お姉さまの足跡 1
「たのもーう」
学校が始まってから二週目のお休み。
夕方というにはまだ早い時間に、寮の柚鈴の部屋を訪ねてきたのは、幸だった。
朝の朝食時に見かけたままの、よそ行きの花柄のワンピース着ていて、沢山荷物を持っている。
憂鬱そうに、『今日は何時に帰れるやら』と呟いていたのを思い出した。
「あれ?今日は朝から出かけてたんじゃないの?帰りは夜かと思った」
そう言いながら招き入れると、幸は勉強道具とCD-ROM、大きな封筒を、柚鈴の机に置いて広げた。
ワンピースがシワにならないか、ちょっと心配になったが、幸の大きなため息を聞いて、一先ず黙っておくことにする。
「もう、大変だったの、今日は」
机に置いた荷物の中からCD-ROMをはい、と渡される。
受け取ると、幸はそのまま柚鈴のイスに座りこんだ。
「弥生ちゃんが、写真取りに来いって朝から呼び出して来たの」
「あぁ」
ぽんと、幸の従姉の顔が目に浮かぶ。
入学式の日に写真を撮ってくれた人だ。
あの日は、やたら写真に熱心な人としか思わなかったけど、幸の疲れ具合はひどく、どうしたのだろうか。
「ということは、これ、入学式の写真のデータ?」
CD-ROMを見せて聞くと、幸は大きく頷いて、疲れた疲れたと一度机に上に頭を伏せた。
「それを餌に私と遊んだり、学園の中を探ろうという魂胆なんだから、本当に困っちゃうよ。この間の入学式でも大変だったんだから。可愛いコ紹介してとか、弥生ちゃん、中身オジサンなんだもん」
愚痴の中身が、色々と意味深である。
気になる言葉はいくつもあったが、とりあえず無難なものから聞き返した。
「学園の中を探ろうって、何??」
「可愛いコ好きなの、弥生ちゃん。雑誌関係の仕事してて、東京美少女図鑑みたいなの作りたい、とか、結構本気で言ってるの。入学式も写真撮影の後、手当たり次第可愛いコに話しかけようとして、大変だったんだよ」
「び、美少女図鑑?」
驚いて声が大きくなってしまう。
美少女図鑑を作りたいとは、あの日みた「弥生さん」のイメージからは遠い。
幸は疲れたように頷いてから、封筒から写真を取り出した。
「今、弥生ちゃんは、この謎のお姉さんと柚鈴ちゃんに興味津々なんだよ」
見せられたのは、入学式での校門の前の写真。
CD-ROMのデータのものだろう。
かなりの枚数で、どれもとても写りが良かった。
携帯のカメラで撮ってもらった写真も、本当にどれも綺麗に撮れていたが、これは全く別物と言える。
中には、いつ撮ったのか柚鈴が髪の癖を直しているのを、にっこりと笑って見つめている志奈さんもいて、光の加減かとても仲よさそうに見えた。
このまま雑誌に載っていても、おかしくないと思える程の出来栄えだ。
これ、なんかスゴイ。
なんだか自然に姉妹として傍にいる雰囲気で、感動してしまった。
「これ、良いね。こんなに素敵にとってくれるなんて思わなかった」
思わず目を輝かせながら言うと、幸は嬉しそうに笑う。
「うん。弥生ちゃんは、写真はスゴイよね」
写真は、という言い方は捻くれているが、自慢に思っているのは間違いなさそうだ。
「雑誌の仕事をしているんだっけ?写真を撮る人なの?」
「弥生ちゃんは編集者なんだよ。街ナビみたいな雑誌を作っているの。写真は完全に趣味なんだって。大学のサークル時代からやってて、好きな物を自由に撮るには趣味が一番だって良く言ってるんだ」
そう言ってから、なにやら思い出したらしく、疲れたような顔になって言葉を繋げる。
「このお姉さんなんて美人だから、弥生ちゃんがお近づきになりたいなりたいって大変だったんたよ」
あの日の弥生さんを思い出して、柚鈴は首を傾げた。
そんなことを思ってそうには見えなかったな。
もしかしてワザと幸ちゃんが嫌がることを弥生さんが言ってるんじゃ?
