第五話 蜘蛛
——まるでこの世の景色とは思えぬ光景が目の前に繰り広げられている。
その男は、敵の送りつけてきた新兵器のあまりの頑丈さと凶悪さに身震いを隠せないでいた。
「何なのだ……! 何なのだあ奴らは…………!!」
つい二日前まで、奴らはこのティオフィルスをまだ包囲すらしていなかった。
我々はその間に万全の防衛態勢を組んでこの戦いに臨んだ筈だ。
それにそもそもティオフィルスは地上戦に強い造りとなっている。あの敵の新兵器は明らかに地上戦のものだ。故に城に立てこもっている限り、我らの優位は変わらない。
それで援軍が来るまでは十分に持ち堪えられるだろう。
そう、思っていたのだ。
だが……!
蓋を開けてみればどうだ。
僅か二日で城壁の真下まで到達されてしまった。
もちろんこちらもありとあらゆる手で迎撃に出た。
城壁の周りには落とし穴が大量に仕込まれており、また地雷も埋められていた。
だが落とし穴はあの敵の巨大さと蜘蛛という形ゆえにほとんど役に立たなかった。
それはそもそも戦車サイズの兵器を想定した落とし穴である。そんな小さな落とし穴では一時の時間稼ぎにしかならぬ。しかも脚が細いゆえに落とし穴にすら敵がはまらなかったのだ。
地雷も同様だ。いや、地雷の方が役に立たなかったといえる。
運良く敵が地雷を踏み抜いても、脚が一本外れるだけで本体はなんのダメージも受けなかったのだ。落とし穴の方が敵がしばらく動けなくなるゆえに幾分かマシなくらいだ。
こちらから城壁の大砲を撃つもたった一機軽く吹き飛ぶだけで何の影響もないかのように進撃は続く。
さらにこちらに配備されている戦闘機で迎撃に出たが、皆返り討ちに遭った。
そもそも地雷ですらほとんどダメージを受けないほどの頑丈な本体だ。ブラスターの攻撃など全く効かず、逆に殲滅されてしまった。それどころか、あの大きな脚を使って戦闘機を打ち落としたり、串刺しにしたりと、やりたい放題される始末だ。
もうすぐ……あと一年ほどで新兵器のスーパーレーザー砲台が完成し、試験的にここに配備されると聞いていたが……。今の我々にはこれほどの化け物に太刀打ちできる術はもう、ないぞ……!
◇ ◇ ◇
男は、この戦場に入ると小さくため息をついて通信機を取った。
「ゴルディオ・ゴリーロ将軍。我らも戦場に入ることに成功しましたが、どうやら出番は無さそうです。もう我らが誇る新兵器アラクネは城壁の真下にまでついています。あそこまで深く入れてしまったのなら、敵はもうなす術は無いでしょう。月の王国一の城と聞いて少々期待していたのですが、思ったよりあっけなかったですね」
一方こちらは、もっと遥か遠くから戦場を見つめる者。ゴルディオ将軍と呼ばれたその男は、他の人間とは一線を画すような大男であり、その目からは自信たっぷりな様子が窺える。
『ふっダレオスよ。貴様、奴らを過大評価しすぎておるようだな。あのティオフィルスは確かに最強の城だった。あれほどの防衛設備、たいしたものだ。……だが、所詮は百年前の最強よ。我らと奴らはもう百年も戦争してはおらぬであろうが。あの程度の城、もはや我らの敵では無いということくらい分からぬようでは、貴様まだ一人前とは言えぬぞ。はっはっは』
この言葉を聴いて、ダレオスと呼ばれた男はさらに大きなため息をついた。
「では、このまま終わりですかね、この戦いは。……つまんない」
『ふはははは、安心せいダレオスよ、さっきはああ言ったが、この城を落とすにはもう一悶着ある。貴様の出番も、おそらくちゃんとくるぞ』
「はぁ……そうだといいんですけどね」
◇ ◇ ◇
ティオフィルス城壁の司令本部にて。ここで私をさらに絶望へと追いやる敵の姿が見えた。
『城主! 敵が陣のようなものを組み、城壁をよじ登ってきます!』
通信機から部下の悲痛な声が聴こえる。
無論、私にもそれは見えている。
この城の城壁の高さは王国一だ。あのピレネーの要塞ですらしのぐほどの高さを誇っている。だがあの蜘蛛の馬鹿でかさに比べたらあまりにも頼りなさすぎる高さだ。
なんせ、彼奴らの全長の十倍程度しかないのだから。
私はいよいよ身震いが止まらなくなっていた。
私は必死に叫ぶ。
「止めよ! ここだけは死守だ! 絶対にそれ以上登らせてはいかん!」
『しかし城主、敵が止まりません!』
「全ての大砲をそちらに向けさせろ! 地上の敵は放っておいて構わん!」
『りょ、了解! 総員、全てあの城壁を登るやつらを狙え! 絶対にあれ以上登らせるなぁ!』
だが、あの蜘蛛の大群はそれをもろともせずに登ってくる。
『ダメです城主、び、ビクともしません!』
「諦めるな、撃ち込み続けろっ! それから今生きている戦闘機は全てこちらに向かわせろ!」
『ほとんどいません、十機ほどしか……!』
「ではその十機に向かわせろ!」
もう持てる少ない戦力を全てかき集めて止めるしかない。
しかし事態はどんどん深刻になって行く。
『城主、急報です!』
「今度は何だ!」
『各場所の砲台が、敵にどんどん破壊されていきますっ!』
なっ……!
もう、打つ手なしか…………!
「…………ええい、こうなればなんでもいいから奴らに撃ち込め! その辺の石でも槍でも剣でも、何でも構わん!」
『……っ! そんなの効くわけないじゃないですか!」
「やらぬよりマシだ、いいからやれぇ! 砲撃は無機質だから効かぬのだ! この国を守るという真の思いを込めたならば、たとえその辺の石だろうが奴らにダメージを与えられるということが分からぬのか! 」
『じょ、城主!? 何を言って——』
「おいお前! この本部の指揮を託すぞ! 私はこのまま出陣する! あんな敵まとめて葬ってくれる!」
『はあ!? な、生身で行くつもりですか!? 無謀ですやめてください! あなたは気でも狂われたのか!』
この時の私はもはや自暴自棄となっていた。
もうすぐそこにまで迫ってくる敵の兵器の数々。まるでこちらのすることをあざ笑うかのように、それはゆっくりゆっくりと近づいてくる。
いくら頭を働かせようと無駄だということも、もう悟ってしまった。
流石の私も、その辺の石を投げろなどおかしいことぐらい分かっていた。だがそんなやり方にすら頼りたくなってしまうほど、この化け物どもを止める手立てはもう、存在しなかったのだ。
……許されよ。私の力では、守りきれなかった。もう、ティオフィルスは敵の手に——。
——その時である。
私の目の前を、白い影が三つ、一直線に通り過ぎていった。
あ、あれは……まさか…………っ!
『じょ、城主! 報告します! 王都から援軍、百が到着しましたっ! へ、ヘタイロイ部隊の姿も見えます!』
ガタンッ! 思わず膝をついてしまった。
…………ああ、見えておるわ。
勇敢にもこの戦場に颯爽と飛び込んできた、王国最強の戦士がな……!
ああ、これで助かった。
ティオフィルスは、救われた。
いや、王国全土が…………救われた。
まだ援軍が届いたというだけで状況は何一つ変わっていない。
だが、それにも関わらず。
あの純白に輝く美しき機体をその目に映した瞬間、私は全身の力が抜けるのを感じた。