第0155話 試練の名前
空気が震え、地下空間は深い闇に包まれていた。
雷鳴は耳をつんざき、雨音は遠くでひびき、まるで世界の中心で時が引き裂かれているかのようだった。
「来るぞ」
ライネルの声が低く響く。剣先が微かに震え、石壁に反射した。
逆・雷公の生き肝はゆっくりと姿を現した。
それは人の形を持ち、身体の随所から雷光が迸る。肝臓の部分は黒く膨れ上がり、血のように脈打っていた。呼吸のたびに雷鳴が漏れ、周囲の空気を裂いていく。
「……これは」
マリーベルが呟く。
「単なる儀式の守護者ではない。生きた障害そのものよ」
アリアは膝を折り、手を胸に当てて深く祈った。
「嫌な感情……恐怖、憎しみ、それがここに凝縮している」
シルヴィアは短剣を軽く振り、風の刃を生み出す。
「俺には……面白い獲物だな」
その言葉に笑いはなく、真剣さだけが滲んでいた。
バネッサは視線を固定し、静かに剣を握り直した。
胸の奥で、嫌な感情が波のように打ち寄せる。
恐怖、疑念、怒り……それらは彼女の意思を揺さぶった。
しかし今、彼女の中でひとつの覚悟が固まる。
「私は……止める」
バネッサは低く、しかし確かな声で言った。
「この儀式も、障害も……逃げるわけにはいかない」
その言葉と同時に、彼女の胸中で何かが弾けた。
雨の音が地下に響き渡り、空間を揺るがす。
それは、まるで天が彼女の決意を試すような合図だった。
ライネルが踏み込み、剣を振るう。
炎を纏ったマリーベルが叫び、光を放つアリアが祈りを重ねる。
シルヴィアの短剣が風を裂き、バネッサの一撃が雷光を貫く。
障害は轟音と共に崩れ、地下の闇に溶けていった。
そして残されたのは、濡れた石板と、そこに刻まれたひとつの言葉。
――「雨牢」
バネッサはその言葉を見つめ、掌に力を込める。
「……これが、私の試練の名前ね」
仲間たちは息を整え、疲れた表情で彼女を見た。
しかしその視線には確かな賞賛と覚悟が宿っていた。
外の闇はなお深く、雷鳴は遠くで続いている。
雨は止まない。
バネッサは階段を見上げ、仲間と共に立ち上がった。
「行くわ。私たちの答えを見つけるために」
雨は牢となり、彼女たちを試し続ける。
そして彼女の胸には、次なる問い――「嫌な感情を祝福する」ための覚悟が芽生えていた。