と思いつつ、さすがに口にはしない。
代わりに苦笑してから頷いた。
「確かに、志奈さんは美人だね」
その言葉に反応しように、幸ががばっと振り返って距離を詰めてくる。
柚鈴は思わずのぞけった。
「志奈さんって誰?」
「え?」
おもちゃに見つけた子犬みたいにキラキラした目の幸に聞かれ、思考がフリーズしてしまう。
誰?誰と言うのは、どういう意味?
幸は目を輝かせたまま、にっこり笑った。
「柚鈴ちゃん。私は別にこの人の名前を聞いてるわけじゃないのよ?大切なのは名前じゃないんだよ。名前じゃあね。そもそも、私はこの人の名前を見た覚えがある」
「え?どこで」
聞き返しながらも、目が泳いでしまう。
疚しい気持ちがあって、動揺しか出来ない。
返ってきた答えは、柚鈴が予想してないものだった。
「この間入部した文芸部の部室で」
「え?幸ちゃんがもう部活入ったの?しかも文芸部?」
「うん。私、好きなんだー。読むのも、書くのも」
へらっと笑ってから、きっと表情を締める。幸は百面相だ。
「で、過去の部誌を見たのですよ!」
そこまで言われて、思い当たる節があった。
どこかのアイドルを彷彿とさせるタイトルの付いた部誌の話を花奏がしてなかっただろうか。
思わず目を逸らすと、幸はささっと目線をそらした方に移動する。
そ、そんなに見なくても。
追い詰めたと言わんばかりに、幸は志奈さんの写真を指差した。
「小鳥遊志奈さん。常葉学園の昨年の生徒会長さんだよね」
「は?」
「ん?」
今、何と言っただろうか?
意味が分からずに困惑してると、写真の志奈さんを幸が指差す。
「去年の生徒会長さん」
「そうなの?」
「え?」
きょとんとした幸の様子に、混乱した頭はフル回転を始める。
とは言っても、迷走した回転だが。
去年の生徒会長?
いや、そんなまさか!
慌てて小物入れにしまっておいたブロンズのバッチを取り出して確認する。
そう、これはブロンズだ!金じゃない!
「柚鈴ちゃん、それ...」
柚鈴の手元を覗き込んだ幸を振り返って、勢いのままにバッチを見せた。
「ほら、金じゃないよ!ブロンズだよ!」
そう言うと、幸は戸惑ったように瞬きをする。
「え?ちょ、ちょっと待って。それ小鳥遊志奈さんのなの??」
「そうだよ!これ、ブロンズだから、生徒会長は間違いじゃないの?」
「......」
幸は目を瞬かせて、柚鈴を見つめた。
いつも通り、幸の目は澄んでいる。心の中まで覗き込まれそうな瞳を柚鈴は見つめた。
しばらく間を持たせてから、宥めるような優しい声を幸は出した。
「柚鈴ちゃん」
「な、なに?」
「多分それ、小鳥遊志奈さんが、1、2年生の生徒会のお手伝いをしてた時のバッチなんじゃない?」
「……」
ゆっくりと頭の中で言葉と状況を整理し始める。
志奈さんはブロンズのバッチを持っていた。
ブロンズのバッチは、生徒会手伝いや見習いの人が持つものだ。
文芸部の部誌には、小鳥遊志奈さんが生徒会長として紹介されていた。
つまり志奈さんは、昨年は生徒会長だった。
「……」
志奈さんが、生徒会長?
全くそんなこと言ってなかったのに?
だとすれば「自分が有名な理由が分からない」と言っていたが、そんなわけはない。
その気になれば、すぐバレるような話を、まさか隠したかったとも思えない。
そう、隠したかったというより、志奈さんの場合。
柚鈴と戯れたかった。
ぴったりな言葉が浮かんで、力が抜けた。
志奈さんの手のひらでコロコロ転がされていた気さえしてしまう。
いや、これはもう転がれていたのだ。
幸も柚鈴が「小鳥遊志奈さんの常葉学園での有名さ」を知らなかったことに驚いたようだ、よしよし、と慰めるように柚鈴の肩を撫でた。