第0100話 明日、劇場へ
鏡の破片を片付ける酒場の給仕の動きが、やけに遅く見えた。
ざわめきは次第に収まり、客たちは恐怖を酔いに紛らわせようと、再び杯を掲げ始める。
しかし四人の卓だけは、重苦しい沈黙に閉ざされていた。
ライネルが羊皮紙を懐にしまい、静かに言った。
「……まずは、この暗号の出所を探る必要があるな」
「座長の劇団、だね」シルヴィアが片眉を上げる。
「街外れの古い劇場に拠点があるって噂は聞いたことがあるけど……」
マリーベルは炎を指先で弄びながら、不敵に笑った。
「舞台なんざ、燃やしてしまえば幕も虚構も全部炙り出せる」
「やめてください」アリアがかぶりを振る。
「燃やすだけでは、真実は灰に埋もれてしまいます。
……私たちが探すべきは、舞台の奥に隠された“純粋さ”なのです」
言葉の調子は柔らかいが、寂しげな声に強い芯が宿っていた。
マリーベルは一瞬口をつぐみ、やがて肩をすくめる。
「ふん、説教臭い僧侶め」
「まぁまぁ、仲良くやろうじゃないか」シルヴィアが軽口を叩く。
「暗号も怪物も、きっと舞台の台本みたいなものさ。
ならば、私たちが幕の裏側を覗いてやればいい」
ライネルはうなずき、重々しく結んだ。
「決まりだ。明日、劇場へ向かう」
そのとき、酒場の奥で旅芸人が再び口笛を吹いた。
数字の旋律は途中で逆さに折れ曲がり、まるで虚構と真実がねじれ合うかのように消えていく。
四人はそれぞれの思惑を胸に抱きながら、杯を空にした。
燭火が揺れ、割れた鏡の欠片に怪物の影が一瞬だけ映り込む。
それが幻か現実か、誰にも判断できないまま――夜は更けていった。