戦没した妹の遺した約束
挿絵の画像を作成する際には、ももいろね様の「もっとももいろね式女美少女メーカー」を使用させて頂きました。
堺県岸和田市の一角で我が友呂岐家が代々暖簾を守っている銭湯の「ともの湯」では、決してコーヒー牛乳を欠かさないように常日頃から心掛けている。
何故なら、それは家族に纏わる大切な約束に関わっているからなんだ。
我が家に送り届けられた真新しい白木の箱は、思っていた以上に軽かった。
「随分と小さくなってしまったね、誉理。だけど、よく帰ってきたね…」
白木の箱を受け取った母は涙こそ堪えていたが、その声は微かに震えていた。
まだ二十歳にも満たない娘に先立たれた父親としては、それも道理だろう。
僕だって、居間に掛けてある妹の写真と目が合うと思わず涙ぐんでしまうんだもの。
額装された写真の中の妹は、通っていた岸和田の市立中学の制服である黒いセーラー服に身を包んで無邪気に笑っていた。
−こうして中学を卒業した以上、民間人としての友呂岐誉理とも決別しなきゃな。何しろ今年の四月から、私は皇国を御守りする帝国軍人になるんだからね!
そんな希望と情熱に燃えていた妹も、今では白木の箱に収まる姿になってしまった。
だが、「軍人にさえならなければ…」等と不平を言う気にはなれなかったし、言う訳にもいかなかった。
先の戦争で命を落としたのは妹だけではないし、生きて皇国の土を踏めた妹の戦友達も別離の悲しみに耐えているのは同じなのだから。
こうして僕達家族は、戦地から無言の帰宅をした妹を迎え入れたのだ。
中学卒業間際に受けた徴兵検査で適正を認められた妹は、職業軍人を目指すべく陸軍士官学校へ入学した。
士官学校では大勢の友人に恵まれたらしく、定期的に送られてくる手紙には友人達との楽しい出来事が綴られていた。
しかしユーラシア大陸の戦地から届けられた最後の手紙だけは、少しだけ様子が違っていた。
−死と隣り合わせの戦場にいる以上、万一の事は考えておかなければなりません。そこで言付かって頂きたいのですが、大日本帝国陸軍女子特務戦隊の将兵が私を訪ねるついでに「ともの湯」に入湯したなら、コーヒー牛乳をサービスしてあげて欲しいのです。士官学校時代からの友達と約束したのですが、もしもの場合には件の約束が果たせなくなる事に思い至りました。たとえ私の身に万一の事があろうとも、戦友達との約束は果たしたく思うのです。
遺骨から数日遅れる形で届いた妹の最後の手紙には、そんな遺言のような文面が記されていた。
「分かったよ、誉理…誉理と戦友達との約束は僕達家族が必ず果たしてみせるから…」
こうして僕は手紙を握り締めながら、両親の元へ駆け出したんだ。
娘の誉理を失った悲しみを仕事で紛らわそうと、両親は家業である銭湯の営業を葬式の翌日から再開させていた。
「どうしたんだ、誉司?そんな慌てて駆け込んできて。まだ客も来てないんだから、お前はもう少し休んでろよ。せっかく時間があるなら、大学の漫研の原稿でも進めてたら良いじゃないか。」
「それどころじゃないんだよ、父さん。さっき誉理が書いた最後の手紙が家に届いたんだけどさ…」
呆れ顔で番台に座る父に、僕は有無を言わさずに手紙を突き付けたんだ。
四の五の言うよりも、この方が遥かに手っ取り早い。
「むっ!これは…」
その効果は覿面だった。
便箋を読み進める父の表情は、様々に変化していったんだ。
驚きに悲しみ、哀惜に郷愁。
正しく百面相という有り様だった。
「そうか…誉理の奴、そんな約束をなぁ…」
そうして読み終えた便箋を僕に手渡した時には、父の眼尻には小さな涙の粒が光っていた。
しかし、その横顔に浮かぶ表情は悲しみのそれではなかったんだ。
「これからコーヒー牛乳に関しては、決して切らさないように仕入れなくちゃな…」
そうポツリと呟く父の口元は、愛おしそうな微笑の形に歪んでいた。
「父さん、それじゃ…」
「誉理が戦友達と交わした約束は、俺達家族が果たしてやらなくちゃな。そうして約束が果たされているうちは、誉理は俺達家族の中で確かに生きている。上手く言えないが、きっとそんな気がするんだよ…」
そうして父はふと視線を逸らすと、番台の小脇に鎮座する冷蔵庫を愛しげに見つめ始めたのだ。
普通の牛乳やフルーツ牛乳に紛れる形で、茶色いコーヒー牛乳を満たしたガラス瓶が整然と並んでいる。
そのコーヒー牛乳の列の向こうに、父は誉理の面影を見出そうとしているのだろうな。
そんな事情もあって、我が「ともの湯」では冷蔵庫のコーヒー牛乳が品切れを起こさないように常時補充を心掛けているんだ。
僕達家族や妹の約束が、何時でも果たす事が出来るようにね。