第2話 再会と抱擁と約束
残暑真っ盛りの、成田国際空港のロビー。
俺は、額に少し汗をにじませながら人を待っていた。
もうすぐ来るはずの、幼馴染を。
(ミアはまだかな……)
何度も腕時計を見ながら、俺は落ち着かない気持ちで居た。
日本時間にして、午後3時。
少し早めに学校を早退して、こうして彼女を心待ちにしている。
我ながら、ちょっと落ち着け、と言い聞かせるのだが、心は落ち着いてくれない。
学校では、
「ちょっと家族絡みの用事があって」
と少し苦しい言い訳をしてきた。
悪友は、
「親戚でも来るのか?」
と聞いてきたが、
「まあ、そんなとこ」
と言っておいた。
悪友は、
「ひょっとして、女の子か?おい」
などと追撃して来るものだから、
「そうだ。でも、会っても、色目使うんじゃねえぞ」
とも凄んでおいた。
しかし、
「ふーん。でも、咲太がそこまで凄むって事は、仲いいんだな」
俺の悪友は妙に鋭い。だから、
「そこそこな。付き合いも長いし」
と否定しないでおいた。
「なーんか、匂うのよね。咲太、嘘ついてない?」
俺のもう一人の悪友も鋭かった。
いや、俺が演技が下手なだけか?
(しかし、どう紹介したもんかな)
ミアとの事を友達に言ったことは一回もない。
外国に行った幼馴染とずっと交流を続けてるとか恥ずかしいのだ。
しかし、ミアが転校して来たらそうも行かないだろう。
あいつの事だから、絶対に俺との関係を公言する。
(まあ、正直に言っておくか)
こういうのは下手に隠すから付け込まれるのだ。
昔から仲良くしてる友達だ、と正直に言えば大丈夫だろう。
たぶん、きっと、おそらく。
自分で言ってて自信がなくなってきた。
だいじょうぶ、だよな?
「久しぶり、咲太!」
「え?」
聞き慣れた声が背後から聞こえてくる。
慌てて振り向くと、全身に柔らかく暖かい感触。
「ミ、ミア?」
気がつくと、背中に手を回されていた。
押し付けられた胸の感触に、銀髪から漂ういい匂い。彼女の体温。
脳がようやく、俺が彼女に抱きしめられているのだと気づく。
「ん……なんだか、懐かしい匂い」
すんすん、と鼻を鳴らす音。
そういえば、ミアは昔、俺の匂いをよく嗅いでいたっけ。
「懐かしい匂いって何だよ」
急なハグに気持ちが追いついていない。
だから、そんなどうでもいいことを口にした。
「お醤油の匂い」
てへへ、と、冗談めかした言葉。
「お前な」
日本の空港からはお醤油の匂いがするとは聞いたことがあるけど……。
「冗談だってば。なんだか、落ち着く匂いなの」
今度は、少し甘えたような声。
昔も言われたけど、一体何が落ち着くのだろうか。
「そう言われても色々困るんだが」
どう反応すればいいのやら、さっきから困る。
顔は赤くなっていないだろうか。
そんな事が気になる。
「咲太、照れてる?」
なんだかやけに嬉しそうな声。
やっぱり、俺の顔は赤くなっていたらしい。
「言わないでもわかるだろ」
つい、ぶっきらぼうになってしまう。
照れてるよ、なんて言える訳がない。
「それでも、言って欲しいときもあるの」
と言われても、なあ。
「そりゃ、照れるだろ。お前、可愛いし、綺麗だし」
覚悟を決めて、あえて口にしてみる。
「そっか。可愛いし、綺麗なんだー」
急に声が悪戯めいたものに変わる。ああ、くそ。からかわれた?
