第0124話 波止場から漂ってくる潮の匂い
港町の石畳には、いつもより濃い夜霧がまとわりついていた。
波止場から漂ってくる潮の匂いは、霧の冷たさと混じり合い、どこか血のような鉄臭さを帯びている。
その夜――「不死身の怪物が殺されかけた」という噂が町じゅうを駆け巡った。だが、誰も怪物の死体を見てはいない。ただ犠牲者が一人、路地裏で斬り裂かれ、無残に転がっていたのだ。
噂と恐怖が、霧の中で人々の声を膨らませる。
――斬られても死なぬ怪物。
――返り討ちにされた哀れな挑戦者。
――怪物の唯一の弱点は、足にあるらしい。
酒場「四葉亭」の扉がきしみを上げて開いた。木造の梁に煤けたランプが吊るされ、煮込み肉の匂いと酒の香りが充満している。ここは探偵団の拠点であり、常連たちが事件の真相を待ち望む場所でもあった。
奥の丸テーブルでは、四人の影が酒杯を傾けていた。
「また厄介な噂が出てきたもんだな。」
低く、重い声を発したのは土属性の騎士ライネルだ。漆黒の髪を背に流し、鋼の鎧を身にまとっている。彼の目はどこか陰鬱で、常に暗い影を宿していた。
「不死身だと? そんなものは気味が悪いだけだ。壊れぬものは必ず歪む。」
「おいおい、ライネル。」
肩をすくめ、パンをちぎって口に放り込むのは風属性の盗賊シルヴィア。鮮やかな緑のマントを羽織り、口元にはいたずら好きな笑みを浮かべている。
「人が死なないなら、それはそれで便利じゃないか。永遠に賭け事だって楽しめるんだぜ?」
「ふざけてんのか!」
テーブルを叩いたのは火属性の魔法使いマリーベル。赤髪がランプに照らされ、怒りに揺らめく炎のようだった。
「どんな奴だろうと、不死なんてムカつく! 死ねないなんて卑怯じゃない!」
「……でも。」
小さく震える声を出したのは水属性の僧侶アリアだった。
薄青のローブをまとい、寂しげな瞳を落とす。
「ひとりで生き続けるなんて、どんなに孤独だろう。誰とも別れられず、誰にも理解されず……。」
四人の意見は交わらず、重たい沈黙が落ちる。
霧の夜を歩む不死の影。その存在が、彼らそれぞれに嫌な感情を呼び覚ましていた。
そのとき、酒場の扉が再び開いた。
分厚い外套をまとった男が姿を現し、ざわめく客たちを押しのけてテーブルへと進む。
「……領主様よりの使者だ。」
男は低く告げ、巻物を取り出した。
「町の治安を乱す怪物の真偽を暴け、とのお達しだ。不死身の噂が真実ならば、弱点を探り出し報告せよ、と。」
ライネルは眉をひそめ、シルヴィアは軽口を飲み込み、マリーベルは椅子から半身を乗り出し、アリアは小さな祈りの印を胸に描いた。
四人の探偵団に課せられた新たな調査。
――不死身の怪物。
――唯一の弱点。
――そして、足に残された謎の影。
霧の濃さが、今夜の事件の重苦しさを物語っていた。