ガラス越しの彼女
僕にだって人を好きになったことくらいはある。
けれど、それが“恋”だったのかと言えばどうなんだか…。
でも、今、僕は確実に恋をしている。
しかも、完全に片想いだ。
通勤途中にあるカフェ。
彼女はいつも窓際の席で本を読んでいる。
そう、僕はただガラス越しに彼女を見ているだけ。
話しかけるどころか、その店に入る勇気さえない。
今日も通りすがりに彼女を見る。
ふと目が合ってしまった。
僕は思わず下を向く。
次の日、彼女はそこに居なかった。
僕は店内に入った。
コーヒーを頼み、いつも彼女が居た席へ。
すると、そこから見える風景を共有しているような気分になる。
「あなただったのね…」
不意に声を掛けられた。
一瞬、期待が膨らむ。
もしかしたら、彼女ではないかと。
「えっ?」
彼女ではなかった…。
その時、僕はきっと落胆した表情を浮かべたのだらう。
僕に声を掛けたその女性は優しく微笑んで僕の隣に腰掛けた。
そして、話を続けた。
「彼女が笑ったんです。とても嬉しそうに…」
彼女は真っ直ぐにガラスの向こう側を見ている。
「あの子、いつも言っていました。“純粋な恋”がしたいと。でもね…」
彼女の表情が一瞬、暗くなる。
けれど、すぐに笑みを浮かべた。
「ちょうど、あそこです。半年前でした…」
真奈美と有里子は同期入社の親友同士だった。
「恋をしたいわ」
それが真奈美の口癖だった。
「真奈美は理想が高すぎるのよ。真奈美くらいの美人なら選り取り見取りなのに」
有里子の言葉に真奈美は首を振った。
「理想なんてないのよ。純粋に私のことを好きになってくれる人なら誰でもいいの」
「今時、純粋に人を好きになるなんてないわよ。男なんて、みんな下心しかないじゃない」
「そうかもね…。だけど…」
その後、真奈美が何を言おうとしたのか有里子は聞くことが出来なかった。
暴走してきた車が真奈美を跳ね飛ばしたのだ。有里子は間一髪で難を逃れた。
「真奈美!」
即死だった。
ここに真奈美が現れるようになったのはその次の日からだった。
「真奈美?」
有里子の呼び掛けに真奈美は何も答えなかった。
それもそのはず。
真奈美はもうこの世には居ない。
「そっか…。待っているのね。純粋にあなたの事を好きになってくれる人を…」
有里子の問い掛けに真奈美は微かに笑みを浮かべた。
有里子にはそう思えた。
それから、有里子はたまにここへ来る。
ここへ来て真奈美に問いかける。
「見つかった?」
真奈美は何も答えずに本に視線を落としたまま。
「いつか現れるといいね」
有里子は苦笑してその場を離れる。
そして、半年後。
いつもの様に有里子が真奈美の隣に来ると、ふと本から目を離した真奈美が微笑んだ。
すると、真奈美は姿を消した。
「とうとう、見つけたのね…。よかったね」
有里子はそう呟いて席を立った。
次の日、真奈美の席に座ってる彼を見つけた。
そして、彼に近づくと声を掛けた。
「あなただったのね…」
僕の初恋が叶うことはなかった。
でも、彼女に恋をした事を僕は後悔していない。
今、こうして彼女のお墓に向かって手を合わせている。
「ホント、妬けるんだから。でも、仕方ないか。真奈美は貴方の初恋の人なんだものね」
隣で一緒に手を合わせている有里子が言った。