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第0014話 石畳の路地

石畳の路地は、夜霧と雨でさらに重苦しさを増していた。

 依頼者に案内され、一行は足跡が残るという現場へと歩を進める。

 酒場を離れた途端、街の喧噪はすぐに遠ざかり、湿った靴音だけが響いた。


「……ここです」


 依頼者が震える声で告げ、路地の奥を指さす。

 薄暗い灯りに照らされ、確かに一列の足跡が浮かび上がっていた。

 雨に濡れてなお、輪郭ははっきりしている。

 しかしそれは、あたかも人が逆さに歩いたかのように、踵が前に、つま先が後ろに並んでいた。


「こりゃあ……」

 シルヴィアがしゃがみこみ、足跡を指先でなぞった。

「完全に逆さ。わざとつけたにしては精度が高すぎるわね。普通の人間じゃ無理」


「魔術の痕跡を感じる」

 マリーベルが指先に小さな炎を宿し、周囲の気配を探った。

「でも……不自然なほど薄い。魔法で逆さにしたなら、もっと力の残滓があるはずよ」


 ライネルは膝をつき、路面を丹念に観察する。

 石畳に入り込んだ泥、靴の縫い目。細部までも逃さぬよう、目を凝らした。

「……この足跡、実際に人が歩いた跡だ。幻術や投影じゃない。だが、方向が……反転している」


「反転……?」

 アリアが静かに首を傾げる。

「人の行為を、逆さに映す……。それはまるで――神の奇跡を模したかのよう」


「神なんて関係ないわ」

 マリーベルが吐き捨てるように言った。

「これは誰かの意図よ。まぎれもない悪意」


 シルヴィアは路地の周囲に目を走らせ、口角を上げた。

「ふふ。なら、その悪意がどこから来たのか探ればいいのよ。さ、ゲーム開始ね」


 四人は足跡を辿りながら、路地を奥へと進んでいった。

 しかし辿れば辿るほど、奇妙なことがわかった。

 足跡は途中で唐突に途切れ、霧の中に溶けるように消えていたのだ。


「……ここで終わっている」

 ライネルが眉をひそめる。

「前に進んだ形跡も、壁を越えた痕跡もない」


「つまり」

 シルヴィアが指を鳴らした。

「後ろ向きに歩いて来て、この地点で消えた……そう読めるわね」


「ふざけるな!」

 マリーベルが思わず叫ぶ。

「後ろ向きに歩くなんて器用な真似、誰ができるっていうの!?」


 アリアは小さく目を伏せ、囁くように言った。

「……人が逆さに歩むなど、あり得ない。けれど……あり得ないことが起こるのが、この街の闇なのです」


 その瞬間、背後の霧の奥で何かがかすかに動いた。

 ライネルが即座に振り返り、剣の柄に手を掛ける。

 しかし見えたのは、黒猫が一匹駆け抜ける影だけだった。

 霧のせいか、街の奥から人影が揺らめいた気もする。だが次の瞬間には消えていた。


「誰かに見られてるわね」

 シルヴィアが目を細める。

「面白くなってきた……」


「警戒を怠るな」

 ライネルの声は低く重い。

「この足跡、そして依頼者。全てが罠である可能性もある」


 依頼者の男はびくりと震え、慌てて首を振った。

「わ、私はただ……助けを求めただけで……!」


 マリーベルは依頼者を睨み、炎を散らしながら叫ぶ。

「本当にそうかしら? アンタの家、何か隠してるでしょ!」


「やめてください、マリーベルさん」

 アリアが間に入り、依頼者の肩にそっと手を置く。

「怯えているのは本当です。責めても答えは出ません」


 酒場に戻ったのは、夜更けを過ぎた頃だった。

 霧に濡れた外気から解放され、暖かなランプの灯りに包まれる。

 しかし四人の表情は険しいままだった。


 ライネルは卓上に書類を広げ、足跡の写しと現場の記録を並べる。

「逆さの足跡。実際に歩いた跡。途中で消える……。どう解釈する?」


「誰かが時間を反転させた、とか?」

 シルヴィアがからかうように笑う。

「後ろ向きに歩いたって説明よりは筋が通るでしょ?」


「そんな馬鹿な話――」

 マリーベルが言いかけ、ふと押し黙った。

 あり得ないことが起きる、それがこの街であることを彼女も理解していたからだ。


 アリアは小さく祈りを捧げるように目を閉じた。

「……誰もが影を抱えています。依頼者もまた、その一人。逆さの足跡は、人の心を映す鏡なのかもしれません」


 ライネルは深く息をつき、杯を手に取った。

 その眼差しは暗く沈み、しかし確かな決意を宿している。

「この事件……ただの奇妙な足跡ではない。もっと深い闇に繋がっている」


 酒場の喧噪は相変わらずだった。

 だがその中に紛れ、彼らの耳には確かに、外から忍び寄る足音が聞こえていた。

 霧の夜に新たな影が迫る。

 逆さの足跡は、嵐の前触れにすぎなかった。

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