お姉さま、入学式です 4
喫茶店を出ると、帽子とサングラスをした志奈さんが常葉学園の方を見て、名残惜しそうにしている。
懐かしい場所だから、離れがたいのかな?
お母さんも同じことを思ったようで、志奈さんに声をかけた。
「志奈ちゃん、どうしたの?」
「校門で、柚鈴ちゃんを真ん中に、家族写真撮りたかったなぁと」
なんとも切なそうに出てきた言葉に、は?っと固まってしまう。
この人、わざわざ戻って写真を撮ろうとかおっしゃいました?
あり得ないと首を振ろうとすると、
「あら良いじゃない。撮りましょう。どうせ、すぐそこなんだし」
お母さんが嬉しそうに同意した。
「いいんですか?」
私は慌てたが、2人の勢いには全く勝てない。あっという間に校門まで戻されてしまった。
お母さんはいそいそと携帯電話のカメラを用意しながら、近くにいる人に撮影をお願いしている。
入学式に参加していたのだろうか、携帯を受け取ったのはスーツを着たスラリとして背の高い女性だった。
全クラスの記念写真撮影の時間はもう終わっているようだった。
幸いなことに、帰宅のピークも過ぎたようで周りにセーラー服連れの親子の姿は疎らで、こちらのことを気にしているひとはほとんどいない。
今のうちに撮ってしまえば、大丈夫かもしれない。
諦めて大人しくなった柚鈴を真ん中に、サングラスを取った志奈さんとお母さんが並ぶ。
カメラを向けている人は、なんというか随分熱心な人で、携帯電話のカメラなのに距離や角度までしっかり考えてとってくれる。
熱心なのはいいんだけど、やたら周りの空気から、浮いているというか目立ってしまってる気がして気が気ではない。
まあ、今日は入学式で在校生もいないわけなのだから、志奈さんに気付く人はいないかもしれないけれど。
落ち着かない。
ようやく撮り終わって、携帯を返してもらう頃にはすごく疲れた気分になっていた。
「わぁ、なんか凄く良い写真ね」
感心するお母さんの声に見てみると、確かに携帯で撮ったとは思えないくらいの仕上がりだ。
光の当たり方や、体の角度や、笑顔の入り方がすごく綺麗なのだ。
確かに、携帯のカメラなのに、すごくキレイ。
柚鈴もつい感心してしまった。
なので、
「良かったら、私のカメラで写真撮りましょうか?」
スーツの女性が、続いて言い出した言葉に、咄嗟に反応が遅れてしまった。
女性が慣れたように大きなカバンから取り出して見せたのは、柚鈴が見ても良いカメラなんだろうと分かる一眼レフだ。
どうやら凄くカメラが好きな人のようだった。
遠慮するお母さんに、まぁまぁと気安く笑いかける。
「私も一年生の子の保護者で来たんですけど、せっかくカメラも持ってきたし。もし良ければ、後日データをうちの子に持たせますよ」
スラリとした、どこかネコ科の生き物を思わせるキレイな女性は、むしろ写真を撮るのが好きなんです、と言い切り、お母さんの説得を始めた。
断るための口を挟む隙が、すでにない。
保護者とは言うが、女性は親世代には見えない。社会人だとは思うけど、もしかしたら志奈さんのように、新入生のお姉さんなのかも知れない。
「良いんですか?お願いします」
柚鈴が困りつつ、様子を見守っていると、志奈さんは目を輝かせてお願いしてしまった。
頼んでしまうんですか、志奈さん。そうですよね。頼んじゃいますよね、志奈さんなら。
うきうきした姿に心の中だけで呟く。
「柚鈴」
そんな柚鈴に気づいたのか、お母さんから、気を使うような視線がきた。
写真は断ろうか?という視線だとすぐに分かった。
携帯での写真も撮ったし、お母さんの中では一区切りついたのかもしれない。
志奈さんが乗り気なのに、こちらを優先してくれたお母さんに少し嬉しく思ってしまった。
思わず、気にしないで、とお母さんに笑顔を送ってしまう。
お母さん相手に良い子をしたくなるのは、柚鈴の悪いクセだ。
結局、大人しく並んで写真に収まってしまう。
「うん、ばっちり」
…その言葉が出るまでに、携帯以上の枚数を熱心に写真を撮ってくれたが。
もう、それはいいや。
諦めの気持ちでだが受け入れることができた。
スーツの女性は微笑んでから、名刺を取り出して渡してくれる。
「お名前聞いても良いかしら?」
「あ、小鳥遊柚鈴です」
「東組よね?さっき写真撮影の時、見かけたもの」
にこっと笑いかけられて、ふと名刺に目線を落とすと
春野弥生、と書かれていた。
春野、ということは。
「もしかして、幸ちゃんの従妹のお姉さんですか?」
「ええ、そうよ。もう、もうお知り合い?」
「あ、はい。同じ寮でして」
「そうなんだ。幸ちゃんのことよろしくね」
極上のスマイル。ついでに握手まで求められ、愛想笑いで手を出した。
ものすごく愛想が良い。
幸の従姉妹、というと、ものすごく幸が避けていた相手のはずだ。
どこが、とは言えないけど、確かにちょっと変わってはいるかもしれない。
そういえば、幸はどこにいったんだろうと、その姿を探してしまう。
「幸ちゃんなら、寮に帰ったわよ」
考えを読まれたのか、弥生さんはにっこり笑って教えてくれた。
帰ったのか、逃げ出したのか、普段の幸の態度からだと色々考えてしまうところだ。
でもパッと見、ただの美人のお姉さんである。カメラに関してはずいぶん熱心ではあるけど、幸ちゃんが苦手だとする理由までは解らなかった。
まあ、「美人のお義姉さん」の志奈さんから一歩引いた態度を取りたい柚鈴が言えることではないのだが
そんな柚鈴の心内なんて全く知る由もなく、弥生さんは、お母さんと志奈さんに丁寧に挨拶をして帰ってしまった。
「柚鈴ちゃん、写真が出来たら見せてね」
志奈さんが明るい声で話しかけてきて振り向くと、サングラスと帽子を被っていた。
「帰るんですか?」
そう聞くと、志奈さんは笑って頷いた。
それから、そっと私を抱き寄せる。
「またすぐ会いましょう。楽しみにしてるから」
後は、すっと離れていってしまう。
入れ替わるようにお母さんが少し寂しそうに手を握って囁くように声を掛けてくれた。
「元気で頑張ってね」
なんだか私も急に寂しくなってしまった。でもそんなことは言えない。
いつでも会えるから大丈夫。大丈夫と、心の中だけで言い聞かせて、笑ってみせた。
お母さんはもしかして気付いているだろうか?
そんな素振りを見たら、私の表情が変わってしまう気がした。
だから、見ているようで、なるべく見ないようにする。
そうして帰っていく2人を見えなくなるまで見送った。