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「四季の中つ国」  作者: 雪花
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明朝、まだ辺りが暗いうちに、凪は起きだした。


その気配を察してくれたのか、野外ではヒュウマが待っていたようにこちらを見上げていて、凪は微笑んだ。


もう、ここを発つと決めていた。


それなら一刻も早い方がいい。



手綱を握り、ヒュウマの目を頼りにまだ暗い庭園を進んでいくと、まもなく秋麗殿の門へ続く道に行きあたった。


凪は立ちどまる。


歩みを止めたのは、気配を感じたからだ。


一瞬、ひざまずこうかと思ったが、もうあえて、それはしなかった。

きのう、そうしなくていいと言われた手前、凪は振り返り、まっすぐに向き直った。



「もう、行くのですか」



丈の長い羽織をまとい、後ろに髪を垂らした楓の宮が、そこに立っていた。


薄暗いため、表情は読みとれない。

だが、心配そうな顔をしていることはわかった。


他の郷の宮に気にかけてもらえることを、どこか恐れ多く感じながら、凪は頷いた。



「登極には、四獣が必要になります。夏の郷の四獣を見出してからでも、遅くないのでは」


「それは、宮代も考えておられます」


凪は、先日の会話を思い返して言った。


「でも今は、他の郷に、この窮状を伝えるのが急務なのです」


凪はそう確信していたが、楓の宮の気持ちは別にあるようだった。


「では、引き止めるわけにはいかないようですね」


とだけ、小さくつぶやくと、


「最後にひとつだけ、あなたに教えましょう」


と、凪を見つめ返した。


夜明け前の薄暗いさなかでも、楓の宮の眼差しがむけられるのを感じ、凪は背を伸ばして次の言葉を待った。

楓の宮は言った。


「夏の郷の四獣とは、南方に配された四神、朱雀のこと。古来から、名を、(ほむら)と定められています。そなたには、それを知っていてほしいのです」



ーー焔。


夏の郷の四獣。



その言葉を聞いた時、凪は、心の底がうずくような気がした。

とても大切なことを、あえて告げられたと分かっていた。

凪が黙ってその場で頭を下げると、再び楓の宮は言った。



「このまま東へ渡ると句芒門(こうぼうもん)があります。よければ、春の郷の巫女姫に使いを出しますが、それを待って発つことはできないのですか」


「ありがとうございます。でも俺は、もうひとりで行くと決めたのです」


楓の宮は、かなしげに微笑んだ。


「それならば、どうぞ気をつけてお行きなさい」



凪はもう一度黙って礼をすると、再び手綱を取った。


門は開いていた。


凪は騎乗する。

飛び立つ合間に、振り向くと、楓の宮がこちらを見上げる様子が小さく目に映った。


瞬間、

その姿が、

葵の宮の面影と重なった。



ーー葵の宮さま。



凪はその思いだけを胸に、空の彼方へ高く舞い上がった。




***




生まれた場所を、凪は覚えていない。

ただ、幼くして【忍び烏】と定められた者は、教操院(きょうそういん)と呼ばれる場所を出て、夏の宮の宿舎に入ることになる。


夏の郷の(あるじ)となる姫宮の存在が明らかになったのは、凪が正式な【忍び烏】になって間もない頃だった。

聞けば、まだ同じ年頃の少女だというから、忍び烏たちは自然と浮き立った。


みんなが何かと噂するものだから、凪も知らずしらずのうちに、まだ見ぬ宮への思いがかきたてられた。



ーーどんな方でもいい。

お守りすることに、変わりはないのだから。



そんな気持ちをかためていたある日、

凪たち【忍び烏】は、特殊な凧を使って飛ぶ訓練をしていた。

空中でバランスをとらないと風にのれない仕組みで、落下傘を体に巻きつけてあるものの、打ち所が悪ければ、小さな怪我ではすまない演習だった。


よく晴れて、雲もなく、穏やかな春の日だった。


何人もの同僚たちが、風にのって飛び立っていくさなか、凪は苦戦していた。

焦りもあったと思う。

何度も失敗し、落ちそうになって、ようやく舞い上がれたと思った瞬間に、

東の方角から、突風が吹きつけた。


すでに空にのぼっていた忍び烏たちは、なんとか体勢を整えてもちこたえたが、まだ姿勢を保てていない凪にとっては、ひとたまりもなかった。


あっという間に風に流され、命綱である凧糸は切れてしまった。

ぐるぐる回転し、上も下も分からなくなりーー


いつのまにか、

気絶していたのだろう。



気がついた時、

凪は、大きな木の上に引っかかっていた。


そして目の前には、

夏昊殿があり、

その欄干に、

こちらを見つめる、ふたつの目があった。



深い、瑠璃色の瞳。


凪は、

体のあちこちが痛むのも忘れて、

その瞳に見入った。


とても綺麗な女の子だと思った。



その少女は、冷静に、木の上で凧糸にからまったまま動かないでいる凪を見つめていた。


欄干と、木の上にいる凪は、

ちょうど同じくらいの高さだった。


少女はしばらく見つめていたかと思うと、突然口を開いた。



「ゆるさないから」



少女は、ひと言言った。



「そんなことで、死んだらゆるさない」



幼いながらも、激しさを秘めた口調だった。

少女は続けて言った。



「死ぬなら、私を守って死になさい」



そう言うと、

少女は凪に背を向けて、見えなくなった。

瞬間、悟ったのだ。


ーーああ、あの方が。


自分が命を賭けて守らなければいけない、ただひとりの御方だったのだと。



その後、仲間の忍び烏たちに助けられ、なんとか事なきを得た。

今思うと、葵の宮が知らせてくれたのだろう。


その当時は、言われたことの意味が分からなかった。

今もたぶん、すべては分かっていない。


でもだからこそ、早く任務を終えて、郷に帰らなければと思うのだった。



***



異変を感じたのは、今から句芒門に差しかかろうとする辺りだった。

ヒュウマも何かを感じ取っているのか、知らないうちに速度を落としている。


凪は手綱を引いて空中で停止すると、辺りを見回した。


いつのまにか、空気がはりつめている。


ーーまちがいない。

誰かに見られているのだ。



そう意識すると、鼓動が速くなった。

表立って出てこないということは、こちらの出方をうかがっているのだろう。


おだやかでない気配は、凪を緊張させた。


誰かが、

凪の一挙一動を監視している。


いったい何のために。


春の郷には、まだ警戒されるほど近づいてはいない。

それに、こちらが名乗り出る前に殺気をむけられるなど、ただごとではない。


背に、冷たいものが流れ落ちる。


ヒュウマも気配を敏感に感じ取って、どこか不安げだった。



凪が、引き返そうと手綱を引いた瞬間ーー



一本めの矢が、鋭く(くう)を裂いた。


凪は、すんでのところでかわしたが、それをきっかけに、ヒュウマがおびえて跳ねた。


二本めの矢が、続けて飛んでくる。


狙いは的確だった。


ヒュウマが咆哮をあげる。

どこかに刺さったのだろう。

凪は夢中で、その背にしがみついた。



ーー俺が誰だか知っていて、矢を射るのか。



そう思った刹那、

焼けるような痛みが、左腕に走った。


凪は、

気づいたら、もう手綱をはなしていた。


それ以上、握っていることが、できなかったのだ。


この高さから落ちたら、助からないだろう。

頭の隅で、そう考える。

焦燥が胸をおおった。



矢羽根が視界に映る。

世界が反転する。




ーーゆるさないから。




いつか聞いた言葉が脳裏の奥で響き、凪は、虚空のなかへ投げだされた。















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