お姉さまの足跡 3
夕食後、幸が柚鈴を連れてきたのは、三階の一番奥の部屋だった。
ノックをすると、すぐに扉が開いた。
「いらっしゃい」
キレイに巻かれたツインテールが揺れ、顔を見せたのは、遥先輩だった。いつも通りフリルが可愛らしいワンピースを着ている。
部屋の中に招かれ、中に入ると、他の部屋よりも広く、奥にはティータイムくらいは楽しむことが出来そうな白塗りのテーブルセットがある。テーブルにはレースのテーブルクロスが敷かれていて、椅子にはクッションが置かれている。
「この部屋は寮長専用なの。他の部屋に比べて一部屋だけ広く作ってあるのよ」
「そうなんですね」
寮長専用のこの部屋では、他の寮生とミーティングをしたり、相談を受けたり出来るように、特別な作りになっていることは聞いたことがあった。勿論、中を見るのは始めてだ。
それは幸も同じらしく、部屋の中を感動したように見ている。
カーテンや内装まで、おそらくは遥先輩の趣味だろうがヨーロッパ風の装いになっているのだ。
促され席に着くと、タイミング良く外からドアがノックされた。
遥先輩が扉を開けると、凛子先輩が入ってくる。シワ一つない白いシャツに黒の七分丈パンツ。休みとは言え、隙のない雰囲気だ。思わず、姿勢を正してしまう。
ふ、2人に声を掛けたの?
ギョッとして幸を見るが、当の本人は目を輝かせて部屋の内装を見ていた。
「なんか、素敵」
幸せそうな様子に、おいおいと心の中だけで突っこむ。
「お待たせしたかしら?」
「そうでもないわ」
凛子先輩が席に着くと、遥先輩が4人分お茶を入れてくれる。
ハーブティーだと思われる、良い香りが部屋に立ち込めた。
素敵を実感する時間を終えたらしい幸が席を立って、二人に深々と頭を下げた。
「お時間を作って頂き、ありがとうございます」
柚鈴も合わせて頭を下げる。
「それで、お話しというのは何かしら?」
改めて席に着くと、遥先輩が促した。
幸が任せてと言わんばかりに、一度柚鈴を見てから、口火を切った。
「去年の生徒会長である小鳥遊志奈さんについて伺いたいんです」
そう言うと、遥先輩は少し目を見開いた様に見えた。
凛子先輩は、ほとんど表情を変えずに、カップを口元に運んでいる。
「どんなことについて、聞きたいのかしら?」
「人柄とか、でしょうか。私、文芸部に入ったんですけど、過去の部誌を見ても、とても有名みたいなので興味が湧きました」
ストレートに堂々と聞いてしまう幸の様子に、後ろめたさは全く感じない。
柚鈴と違って、確かに幸自身は「興味がある」というのが前提の行動なのだろうから、後ろめたさなんてあるわけもないが。
ままよ、と合わせることにした。
「私も、苗字が一緒という事で、驚かれたりしたので、出来ればお話しを伺いたいです」
そういうと、遥先輩はなるほど、苦笑しながら頷いた。
「小鳥遊さんは珍しい苗字だから、つい気になってしまうのよね。小鳥遊志奈様は、いろんな面でとても目立つ人だったし」
「色んな面で、ですか?」
「そう。部誌を見たなら知っているでしょうけど、昨年の生徒会長。普通科から生徒会長が立ったのは、常葉学園の理事が変わってからは初だったわ」
「それってすごいことなんですか?」
「どうなのかしら?」
遥先輩は首を傾げてから、微笑んだ。
曖昧な返事ではあるが、その表情から、遥先輩自身は凄いことだと思っているのが分かった。
「生徒会長は、生徒会を手伝う機会の多い特進科の生徒から出ることが多いのよ」
凛子先輩が付け加えると、遥先輩は頷いた。
「常葉学園は西クラスが一番人数が多いから、やっぱりそれだけでも人気があったわね。あとは一年の頃から『見守る会』という名前の先輩方のファンクラブがあったり」
「見守る会?」
「志奈さまは、入学してからすぐ、生徒会手伝いを始めて、助言者も作らないと公言されたのよ。当時の生徒会長が決めたことだけど、本当にすぐ決まったから助言者の申し出をしたくても出来なかった先輩方も多かったみたい。だから助言者希望だった方々は勝手に後援会のようなものを作ってしまったの」
「それにしても、後援会、ですか」
志奈さんのことだから、入学すればすぐ、その容姿から目立つ存在になることは分かる。
とは言え、生徒会入りしても助言者を持つことが出来るのに、持たないと言い切った理由も分からないし、『見守る会』が出来る理由も分からない。
遥先輩はにっこり笑ってから言葉を付け足した。
「最初は、2,3人くらいの先輩方がなんとなくそんな雰囲気になっただけだったみたいよ。でもその後、気難しいことで知られている同窓会を取り仕切っている同窓会会長を、手懐けてしまったことで話が進んだのよ」
「遥。手懐けるなんて、表現が悪いわ」
凛子先輩がたしなめると、遥先輩は肩を竦めた。
「凛子だって、今では随分困らせられてるんじゃないの?志奈様が卒業して、『あの方』がいつまでも大人しくしてるとは思えないもの」
「私のことは良いのよ」
凛子先輩は苦笑すると、遥先輩は肩を竦めてから、言葉を繋げた。
「志奈さまは、その立居振舞いでOGの方々から随分気にいられたのよ。そのOGの方々が先導して、『見守る会』が形になったのよ」
