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巫女姫はかく語る  作者: 境 美和
3/5

ふしぎな夢

 テュティはその日、不思議な夢を見た。


 広大な森と丘の向こう側から、黒い何かが宙を滑るようにしてテュティに近寄ってきた。よく見るとそれは黒い帽子に黒いマントを羽織ったドレス姿の女性で、不思議な事に空を飛んでいた。

 魔術師、と呼ばれる悪しき者であると教えられていたテュティは思わず逃げようとして、己が全く動けない事に気付く。声も出せない。

 と、唐突に悟った。

 これは、薬草になった巫女姫達の記憶なのだと。

 そして、遡るのも馬鹿らしいほど昔に起きた事なのだと。


 魔術師の女性は、国や周辺の――――確かにあった、滅んでしまったと思われる周辺の国に代々伝えられているような、溶ける肌に腐り落ちた目といったおぞましい容姿ではなく、浮いている事をのぞけば、普通の、テュティ達と姿の変わらない者だった。

 彼女は、テュティの上、丁度記憶で知った国の守護神であった者の住まう見えない神殿の方を睨むと、一つため息をつき、両手を広げた。

 途端、その中に緑色の光が集まり始める。

 何を言っているのかは分からないが、魔術師の女性は両手を更に広げ、指先までぴんと伸ばした。その顔は次第に茫洋とし、従うように光――――網の目のようなものがテュティの在る場所からその先を切り取るように、地面に沁み込んで、広がっていく。

 凡そこの世の光景とも思えないが、伝承にあるおぞましさは欠片も感じられなかった。

 女性は確かにその場に居るのに、まるで何もいないような気配だったからかもしれない。


 そうして、この国の領地を少し切り取る形で、女性のやってきた方角と、この国の側とを、国を囲う山脈とを分け終えた後、魔術師の女性はやってきた方向へまた戻っていった。

 光の網は広がりに広がり、天も地も横も縦も、果てが見えない。

 緑の光の網目は細かく、次第に、薄い膜のようになっていった。

 それから暫くして、心なし、膜の向こう側の緑が褪せた気がした。



 どれほど時を置いたか、今度は二人、男性らしき魔術師がやってきた。

 彼らは一様に黒い帽子と黒いマントで身を包んでいるが、やはり普通の人間にしか見えない。

 彼ら二人は、緑色の膜に何某か唱えると、二人で青い光の渦を作り、緑色の膜に思い切り当てる仕草をした。青い光は見る間に大量の水の渦となり膜に当てられ、膜の内側に霧のように散っていく。雨の後の空のように、虹が掛かっている箇所もあった。

 ――――膜には揺れた箇所と揺れない箇所があることが、テュティにも分かった。

 彼らは、膜の揺れた箇所にそれぞれ緑色の膜を二重に張って、どうやら強度を確かめ、高めたよう。


 そして、また時を置き、今度はもっと大勢の魔術師の――――団体とも呼ぶべき塊がやってきた。彼らは各々、色とりどりの光を緑の膜に当てて、また強度を調べはじめた。

 そうして、今度は数人がかりで、緑の膜の内側に、赤い光の膜を張り、その内側に金色の光の膜を、更に内側に、白い光の膜を作り張り巡らせると、一団の中で一際高い場所に浮いて指示を出していたらしき、四人か、五人程の者達の所へ集まって、何事か説明している。

 彼らは一様に、何かを決意している雰囲気を纏っているように、テュティには見えた。幾重にも膜の強度を確かめている様は、とても慎重な態度だとも思えた。


 次いで、見た事もない程大きく明るい月を背に、ひとりの――――プラチナブロンドの髪が印象的な黒い瞳の魔術師が近づいてくると、月光より蒼い色の光の膜を張った。

 その時見た彼の端正な顔は悲痛と期待に満ちていた。


 その時から、テュティは微妙な違和を覚えた。

 それは、神が去ってから後にあった空気の質が違えられたような。


 そして、膜の中で、白光がほとばしった。


 それは城の中庭で感じたものとよく似ていたが、不思議な事に轟音も突風も襲ってこない。光の膜の中はあっという間に生い茂っていた緑が消え、見渡す限り一面、どこまでもどこまでも赤茶けた土くれだけの大地になった。

