の証。
そして、父を殺した“仇”の象徴。
「これだ……間違いない。父を殺した矢だ」
マリーベルが慎重に近づく。
「待って、触らないで。魔法の痕跡がある」
彼女が詠唱を始めると、空気が微かに揺れた。
炎の幻が立ち上がり、祭壇の前に“影の像”が現れる。
それは――英雄の姿をした男だった。
しかし、その顔はアルト自身と瓜二つ。
アリアが震える声で呟いた。
「……まさか、あなたが……英雄の再生……?」
シルヴィアが目を細める。
「つまり、仇を討とうとしてるあんた自身が、
“討たれた英雄”の姿をしてるってわけ?」
アルトはその言葉を聞き、膝がわずかに震えた。
否定したい。だが、幻の表情があまりに自分と似すぎていた。
そのとき、炎の像が口を開いた。
『我が踵を射た者を、討て。さすれば我は完全となる』
低く響く声。
幻の英雄は、まるで操り人形のように同じ言葉を繰り返す。
“討て”――“完全となる”――“討て”。
マリーベルが顔をしかめた。
「これは呪いよ。誰かが英雄の魂を、仇討ちの循環に閉じ込めてる」
ライネルが剣の柄に手を置き、アルトに向き直る。
「お前が信じてきた仇討ちは、誰かの仕組んだ幻かもしれん」
アルトは叫ぶ。
「ふざけるな! あの夜、父は――この手で抱いたんだ!
血の温もりが、幻だというのか!」
沈黙。
誰も答えない。
ただ、遠くで風が泣く。
アリアがそっと彼に手を伸ばした。
「……痛みは、本物よ。幻でも、痛みを知るなら――」
「違う!」アルトはその手を振り払った。
「俺は幻なんかじゃない! 俺は……!」
そのとき、祭壇の光が激しく明滅した。
黄金の矢が揺れ、空間がねじれる。
アルトの視界が崩れ、四葉亭の仲間たちの声が遠ざかる。
――父の声が聞こえた。
(討て。討て。討てば、救われる)
「父さん……?」
次の瞬間、彼の足元に裂け目が開いた。
無数の亡者の手が伸び、踵を掴む。
冷たい指が皮膚を裂き、血が流れる。
「やめろ……やめろぉ!」
シルヴィアが鞭を投げ、アリアが祈りを叫び、マリーベルの炎が爆ぜる。
ライネルが剣を振り抜き、幻の腕を断ち切った。
闇が裂け、風が吹き抜ける。
全てが静まり返った。




