第0013話 にせの足跡
霧に濡れた石畳の路地を、雨粒が淡く反射していた。
街灯の火がぼんやりと揺れ、濃い霧に呑み込まれるように光を失っていく。湿り気を帯びた夜の空気は、どこか不穏で、酒場の扉の向こうから漏れる喧噪すら霞ませていた。
ライネルは路地の柱にもたれ、鋭い目で周囲を観察していた。
頑強な体躯に無骨な鎧を纏う彼は、土の属性を帯びた騎士であり、性格はその鎧のように重く堅牢だ。闇の一つひとつまで確かめずにはいられないその慎重さは、仲間たちにとっては頼もしくもあり、時に鬱陶しいものでもある。
「……今夜も、何か面倒なことが降ってくる気配だ」
低くつぶやく声に、ふわりと風を裂くような笑い声が返った。
シルヴィアが路地を抜け、軽やかに酒場の扉を開ける。
長いコートの裾をひらひらと翻し、気ままな笑みを浮かべる彼女は、この探偵団の情報屋にして風の魔術師。ちゃらんぽらんに見えるが、嗅ぎ回ることと読み解くことにかけては右に出る者はいない。
「ふわっ……また厄介な事件の匂いがするわね」
彼女の軽口に、酒場の奥から机を叩く音が響く。
マリーベルが立ち上がり、燃えるような瞳を仲間へと向けていた。
赤毛を無造作に結い、指先には常に炎の気配を漂わせている。火の魔術師にして突撃役。冷静な観察よりも直感と勢いを信じ、力でねじ伏せることを好む。
「魔法の準備は万端よ! 何が起ころうと、私の火力でねじ伏せてやるから!」
その威勢に、酒場の空気が一瞬だけ張り詰めた。
すぐさま、柔らかな声が割って入る。
「皆さん、どうか穏やかに……私は静かに見守ります」
白い衣をまとったアリアが、祈るように両手を組んで微笑んだ。
彼女はこの探偵団の癒し手であり、光の神官。争いより調和を好み、仲間の衝突を和らげるのが常だ。
その静謐な佇まいは、どれほど険悪な場にも一筋の光を差し込む。
四人が揃ったその場に、今夜の依頼者が現れた。
薄暗いローブに身を包み、肩を小刻みに震わせる男。
声を絞り出すように告げる。
「……足跡が……逆になっているのです」
酒場のざわめきが一瞬だけ静まり、仲間たちの視線が依頼者に集中した。
男は震える手で書類を広げる。そこには雨に濡れた路地の写しと、逆さに並んだ奇妙な足跡の記録があった。
ライネルは黙り込み、じっとその書類を凝視した。
重い瞳が、一つひとつの細部を逃さぬように追っていく。
やがて低く唸った。
「……枷だな。慎重にならざるを得ない」
シルヴィアが肩をすくめ、軽快に笑った。
「また変な足跡ね。逆さだなんて……でも、面白そうじゃない」
マリーベルは机に拳を落とし、苛立ちを露わにした。
「ふざけてるの!? 誰がそんな真似を……! ぜったいに怪しい魔術師の仕業よ!」
アリアは小さく首を振り、祈るように呟いた。
「人の歩みを逆さにするなんて……常軌を逸しています。どうか無事でありますように」
霧が窓を覆い、街灯の光を揺らしていた。
その影の下、確かに足跡は逆行するかのように路地へ刻まれている。
前に進んだはずの足取りが、なぜか後ろへと続いていく。
その不気味さが、酒場の空気に重くのしかかった。
ライネルは椅子を引き、立ち上がる。
その姿に仲間たちも次々と腰を上げた。
奇妙な逆さの足跡の謎を解き明かすため、四人は再び暗闇の路地へと歩みを進めていく。