 一瞬の事だった。


 唐突に、またも理解する。

 緑の平原はもうテュティ達が知らない合間にとっくに失われていて、轟音と突風が吹き荒れた閃光直後は、テュティが夕方館の前で見た光景よりもずっと荒れ果てていたのだと。

 今テュティの立つ――――生える辺りは膜の外側に当たるので、なんの変化も見られなかった。


 と、光の膜の中に、我が君と呼んでいた者が飛んでいくのが見えた。彼は黒い魔術師達に詰め寄り――――テュティの生える場からは遠い赤茶けた建物の跡にそそくさと入っていったきり、二度と出てくることはなかった。


 テュティの中に怒りが渦巻き逆巻いたが、それは彼女のものであって、全き全ての巫女姫たちのものだと、二度目の理解を深く得る。



あんなのが

あんな者が――――神などであるものか

如何に力を持っていようともあんなものが神などであったというの!?


わたし達は、あんな下種を神と崇めていた!?!?



 怒りに打ち震える彼女は、しかし己が薬草でしかないことを思い知らされてもいる。

 巫女姫の誰もかれもが嫁ぐ――――光に解け消えることでその先の人間の生を諦めたものばかり。

 命をかけて国の安寧を、この土地の平穏を願ったその願いはほぼ叶わぬまま、いいや、利用されたまま。こうして打ち捨てられた。

 幾重もの女性の想いが重なって、息が苦しい。はてもない苦渋を怨嗟を抱き、しかし膜の中の光景は茶けた土くれの大地を舞台に変わっていく。


 幾人もの魔術師達が茶けた赤土の建物の跡にぞろぞろと入っていき、そのまま出てくることはなかった。そうして、見る間に赤土の建物の跡は黒い魔術師達だけと思われる行列を飲みこみ、むき出しの大地だけが残った。


 と、遠目に魔術師が五人程宙に浮かんでいるのが見えた。

 それは、団体で光の膜を張っていた時、指示を出していたらしき者達だと思われた。一様に消沈した様子でむき出しの大地に降り立ち、何某か話し合っているよう。

 その一人に、プラチナブロンドの魔術師の姿も窺えた。

 そして暫く、彼らは辺りに水を撒いたりおそらくは種を撒いたり――――広大なかつての森を取り戻すべくだろう、何某か動き始めた。

 けれど、瞬く間に朝が来て夜が来て、光の膜の内側の時間だけが気の遠くなる年月流れていくその中で、幾つか小さな緑を取り戻しただけ。彼らは諦めたようにひとり、また一人と赤茶けた土の建物の跡に入っていき、出てくることはなかった。


 とうとう――――あの月を背に膜の内側と外側とを決定的に変えた真っ蒼な膜を張った者、プラチナブロンドに黒目が印象的な魔術師ひとりきりになった。

 どれだけ昼夜が流れたか――――残ったと思しき彼はもう水を撒いたり種を撒いたりはしないようだった。

 どこから現れたか、どこに隠れていたか。生き残っていたらしき魔術師でないもの達から遠く離れた場所で嵐を起こし、土くれた大地に雨を降らせたり、夜盗らしき者達に襲われている者の傍で突風を吹かせ、夜盗を追い払ったり。

 そんな事を茶けた大地のそこかしこで行っていく。


彼は、なにをしているの?


 テュティには、赤茶けた大地を、そこに住まう生き残りを――――或いはその子孫を護っているように感じられたが、他の巫女姫たちの心情は冷たい。


(あの者の所為で)(大地を土に返した者達の生き残り)

(おぞましい)(恐ろしい)

(魔術師)


 流れ込んでくる感情は冷たいものばかりだったが、テュティは今一つその冷たい巫女姫たちの視線に迎合できない。確かに魔術師が――――今となって分かるが、神と呼ばれる者達が起こした何某かで世界は一変した。

 けれど数人の魔術師は残って緑を取り戻そうとしていた。それは少なくとも上手くいかなかったけれど、あの魔術師はこうして残って生き残った者を、助けている。


 いつしかその姿は、黒い帽子とマントの姿から、白い法衣のような格好になり、ついには一羽の鳥になった。

 夢の中とは言え、長い長い月日をただ見守ってきた――――その体験が彼女の心に彼を植え付ける。ただ一羽。ただ一人となって尚、その場を護っている。

 テュティにはそう想えて仕方がない。

 幾年もの月日を超えてただ独り。


 ふいに、その鳥の――――白い鷹の黒い瞳と目が合ったような気がして――――そこで目が覚めた。




 テュティは夢の事を誰にも打ち明けなかった。


 明確であることは、神の寵愛など取り戻す事は出来ないこと。

 赤ら顔の”我が君”――――神と慕っていた下種な男、恐らくは魔術師だったものが言っていたように、どうやら時間の流れが違うのだ。彼の者達が消えた赤土の建物の跡は、見守る月日の中であっというまに埋もれてしまって今はない。

