お姉さまは有名人? 2
柚鈴の部屋の前に立っている市原寮長にぶつかりそうな勢いで近寄ったかと思うと、詰め寄るようにしがみつく。
小柄な市原寮長よりは高いが、平均的な身長の女の子を驚きながらマジマジと見てしまう。
こ、こんどはなに?
走ってきた女の子は、活力に溢れた高い声とすこし垂れ目がちになる表情を、くるりと内巻きに顔にかかる髪が可愛らしくデコレーションしている。
それに、遥、さま?
寮長は様付けなのだろうか。それとももしや常葉学園では先輩は様付けなのだろうか?
私は戸惑ったが、呼ばれた市原寮長の方は、特に疑問を持った様子はない。
ないどころか、様呼びを当然としたように、可愛らしいだけだった市原寮長が、急に小さく顎を上げてショートカットの少女を咎めるように目を細めた。
「なんですか、花奏騒々しい。寮内を走らないでちょうだい」
「す、すみません。あの遥様のお部屋、三階のあのお部屋に移られたって聞いて探してたんですよ!本当なんですか?」
「あら、耳が早いのね。本当よ」
「うわぁ、すごい!お部屋見せてくださいっ」
少し誇らしげに市原寮長が笑い、花奏さんは手を合わせて、感動したように目を輝かせている。
付いていってないのは柚鈴だけだ。
急に目の前で始まったお嬢さま劇場にどうしたら良いか分からない。
引きつった顔で困っていると、市原寮長が気づいて愛らしく笑った。
もうすでに、その愛らしい笑顔もちょっと怖い。
「花奏、それよりもここはあなたと同じ新入生の部屋よ。ご挨拶なさい」
花奏さんには、可愛らしい姿からは、想像つかないような上から目線の言い方。
まさに「命じる」と花奏さんはこちらを見て、えへへと笑ってみせた。
「ごめんなさい。初めまして。私は中西花奏です。常葉学園には中等部から通ってました。寮生ではないんだけど、私はこちらの市原遥様の家系に四月から入るから、こちらには良く顔を出すのでよろしくね」
「か、家系?」
「柚鈴さんは外部からの入学だから、ご存じないのよね」
不思議な言葉に、自己紹介し返すのも忘れて言葉を反芻すると、市原寮長が間に入ってくれた。
外部入学生が知らない、ということは、このお嬢さま劇場は常葉学園の習慣なのだろうか?
「とりあえず柚鈴さんも、先に自己紹介をどうぞ」
困惑するが促されて、自己紹介する。
「は、はい。小鳥遊柚鈴です。どうぞよろしくお願いします」
「え?小鳥遊さん?去年の有名な卒業生と同じ名前ですねぇ」
花奏さんもやはり苗字で引っかかったようで、しかし市原寮長とは違い、目を丸くして明らかに驚いている。
今回は志奈を指すと思われる言葉もついて来るのだから、原因は間違いない。
しかし、『有名な』卒業生?
昨年まで中等部学生だった花奏さんにまで知られてる『有名』とはどういうことなんだろう。
つい口ごもっていると、花奏さんはうーんと眉間に考えるように人差し指を添えつつ、視線を宙に舞わせる。
「でもあちらの小鳥遊様は、同い年くらいの親戚は従兄の男性だけだったはずですねぇ」
「あら、良く知ってるわね」
「去年の高等部文芸部写真部合同出版の『憧れのあの人神7』見せてもらいましたもん」
憧れのあの人、神7神7!?
なんだ、それ?
その存在は市原寮長も知っているらしく、なるほどと相槌を打った。
「あら、そうなの。でも、そうね。こちらの小鳥遊柚鈴さんは中学はこの辺りの地域の公立だったみたいだし、お住まいも違うし、苗字が一緒なのはたまたまみたいね」
「そうなんですか?凄いねぇ、小鳥遊さん」
あぁ、2人の話がどんどん進んでいく。柚鈴は焦るが、花奏さんは気付かず、ふわふわとした笑みを浮かべている。
「す、すごい?」
「去年卒業された小鳥遊先輩というのは、常葉学園ではとーっても有名人なんだよ。多分、色んな人に名前で驚かれちゃうねぇ」
「へ、へぇ」
「私も恐れ多いので、同級生のよしみで小鳥遊さんではなく、柚鈴ちゃんと呼んでもいい?」
「ど、どうぞ」
「じゃあ、よろしく。柚鈴ちゃん」
私のことは花奏と呼んでね、とにっこり天真爛漫な笑顔を見せられた。
あぁ、もう頭が働かない。取り敢えず頷いてしまう。
えっと、呼び方?
呼び方は花奏、ちゃんでいいのかな?
それくらいしか頭でまとまらない。
「呼び方については、柚鈴さん。寮では寮生同士はなるべく下の名前で呼び合うことにしているの。同じ生活を送ることになる家族みたいなものだから、と何代か前の寮長の決め事でね。特に問題なければ、そのようにお願いするわ」
「あ、はい。えと市原寮長のことはなんと呼べば?」
「私のことも遥と下の名前で良いわ。寮長と呼ばれても学園で困るから、先輩でもさん付けでもお好きによろしくてよ」
よろしくてよ、の言葉に、聞きなれず一瞬考えてしまうが、続いて柔らかく笑われれば、受け入れてしまう。
しかし、小鳥遊志奈とは全く関係がないということになってしまった。
勘違いしたのは向こうだが、言いたくない気もして黙っていたのは柚鈴だ。
本当に、良かったのだろうか。
一抹の不安が残りつつも。
いや、でも私、ごくごく平和に平凡に学園生活が送りたい。
最終的にその気持ちが勝ってしまい、『今は言わない』という方向で行くことにした。
今後、機会があるかもわからないが。
お二人とも、なんだかゴメンナサイ。
心の中だけでお詫びする。
「じゃあ常葉学園の昔からの伝統についてお話ししましょうか」
市原寮長、ではなく遥先輩の言葉に、それについてはと気力を振り絞って、手を挙げた。
「あ、あの。一つ聞いても良いですか?」
「何かしら?」
「常葉学園には上級生を様付で呼ぶ習慣があるんですか?」
「ないわね」
ええ?じゃあ二人はなんなんだ!
あっさり否定した遥先輩はツインテールを揺らしながら腕を組んだ。それが少しかっこいい。
「正確には今の常葉学園では『その習慣が当たり前にある』とは言い難いわ」
「今の?」
「ええ、そう。昔はあったのよ。常葉学園は元々、歴史ある女学校で、それこそお金持ちの商家のお嬢さまから、ちょっとした血筋のお嬢さま方も通っていたの。その時代は当たり前のように上級生を様付けで呼んでいたそうよ」
落ち着いた滑るような話し方を、花奏さんはニコニコしながら聞いている。
遥先輩の言葉は全く淀みない。
「理事が変わって大分、様変わりしたの。だから、その時の習慣は廃止されたものも多いわ。なのに何故、私のことを花奏が様呼びしているかと言うと。常葉学園にある制度が関係しているのよ」
そこまで言われて、志奈さんの言葉を思い出した。
学校公認の恐ろしい制度がある、と。
その話ではないだろうか。




