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6.子どもは言葉を音で覚える

 蒲田駅前には2つの商店街がある。道幅の広い商店街と狭い商店街だ。

 大悟は中学生の頃、この商店街でよく仲間と3人で遊んでいた。そして狭い方の商店街を「2ロード」と呼んでいた。当然、道幅の広い商店街が「1ロード」である。

 北側の「1ロード」と南側の「2ロード」は平行して走っている。実際は「1ロード」には「サンライズ」、「2ロード」には「サンロード」という正式な名称が付いているのだが、すぐにどっちがどっちか分からなくなってしまう大悟たちは、勝手に仲間内で名前を付けた。

 しかしその後、「2ロード」の更に南側に飲み屋街がある事が分かり、その飲み屋街を「3ロード」と名付けたので、本来の「サンロード」は飲み屋街に名前を奪われた形になってしまった。


 大悟と犬ガールは商店街の「2ロード」を歩いていた。大悟の訴えは却下されたのだ。


凛子りんこちゃん、今日も元気だねー!」

 

 犬ガールは凛子という名前で呼ばれた。その名前は、商店街の多くの人に声をかけられた。電器屋の店員、呉服屋の店員、和菓子屋の店員。凛子はその声一つひとつに、元気良く返事をした。

 大悟は凛子から少し離れた後を歩いていた。そのため、怪しまれることはない、だろう。


 観覧車の最終運転は18時。最後の観覧車で予定を決行する。そして、意識を失った状態で観覧車に乗っている大悟を見て、ビアガーデンの酔っ払いたちが大騒ぎする光景も悪くない。勿論、それを見る事はできないが。


 2分ほど歩くと、喫茶店の前でマスターらしき老人男性が凛子に声をかけた。

「お! 凛子ちゃん、かき氷食べてく?」

「おごってくれるの?」

「しょうがねえなぁ」マスターは嬉しそうに、くしゃくしゃと凛子の頭を撫でた。

 屋上遊園地のような不特定多数の人が来るような場所では、子どもの頭を撫でる行為ははばかれるが、ほとんどの客が土着民の商店街では治外法権なのかもしれない。

「しょーがねーなー」凛子は似てないモノマネを返した後、「お友達もいい?」と尋ねた。

「友達?」

 凛子は離れて立ち止まっている大悟を指さした。

 マスターは大悟を見ると、ぽかんと口を開けて、「誰?」と言った。

「ピンキーおじさん!」凛子は元気良く大悟を紹介した。


 どうらや凛子の中では、「ピンキーキャロットを作ったおじさん」という意味なのだろうが、大悟の外見にピンクの要素はない。あるとすれば、ピンキーおじさんと紹介されて、恥ずかしさのあまり顔が少しピンクになった事ぐらいだ。

 マスターは意味が分からない様子で、更にぽかんとした顔になった。


 喫茶店の中は昔とほとんど変わっていなかった。

 大悟はこの店も中学時代に仲間と利用し、暇を潰していた。中学生の小遣いではジュースくらいしか注文できなかったが、マスターは時々大悟たちに焼きそばをサービスしてくれた。

 現在のマスターは20数年前と比べて、いくらか歳を重ねた顔になっていたが、生き生きとしているせいか、実際の年齢よりは若く見えた。実際の年齢というのは大悟の予想でしかないのだが。

 マスターは大悟の事を、誰だか分かっていないようだ。当時に比べて背は伸び、頬はこけ、無精ひげを生やした小汚い大悟を見て、それが中学生時代の大悟と一致するはずはなかった。


「凛子ちゃん、何にする?」大悟と向かい合って座る凛子に、マスターは笑顔で訊いた。

「凛子はイチゴ!」

「あいよ」マスターは続けて訊いた。「ピンキーおじさんは?」


 ブッ!!


 大悟は咽て、口に含んだ水を少し噴き出した後、焼きそばとアイスコーヒーを注文し、「あ、私はちゃんと払いますから」と慌てて付け加えた。

 マスターが、ふーん、と曖昧な相槌をすると同時に、凛子が笑い出した。

「『私』だって~、女の人みたーい」

「だねー」と言って、マスターはカウンターの中へ入って行った。

「大人になると、おおやけの場では一人称は『私』になるんだよ」大悟は説明したが、凛子は分かっていない様子だった。そして「凛子ちゃんって言うんだ」と尋ねた。

「うん」

「苗字は?」特に興味はなかったが、話す事もなかったので、尋ねた。

「伊藤!」

「お!」思わず高い声が出た。まだこんな声が出せることに驚いた。「おじさんも伊藤だよ」

 凛子は声にならない感嘆の息を吸った後、冷静に「伊藤ってのはね、日本で何番目かに多い名前だから、びっくりしないよ」と言った。

 世の中の全ての苗字は日本で何番目かに多い名前だ、大悟はそう言おうとしたが、子ども相手なので言葉を飲み込んだ。


 しばらくして、マスターが料理を運んで来た。焼きそばは昔と変わらずオーソドックスなものであったが、イチゴのかき氷は予想に反して、本物のイチゴと生クリームがのっていた。

「ここ、凛子ちゃん家なの?」大悟は、最後の晩餐になるであろう焼きそばを食べながら尋ねた。

 凛子は「ううん」と首を横に振った後、「そーてーわい」と言った。

 大人は言葉を聞くと漢字を想像するが、子どもは音で覚える。きっと、想定外もしくは想定内と言いたいのだ。そして、話の流れからすると想定外なのであろう。


「お母さん、呼ぶ?」カウンターの奥からマスターが、受話器を持ちながら言った。

 凛子は大悟を一瞥した後、「うん!」と答えた。どうやら彼女は、大悟が凛子の母親に会いたがっていると勘違いしているらしい。


 凛子の母親に来られても、この状況をどう説明すれば良いのか分からなかったので、来てほしくはなかったが、断るとマスターは不審に思う。大悟は何も言えなかった。


 電話の声は、大悟の耳までは届かなかった。マスターは凛子の母親に、ピンキーおじさんの事をどの様に説明しているのだろう。とにかく、母親が来たら彼女を引き渡し、屋上遊園地に戻る。大悟は、そう考えていた。


「ピンキーキャロットの他は?」と凛子が尋ねてきた。どうやら、他にお前の作品はあるのか、と尋ねているらしい。

「ああ」と答えた後、大悟はリュックの中からスケッチブックを取り出し、開いて見せた。スケッチブックにはベジスターズの他、創作漫画のキャラクター案などの絵が埋め尽くしている。

 それを見ると、凛子は感嘆の声を出し、目を輝かせながらスケッチブックのページを捲り続けた。時々、かわいいーと、声を出すこともあった。


 ドアが開く鈴の音が鳴った。マスターの「いらっしゃいませ」という声の後、凛子が「お母さん」と言った。大悟は挨拶をしようと立ち上がり、入口の女性を確認した。


 大悟は身動きが取れなくなった。

その女性は――母親だったからだ。

 凛子の母親という意味ではなく、大悟の母親、だ。

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