第0001話 パーティ結成
酒場「四葉亭」の夜は、いつも喧騒に包まれている。木製の梁に吊るされた燭台が炎を揺らし、獣脂の匂いと汗の臭気が充満していた。
土属性の騎士、ライネルは、その片隅で無言のまま酒をあおっていた。かつては主君に仕えていた身だが、今は祖国もなく、ただ己の影の中で生きている。鉄の篭手に刻まれた古い傷跡をなぞりながら、彼は人々の笑い声から遠ざかるように盃を傾けた。
「おや、随分と渋い顔して飲んでるね」
軽やかな声が不意に降ってきた。顔を上げると、黒いマントを羽織った女盗賊が、カウンター越しに片肘をついて笑っていた。風のように掴みどころのない微笑み。
「そんなに暗い顔してたら、酒が泣いちゃうよ。ねえ、名前は?」
「……関係ないだろう」
ライネルは目を伏せたが、女は飄々と席に腰掛けてしまう。
「私はシルヴィア。鍵と財布を開けるのが得意さ。あんたみたいな硬い男には、ちょっと風が必要だろ?」
からかう調子に、ライネルは眉をひそめるだけで返答をしなかった。
その時、反対側の席から怒声が上がった。
「この私に向かって“安酒臭い小娘”だと!? 貴様、二度と口が利けぬようにしてやろうか!」
立ち上がったのは、紅のローブを纏った女魔法使い。椅子を蹴り飛ばし、火花を指先に散らしている。相手の酔漢が慌てて下がるが、女の怒りは収まらない。
「おいおい、火を出すなって! ここは酒場だぞ!」
「うるさい! 侮辱は炎で清めてやる!」
周囲の客がざわめく中、白い修道服の影が駆け寄った。
「やめて! お願い、落ち着いて……!」
必死の声で女魔法使いの腕を押さえたのは、水の僧侶――アリアだった。青い瞳に涙を滲ませながら、彼女は必死に火を止めようとする。
「こんなことで争わないで……怖いの、誰かが傷つくのは……」
ライネルは嘆息し、席を立った。剣の柄に手を置き、魔法使いと酔漢の間に立ち塞がる。
「やめろ。火を使えば死人が出る」
低く押し殺した声に、紅の魔法使いは一瞬たじろぐ。だがすぐに睨み返した。
「あなたに命令される筋合いはない!」
「ならば、俺の盾の後ろで勝手に暴れるか?」
重苦しい沈黙。やがて彼女は舌打ちし、炎を消した。
空気が安堵に揺らぐ。だがその瞬間、酒場の扉が乱暴に開かれた。
赤い狼の紋章を掲げた傭兵団が雪崩れ込む。大声で笑いながら、近くの村娘を引きずり出した。
「へっ、今夜の酒代はこいつで稼ぐとするか!」
娘の悲鳴に、アリアが蒼ざめて叫んだ。
「だめ! 誰か助けて!」
ライネルは剣を抜き放った。鈍い鉄の音が酒場を震わせる。
「……面倒だが、見過ごすことはできん」
次の瞬間、シルヴィアは素早く傭兵の背後に回り、短剣を喉に突きつけていた。
「うふふ、悪党の財布は軽くするのが礼儀だろ?」
火の魔法使いも口角を吊り上げ、詠唱を開始する。
「燃えろ、灰になるまで!」
そしてアリアは震える声で祈りを捧げた。
「どうか、この人たちを守ってください……!」
ぎこちなくも、四人の力は一つに重なった。短い乱闘の果て、傭兵団は酒場から叩き出され、娘は解放された。
娘の父親が駆けつけ、土下座する勢いで頭を下げる。
「どうか……村を救ってくれ! 盗賊どもが我らを襲っているんだ!」
ライネルは逡巡した。流浪の身に、誰かを救う義務はない。だが隣でアリアが潤んだ瞳を向けてくる。
「……一人では、怖いの。だから、一緒に……」
その言葉が、胸の奥に沈んだ石をわずかに揺らした。
炎は好戦を求め、風は笑いながら儲けを数え、水はただ寄り添おうとする。
――そして、土は重苦しい足を一歩前へと踏み出した。
「いいだろう。俺が剣を振るう。……だが勝手な真似は許さん」
三人はそれぞれに笑みを浮かべ、うなずいた。
こうして奇妙な四人の一団が結成された。酒場を出る彼らの背を、吟遊詩人が興味深げに見つめ、静かに竪琴の弦を鳴らす。
その旋律は、やがて「四元素の英雄譚」と呼ばれる物語の序章となるのだった。