「もちろん、友達として、って意味で、それ以外の意図はないからな?」
こういうところで、日和るのが俺のどうしようもないところだ。
だって、もし、引かれたら怖いじゃないか。
「……つまんないの」
なんだか残念そうな顔。ほんと、どういう意図なんだか。
「私だけがハグしてるの、恥ずかしいんだけど」
声色は、なんだか、本当に恥ずかしそうだった。
「あ、ああ。悪い」
ヨーロッパ諸国では、親しい人へのハグは普通の挨拶。だから。
「おかえり、ミア」
照れくさいのを我慢して、抱きしめ返す。一番の親友を。
「うん、ただいま。咲太」
彼女は、やっぱり嬉しそうだった。
◇◇◇◇
「スイスとこっちじゃ、色々授業も違うだろうけど、大丈夫か?」
成田空港からの高速電車にて。
隣に座ったミアに向かって俺は話しかけていた。
座席の前には大きな大きなトランク。
色々、持ってきたんだろうなというのがわかる。
着替えやら化粧品も色々入っているんだろう。
「大丈夫。そっちの先生に色々聞いてあるから」
「それならいいんだけど、なんで、俺に連絡行ってないんだ?」
「だって、言ってないから」
「俺との関係を?」
「仲のいい友達がいるから、転校しますとか恥ずかしいでしょ?」
微妙に頬を赤らめるミアをみて、確かにそうだなと頷く。
俺も、ミアとの交流は友達に言えてなかったわけだし。
「お前の住んでたローザンヌってフランス語圏だよな」
スイスのヴォー州にある古くからの街。
国際オリンピック委員会の本部があることで、一部で知られている。
坂が多い、古い街並みがとても綺麗だ。
「そうだけど、どうしたの?」
きょとんとした顔で聞き返してくるミア。
「いや、お前からフランス語聞いたこと、ほとんど無かったよな」
こないだのビデオチャットは、なんか謎アピールがあったけど。
「英語もフランス語もドイツ語もやったわね。フランス語の成績は微妙だったけど」
微妙に暗い顔で言うミアに、地雷を踏んだと気づいた。
「いいんじゃないか?英語は国際共通語だし」
やや無理やりな慰め方をする。
「ローザンヌだと、地元の人、英語わからない人も多いんだけどね……」
慰めたつもりが、さらに地雷を踏んだらしい。
「ま、まあ。これからしばらくは日本語だ。気にしないで行こう!」
「ぷっ」
何か噴き出しそうな声。
「どうしたんだよ?」
「ううん。無理やりな慰め方が、咲太らしいなって思ったの」
「どうせ俺はそういうのが下手くそだよ」
「褒めてるのにー」
色々、こそばゆくてかなわない。
「結局、なんでこの時期に転校なんだ?色々中途半端だけど」
それは、転校の知らせを聞いたときから気になっていたこと。
「それは、秘密……と言いたいところだけど」
「またもったいぶるようなことを……」
「冗談。「約束」を果たしに来たの」
約束、か。ミアとした約束はそれほど、山のようにある。
そして、ほとんどの約束を俺は覚えている。
「で、一体、どの約束なんだ?」
「その先は……クイズ」
またか。
「お前な」
「ここから先は本当に教えないよ?」
「当ててみせろ、と」
「そうそう。当たったら、咲太には豪華景品が!」
「念の為聞いておくけど、景品は?」
答えの見えている質問をあえて聞いてみる。
「私でどう?」
予想通りだった。そして、別に本気でもないんだろう。
「要らん要らん。まあいいや、で、ヒントは?」
いや、本当にくれるなら、欲しいんだけどな。
どうせ冗談だろう。
「うーん。咲太が覚えてるどこかの景色にはあるはずだけど」
「なるほどな」
つまり、それなりに重要な思い出というわけだ。
「というわけで、卒業まではこっちに居るから、当てて見せてね?」
「そういうゲームが大好きなのは変わらないな」
「でも、そっちの方が刺激があって楽しいでしょ?」
「悪戯好きなお前らしいよ」
こういうクイズめいたお遊びは山程して来た。
だから、昔を思い出して、少しの高揚感を覚える。
こいつとの高校生活は、一体どうなることやら。
不安でもあり、楽しみでもある。
というわけで、幼馴染との空港での再会とその後でした。