第0016話 あの像が歩いた
酒場《四葉亭》のランプが、夕暮れの橙色に揺れていた。
昼間の祠で見た異様な光景――逆さに並ぶ巨大な足跡と、
泥にまみれた神像の足裏――は、探偵団の四人を重苦しい沈黙に包んでいた。
最初にその沈黙を破ったのはシルヴィアだった。
「で、どうする? 俺はもう決めたよ。あの像が歩いたんだ」
ユリシアが椅子から跳ね上がりそうになる。
「やめてください! そんな……それじゃ、
本当に神様が罰を下しているみたいじゃないですか」
シルヴィアはグラスを傾けながら肩をすくめた。
「事実を見ろって言ってんだ。足の裏に泥がついてた。
動いた痕跡もあった。なぁライネル?」
ライネルは腕を組み、考え込んだままグラスに口をつけなかった。
「確かに……何者かが像を動かした形跡はある。
ただ、それが“神の御業”とは考えたくない」
マリーベルが机を拳で叩く。
「当然でしょ! 神様が動いただなんて迷信に付き合ってられるか。
誰かが仕掛けたに決まってる」
彼女は腰の剣を軽く叩きながら、声を荒げる。
「石像を動かした。大きな板で足跡をつけた。
そういう手品をやれる奴がいるってこと。私たちはそいつを追えばいいのよ」
「でも……」
ユリシアが小さく反論する。
「村人の証言では、昨夜“誰も近づけなかった”って……。
祠の周りには灯もなかったはずです」
「証言なんて当てにならない」
マリーベルは一蹴する。
「人は怯えてたら、見てもないものを“見た”って言うし、
逆に“見たのに見なかった”って言うこともある。
迷信に踊らされるくらいなら、
冷静に犯人を疑う方がマシよ」
「うわ、出た。堅物の正論」
シルヴィアが皮肉っぽく笑い、ワインを一口。
「でもさぁマリーベル。もし本当に人間業じゃなかったらどうする?
俺たち、神に挑むことになるぜ?」
「上等よ」
マリーベルの瞳が、炎のように揺れた。
「たとえ相手が“神”だろうと、村人を脅かす存在なら叩き斬るまでよ」
「物騒だなぁ」
シルヴィアは笑ってみせるが、その笑みにもどこか影が差していた。
ライネルはそんな二人を見やり、深く息を吐いた。
「意見をまとめよう。像を動かしたのが人間かどうかは、まだ断定できない。
ただ、誰かがあの祠に関与していることは間違いない。
――僕は“証拠”を重視したい」
「証拠……」
ユリシアが呟く。
「でも、今のままでは祠に残っていた痕跡しか……」
「いや」
ライネルは静かに首を振る。
「もっと大事なのは、“足跡の逆さ”という事実だ。
人為的に作ったなら、なぜわざわざ逆に並べた?
あれはただの脅しや演出ではない」
その言葉に、場が再び沈黙する。
誰もすぐに答えを返せなかった。
やがて酒場の外で、犬の遠吠えが聞こえた。
その声に、ユリシアが小さく肩を震わせる。
「……まるで呼ばれてるみたいです」
ライネルは彼女をちらりと見やり、言葉を飲み込んだ。