「え」
思わず声を上げてしまい、幸の顔を見ると、向こうも目を丸くしてこちらを見ている。
「それってつまり、OGの方が『見守る会』のメンバーだったってことですか?」
「そうよ。主体はあくまでも常葉学園の生徒だけど、OG公認なんて、常葉学園で正式に認められてる組織と変わらないわ。そうして志奈さまが成果を上げるたびに、人数が増えていったのよ」
「成果って」
言葉を返すと、凛子先輩が口を開いた。
「志奈さんは、トラブル解決が上手だったのよ。同窓会もだし、同級生や下級生の揉め事も、あの人にかかると不思議なくらい上手く収まっていたの」
そう言ってもう一口、ハーブティーを口に含む。
「入学してすぐから、まず生徒会が抱えていたOGとのトラブルを解決。上級生から可愛がられ、他校との交流も進んで指揮を取り、その後は生徒会会長に就任。その後も様々な生徒間のトラブルの解決に一役買い、下級生からは『みんなのお姉さま』と慕われる。そんな方なのよ」
ざっくりとまとめてしまってから、凛子先輩は小さくため息をついた。
そのため息はどこか重い。
そんな功績のある生徒会長が前任者では、プレッシャーも相当なものの筈だ。
ため息に込められた重さはそのプレッシャーに対するもののようにも思えた。
「ご感想はいかが?」
遥先輩に問われて。
「なんか、すごいですね」
幸は、瞬きをしてから絞り出すように言ってこちらを見てくる。
「あ、うん」
頷いてから、ハーブティーを一口飲んだ。
なんだろう。柚鈴の心は複雑な気持ちだった。
いつも楽しそうに微笑んでいる志奈さんとしか思っていなかったが、在学中は上級生からも愛され、下級生からは慕われていた、とんでもなく憧れられた生徒会長だった。
その事実は、本当に想像を超えていて、その人が自分の義理の姉ということは、受け入れがたくもある。
だが、その様子は柚鈴は知らないし、志奈さんは既に卒業してしまっているのだから、人の話以外で知ることもないだろう。
もし、私がその立場だったら。
上級生からも下級生からも、そんな風に特別扱いされていたら。
なんだか、怖くて寂しいことのように思えた。
一瞬、浮かんだ考えを、間違っている気がして、ハーブティーと一緒に飲み込んだ。
足跡探しを楽しんでするつもりが、なんだか違う風に受け止めてしまっている自分がいるのだ。
志奈さんが私と同じように感じるかどうかは分からないんだから。
それを確信することだけは、辞めようと強く思った。
「そういえば」
遥先輩が思い出したように言った。
「先日の入学式に、小鳥遊志奈様が来てたんじゃないかっていう噂があるのよ。貴女達、なにか知らない?」
思わず吹き出しそうになって、どうにか堪えた。
幸も目を丸くして、固まっている。
「そんな噂があるの?」
初耳だと言う様子で凛子先輩が聞き返すと、遥先輩は頷く。
「それがね。よく似た人が保護者席にいた、らしいの。とは言え、入学式なんて随分厳かに行われるから、騒ぎになったわけでもないし、よく分からないのよ」
「た、確かに。常葉学園の入学式は、本当に質実剛健を絵に書いたような入学式でした」
幸が分かるような分からないようなことを言って、相槌を打っている。
「志奈さんが、入学式にねぇ」
凛子先輩が頬杖をついて考え込むと、遥先輩は楽しそうに笑った。
「志奈さまに会いたがってた中等部からの生徒も多いし、夢でも見たのかしら。本当にいたなら、噂だけなんて可笑しいわね」
もちろん柚鈴からすると、笑い事ではない。
どこで見られたのだろうか。
入学式の間は、生徒の背後が保護者席だし、終了後の写真撮影は一番最初だから、それ程たくさんの生徒に見られたとは思えなかった。
だから噂程度で済んでいるんだろうけど。
一緒にいたところを見られていたのかもしれない。
それがどんな噂なのか具体的に聞きたい気持ちはあるが、なんと聞けばいいのかもよく分からない。
「それで、あなたたち心当たりはない?」
先に遥先輩から、改めて質問を受けて、一瞬頭が真っ白になった。
私には心当たりしかない。
「入学式は」
どうにか何かを言おうと口を開いてみる。
入学式は、なんだろう。
「入学式は、質実剛健を絵に描いたような厳かなものでした」
思わず、幸と同じことを言ってしまい、頭を垂れた。
ダメ。これ国語のテストなら、欠点。
質実剛健を絵に描くってなんなのよ、幸!
思わず八つ当たりを心で叫んでいると、ふふっと凛子先輩が笑いだした。
「なによ、凛子」
遥先輩が目を細くして聞くと、凛子先輩は笑いをこらえながら、楽しそうに周りを見た。それから落ち着くように小さく息をついた。
「柚鈴さんも幸さんも外部からの入学者なのよ?志奈さんの顔だって、それ程知らないんじゃないの」
「まぁ、そうよね」
あっさりと遥先輩が頷くと、凛子先輩は今度は、幸と柚鈴に目を向ける。
「あなたたち、仮にも特進の東組でしょう。言葉は整理して使ってちょうだい」
そういうと、ツボにハマったのだろうか。再度、凛子先輩はクスクスと笑い始めた。
なんだか、居た堪れない。
とほほと肩を落としていると、コンコンと扉の方から音がする。
どうやら、来客らしい。
柚鈴は扉を見つめた。