 よしんば建物があった所で、騎馬隊を組んでその場所に行く――――そんな用意を整える事も、そんな言葉もテュティには持てなかっただろう。

 これから行う神事にそんな行程は含まれていないのだから。


 一夜明けて、冷たい泉の前に水色の惟神姿のままあって、祈りを、何のためにか、誰にか、或いは恐ろしい企み事が成功するようせめて消えない巫女姫の朱塗りの文様に誓いを捧げつつ、行為自体はむなしい事のさなか、テュティの心は夢の中にあった。


 もう、テュティの中で”我が君”の事はどうでもよかった。

 神の花嫁は、朱塗りの文様と共に光に溶ける。

 それが歴代の習わしだったが、マジナイがかけられた己の身体は、兄を殺せば魔女と裁かれる身、いつ光に溶けても構わないとすら思っていた。

 自分の命の事は、諦めていた。


 テュティはずっと、夢に見た白い鳥の事を――――あの独りきりの魔術師の事を想う。


あのひとは、今何をしているだろう……?


 助けを請えれば? 新たな神として崇めれば? 確かに、縋りたい、新たな神として迎えたい気持ちも確かにあったが、それよりは、独りで何を思っていたか、仲間と思しき者達から外れこの地に残った、らしい、それが本当ならばその孤独に心が飛んで行く。


会ってみたい


 折しも季節は花々の咲き乱れる春も中頃。ひとつひとつ丁寧に編んだ花冠は――――兄を殺すという恐ろしい計画の成功を祈っていたものが、気付けば見知らぬひとりきりの魔術師の為に編まれていた。

 目的の薬草を採るその時さえ、干して煎じて煮詰め毒薬に加工する草花に手をかける時さえ、心は孤独な鳥となった独りの魔術師にあった。その黒い瞳に何を映しているのか。まだ、この地にあるのだろうか。


会ってみたい


 まるで現実から逃げるかの様に、テュティはそんな事を想って泉の周りを巡り、季節柄いまだ冷たい水に両手を浸して、祈りの言葉を捧げる。

 花冠を泉に還しても誰の声も何のことも起こらない。

 それはお付の侍女をはじめ、騎馬隊の面々の顔を暗くさせたが、テュティは、やはり、と思っただけ。もはや悲しみも、怒りも何もない。


神は――――下種はもういない。


 一方で歴代の巫女姫たちにこの地の安寧を願い、祈り、その変身である薬草を使う事を、兄を殺す算段を整えつつ、もう一方ではひとりきりの魔術師に、その心に寄り添うように、かつては我が君に捧げていた祈りの言葉を、紡いでいく。

「わたしは、あなたとともに。

 ひかりになったわたしはあなたとともにあります」

 柔らかな草地に両膝をついて座り込み、水色の惟神の裾を扇状に広げて頭を下げ、祈りの言葉は途切れなく。



あいたい…


ひとりきりの、あなたはどこにいますか?



 泉に祈る傍ら、心は赤土の大地に、その抜けるような青空に向けられていた。

 一日目の神事を終え、輿で館へと戻る道すがら、テュティはただただ、赤茶けた大地の空を眺める。そこに鳥の姿を探したが、果てもない蒼穹には何も見えなかった。


 ただ、緩やかに疲れた気配が、彼女の水色の惟神の端に寄り添うようにひっそりと生まれた。




 薬草を加工する。

 あるものは逆さに干して、あるものは生のまますり潰して濾して汁にする。母の煎じ薬を、兄への毒薬を、生み出していく工程でテュティは同じ言葉を繰り返し唱える。

「おたすけくださいおたすけください」

「うまくいきますようにうまくいきますように」

 お助け下さい我が君、上手くいきますように――――それはテュティの薬草を煎じる時の口癖だったが、今、祈りは歴代の巫女姫たちにこそ捧げている。朱塗りの熱を持つ文様が浮き出る体で、薬草を加工してゆく。

 母への煎じ薬は数種類の薬草を煮詰めて丸薬にすれば出来る比較的簡単なもの。

 その裏で着実に兄へ飲ませる為の毒薬作りが進行していった。



 あたりが暗くなった気配に、彼女はランプの加減を見ようと薬草をすり潰す手先から顔を上げる。


 と、そこは見慣れた館の一室ではなくなっていた。

 ランプも作りかけの煎じ薬もない。

 浮き上がる朱塗りの文様を通して、巫女姫たちがそっと語り掛けてくる。


(テュティ)(気を付けて)

