お姉さまの足跡 2
「私も部誌で見た分でしか知らないんだけど」
せめて自分が知っていることをと、幸が言葉を繋いだ。
「小鳥遊志奈さんって『全校生徒のお姉さま』だったらしいよ」
「はぁ」
よく意味が分からない。
「全校生徒のお姉さまって、なに?」
途方に暮れた目で、力なく口にすると幸はうんうん、と頷いた。
「気になるよね。それについては、後で調べよう」
「調べるの?」
「常葉学園で有名だったんだから、調べられるでしょう」
そういうと幸はにっこりと笑った。
「それでそろそろ入学式に来ていたこの人は柚鈴ちゃんとどんな関係なのか、ロマンスが聞きたいんだけど!」
「ろ、ロマンスなんてないよ」
「ロマンスはこの写真に溢れてるよお!」
なんだかんだ言っても全くぶれない幸が、印籠の様に、志奈さんと柚鈴が並んで立っている写真を突きつけた。
目が真剣だ。
確かに良く撮れていて、しかもとても仲よさそうな写真ではある。
あるのだが、ロマンスと言われると否定したくなる。
「な、なんでそんなに熱心なの?」
そう聞くと、幸は写真を見てウットリした。
「この写真が色んなトキメキを与えてくれるの」
「……」
うん。これは弥生さんもだけど、幸も困ったさんだ。
幸の目は、何か特別な素敵を見つけたようにキラキラしてて、困る。
本当に、おもちゃを発見した子犬だ。
そして今、おもちゃは柚鈴だ。遊ばれる側が嬉しいわけがない。
「そんなにロマンスを期待されても、困るんだけど」
「困ることはないよ。安心していいよ、我が友よ。ひとまず教えてくれれば、勝手にロマンスを妄想できる自信あるもん」
どんな自信なの?!
なんの安心もないどころか、却って不安になったのだが、幸は拗ねたように口を尖らせた。
「この写真のために、今日は弥生ちゃんに会いに行くことになったんだよ」
「それを言われたら、弱いけど」
「会いに行ったら、とびきり美味しいオムライスが出て来て、余計帰りづらくなったし」
「それは、私のせいじゃないよね?」
思わず突っこむと、幸はじぃっと見つめてきた。
「そんなに言いたくないようなことなの?」
覗き込んだ瞳はまっすぐで、思わず言葉を失う。
言いたくないようなことかどうか。
改めて聞かれるとどうなんだろう。
確かに、常葉学園において有名人らしい志奈さんの妹ということは、誰にも彼にも知られることはあまり良いことではないように思えている。だが、部誌でしか志奈さんを知らなかった幸もに言いたくないかというと、そこまでではなかった。
義理とは言え、志奈さんの妹というのは事実なのだ。
そのこと自体を嫌だと思ったことはない。
そして幸は友人である。
大人しくこちらの言葉を待っている子犬みたいな幸をみると、なんだか、話しても良いかなと言う気になってきた。
そんな気持ちになると自然に口元が緩んでしまう。幸はそれに気づいてにっこり笑った。
これは仕方ない。
柚鈴は、話すことにした。
自分のベッドに腰掛けると、写真を手に取る。幸に、お母さんと志奈さんとの三人写真を見せた。
まずはお母さんを指さす。
「こっちの人が私のお母さん」
それから、志奈さんを指差した。
「で、もう1人は私の義理のお姉さんの志奈さん」
「義理?」
幸に頷いて見せる。
「この春にね、私のお母さんが再婚したの。それの相手が、志奈さんのお父さんだったのよ。だから春から、小鳥遊志奈さんは私のお姉さんになったの」
「春って、常葉学園に来る前にってこと?」
「そう。だから私はこの人と、全然姉妹をしたわけじゃないんだね」
幸は、はぁーと感心したように息を漏らした。
その様子は、全く神妙な様子がなく、柚鈴を安心させた。
なるべく、なんでもない風に伝えたかったのだ。
変に真剣な様子をされたら、本当に困ってしまう。
「一緒に写ってる写真では、つい最近まで全然って感じじゃないのになあ」
「それは弥生さんの写真の撮り方じゃないかな?」
幸はその言葉には納得していないように首を傾げた。
改めて写真を見れば、写真の中の志奈さんは柚鈴を温かな目線で見ているものが何枚もある。
志奈さんの愛情自体は、否定出来ないかもしれない。
本当に柚鈴のことが可愛いと思っている気がするのだ。
柚鈴のなんだかむず痒いような気持になった。
「それで、柚鈴ちゃんにとって、志奈さんってどんな存在なの?」
「どんなって、そんなこと聞かれても。この春に急にお姉さんになったわけだし。綺麗な人だから、正直、妹なんて恐れ多いかなとは思うけど」
「なるほど」
幸はそう呟いて、少し考えるように沈黙した。
その澄んだ瞳は、柚鈴の心の奥まで見てしまいそうで、少し居心地が悪い。
「柚鈴ちゃん」
幸は、にっこり笑った。
「柚鈴ちゃんはお姉さんについて、もう少し知ってもいいんじゃないかな?」
「え?」
「だって、あんまり良く知らないみたいだし。柚鈴ちゃんのお姉さん、常葉学園では有名人だったんでしょう?それならこの学園には、お姉さんの足跡が沢山残っていると思うんだ。せっかく常葉学園にいるんだし、どんな風に有名だったか、足跡探ししてみようよ」
幸の提案に、目を見開いてしまう。
足跡探し。
それは柚鈴自身が、この寮にやってきたときに思ったことだ。
幸から提案されて、柄でもないと思うのに、なんだかドキドキしてしまう。
それはなんだか楽しくて素敵なことに思えるのだ。
「積極的にって、どうやって?」
「知ってる人に聞いてみるとか。幸い、もっともおあつらえ向きな人を私たち知っているじゃない」
その気になってきている柚鈴に気づいているのだろう。
幸が、探偵のように腕を組んで、無邪気に笑ってみせた。
「おあつらえ向きな人」が分からずに首を傾げる。
つまり、詳しい人に聞いてみるということだろう。
「でも、私。志奈さんの義理の妹だなんて、人に知られるのは気がすすまないんだけど」
「そうかぁ。じゃあ、聞き方は工夫しなきゃね」
特に問題にも思っていないようで、頷いて見せてから、幸はなにかを思い出したように勉強道具を手に取った。
「とりあえず時間もまだ早いし。柚鈴ちゃん!課題で分からないところがあったの。教えて」
お願いポーズをされて。
そのマイペースな幸の様子に、思わずふっと笑ってしまった。
立ち上がり、自分のノートを取り出しながら、幸を振り返る。
「良いけど、先に服は着替えた方がいいんじゃない」
「ああっいけない!」
幸はようやく気づいたらしく、慌てて立ち上がった。
その様子にクスクスと笑ってしまう。
とても幸せな気持ちが生まれていた。
それがどうしてか上手くは言えないけれど。
たぶん私にとって嬉しいような素敵なような『何か』を今、始めているんだと実感しているんだと思った。