お姉ちゃん、て呼んで? 2
「甘いわよ。柚鈴ちゃん。これからの高校生活に胸を弾ませているんでしょう。でも甘いわよ」
志奈さんは、とにかく私が家から出ていくのが不満らしい。
ぷりぷりしながら不安を煽るような言い方をしている。
とは言え、絶妙に憎めない。
志奈さんの行動は、基本的に全部好意からきていることが分かるし、そもそも人が嫌に感じるような雰囲気を持っていない。
どこか駄々をこねる子供みたいなのだ。
私は困りつつ、愛想笑いを浮かべて聞き返す。
「別に胸を弾ませているわけじゃないです。でも、なんですか?甘いって」
「柚鈴ちゃんも知ってるでしょう?常葉学園はそもそも、歴史の長ーい女学校なのよ。昔の風習が理事が変わった今でも、根強く残ってるんだから。面倒くさい習慣も多いのよ。特に」
勿体つけるように、アクセントを付ける志奈さんに思わず相槌を打ってしまう。
「特に?」
「外部受験からの一年生は、色んな先輩方に目を付けられて振り回されるのが慣例なのよ」
「はあ?」
言われてる意味が分からない。
先輩方に振り回されるのが慣例とは、どういう意味だろう?
くるくる回される絵が浮かぶが、いや、きっとそういうことじゃない。
志奈さんは愛らしく小首を傾げてみせた。
「んー体のいいメイドさん、みたいな感じかなー。学園公認の恐ろしい制度があるの。その制度を使って、結構やりたいようにやる上級生も多い、みたいな感じかしら」
「なんですか?それ」
学校公認の制度?
パンフレットにそんなもの記載されていただろうか?
全く覚えていない。
というか、そろそろ家から出ようと思っていたのに、気づけば志奈さんのペースで随分混乱してきている。
「なんで今日になってそんなこと言い出すんですか??」
「はい。構って欲しいからです」
悪びれずに微笑む志奈さん。
頭が痛くなる。
確かに私は、随分志奈さんの話を気にしている。
それは結果的に構うことになってしまうらしい。いや、そりゃそうだよね。
気になる話だもの。
「それ。志奈さんもあったんですか?」
確か、志奈さん自身も高等部は外部受験だったはずだ。
しかも、志奈の容姿は目立つから、目を付けられていても可笑しくはない。
というか、真っ先に目を付けられなくてはおかしい。
「私?私は特定の上級生にどうとかはなかったかな?秘密兵器もあったし」
「秘密兵器?」
「知りたい?知りたい?じゃあ、お姉ちゃんって呼んでみる?」
「うっ」
キラキラした目線を向けられて、口ごもる。
それは知りたい。自分がこれから通う学園のことだし。
そのためには、志奈さんをお姉ちゃんと呼ばなくてはいけない。
心を落ち着けて考えてみる。
なるだけ、前向きに。
人懐こく私を受け入れてくれてる志奈さんの気持ちに少しは応えなきゃなとも思ってる。
『お姉ちゃん』と呼ぶことは、志奈の気持ちに答えることになるだろう。
小鳥遊家に引っ越してきて、何よりも私を優先する志奈さんの存在に、恐れおののきつつ、居場所を感じていたところがあるのは確かだ。
お姉ちゃんと呼ぶべきか?
お姉ちゃんと呼んで、志奈さんを喜ばせるべきか?
お姉ちゃんと呼んで、常葉学園について聞いておくべきか?
苦渋の色を浮かべ、口を変な形に一度噛み締めて、力を込める。
ど、努力してみよう。
「あー、えーと」
「はい!」
「お、おねぇ...」
キラキラと期待を込めた眼差しに、動揺した。
ああ、やっぱり躊躇いがある…!
「お姉...さま?」
言って、茶化すように笑いを浮かべる。
やっぱり急にお姉ちゃんなんて私には、無理!
恐る恐る志奈さんを覗き込んで、すぐさま謝ろうかと思っていると。
「ふぅん」
志奈さんは満更でもないように声をあげて、目を瞑り考え込んだ。
なんだろう?この反応は。
「あ、あの。志奈さん?」
「あーうん。なるほどねぇ」
うんうん、とうなづいてから、なにやら納得したような顔で指でクルクルと髪を巻きつけて、遊んでいる。
なにがなるほど、なんだろう。
「あの、すみません。不快でしたか?」
もしや怒ったのかと、しどろもどろに取り繕おうとするが。
それより早く、ポケットから何やら取り出して、はいと渡された。
小さなブロンズのバッチ?
「なんですか?これ」
手で転がして形を確認する。円形のバッチの表面は一対の翼が描かれていた。その他には特に特徴はない。
「お守り。あげるわ。これが私の秘密兵器だったの」
「これが?」
「そう。制服の襟元にこれを付けておくと、上級生の干渉がぐんと減るの」
バッチを眺めるが、全く意味が分からなかった。
「何でですか?」
「質問したければ、お姉ちゃん教えて?と毎回言ってくれなきゃ嫌」
ぷいっと顔をそらされる。
とは言っても本当に怒ってる感じではない。どこかからかっているような横顔だ。
改めて、バッチを眺めた。
志奈さんの秘密兵器。
襟元にバッチなんて。まるで何かの職業を示すようにしか思えない。
質問したくて志奈を見るが、愛らしくも不敵な笑みで見つめ返され言葉を失う。
それをこの場で聞くには、お姉ちゃんと今度こそ呼ばなければならないようだ。
すでに挑戦する気力は残ってなかった。
「とりあえず、ありがとうございます」
付けるかどうかは学園に行ってから決めれば良いことだ。
秘密兵器というからには、何かあるのだろう。
分からないまま、持っているのことには、少し心配もあるけれど。
新しい不安を手に入れた私に、そんなこととは知らないはずの志奈さんが心配そうにしている。
「柚鈴ちゃん。困ったことになったら、ちゃんと相談してね?」
「困ったこと、やっぱりありそうなんですか?」
怯えつつ聞き返すと、志奈さんは目を見開いた。
それから少し答えに迷ったように、沈黙する。
え?どうしたの?
その理由が分からず、なにか声をかけようかとした時
「分からないわ。そもそも私はあまり困らない方だから」
そう言いながら笑う志奈さんは、どこか寂しそうに笑ってみせた。
「柚鈴ちゃんが言ってくれなかったら、困っててもきっと分からない。だから困ったことがあったら教えてね?」
寂しそうな笑顔は、いつも微笑んでいる志奈には珍しく思える。
だから思わず、素直に頷いていた。