(生き残りがいるわ)

(おぞましい)(みすぼらしい)

(魔術師がいるわ)


 その言葉に従って前を見ると、ほの暗い空間の中、打ち捨てられたようなぼろぼろの痩せた体躯、白い鷹の、亡骸のように見えるものが転がっていた。


なんで、こんなところに


 直感でテュティは、あの鳥になった魔術師だと悟り慌てた。

 突然の魔術師の登場に心が激しく乱れる。なぜ? どうしてここに? 急に上がる体温と鼓動の音を煩いと思いつつ、まず生死を確かめようと、あまりにみすぼらしい白い鳥――――固く両目を瞑った鷹の薄汚れた羽根に、逡巡、声をかけ手をやると、砂のような、或いは今煎じている薬草のようなざらざらした感触がひんやりと伝わってきた。恐る恐る嘴に手をやれば微かに息の気配。

 鋭い爪にも覇気なくぐったりとしている鷹は、見た所外傷はないようだった。


生きてる・・・?

弱っているなら…今作っているおかあさま用の薬を少しもちいれば――――


 テュティは、どくどくと煩い鼓動を押さえ、意識なく横たわるやつれた白い鷹をしっかりと抱き上げると、胸元に抱き寄せて辺りを見渡した。薄暗い空間には何もないが、何処かにある筈の煎じ薬を探そうと立ち上がり歩き回ろうとした。


(助けるの?)(おぞましくないの?)

(大地を土に還した者を助けるのか)


 突如、声とともに彼女の体中の文様が淡く光り出し、耐え切れないほどの熱がテュティを襲う。

 咄嗟の事に彼女は胸に鷹を抱いたまま、その場に倒れ伏してしまった。

 尚も痛い程に全身の朱塗りの文様が熱を持ち、声とともに彼女の内を焼き尽くす。


(あんなものを助けるの)

(これをどうするつもり)

(あなたは、助けるのか)

(テュティ)


 歴代の巫女姫たちの声は、悲しく切なく怒りにまみれて――――焦熱に近くテュティを翻弄する。

 テュティは、この鷹に縋りたい訳じゃない、そう強くかぶりを振った。この鷹は、このひとは悪い事をしたけれど、それを償っている、怖くもおぞましくもない、そう強く思った。


このひとは

このひとは罪を償っている……!


 声がする。悲しく切なく――――優しい声がテュティの中にこだましている。


(それが)(それこそ)(それこそが)

(お前の)(貴女の)

(決断ですか)


 次の瞬間、あれ程もあった熱は全てテュティの体の中におさまり、溶けて消えて行ってしまった。


 テュティは館の一室で、加工途中の薬草にまみれたまま――――胸元に鷹を抱いて倒れ伏していた。


「わたし・・・?」

 気付けば鷹を抱きしめていた事に、夢の中から現れた鷹に、テュティは驚きの声を小さく上げるとおろおろしつつもほんのり頬を染めて、丁寧に白い鷹を抱きしめなおす。赤い朱塗りの文様はもう巫女姫の声も熱も何も生まない。ただ、赤い朱塗りの文様の浮き出た手で羽を数度撫でると、心なし羽の艶が戻った気がした。


 彼女は作業途中に寝てしまったのだと辺りを見渡す。窓に近寄ると、夕刻に閉めた鎧戸は閉じられたままだった。鷹はどうやら本当に、夢の中から現れたよう。作業台の上、ランプに照らされたすり潰す予定の薬草は残り半分も残っていない。

 夕餉から幾ばくも立っていないと推測が出来た。

 テュティはそっと鎧戸を開け放ち、抱き締めていた白い鷹をベッドに下ろすと、急いですり潰した薬草の汁を嘴の中に塗り付ける。鷹の身体がびくりと震え、うっすら両目が開かれた。

 思った通りの漆黒の眸に、テュティは嬉しくなって笑いかけた。

「もう、大丈夫です。

 今、ミルクと何か食べ物を持ってきてもらいますから」

 そういうと、隣の部屋に控えているリシアを呼びに行く。


 何が大丈夫なのか分からないまま、会ってどうしたいのかもおぼろげなまま、テュティは白い鷹を――――魔術師を助けていた。

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