第4話 機械街の父娘
穴に投げ込まれたリンは、腕と頭を打ち付けた痛みでひとしきり悶えた後、穴の周りをうろうろとしていた。痛みでしばらくうずくまっている間に、穴から響いていた音もやみ、辺りは静寂に包まれている。
「マイン、大丈夫かな……」
ぽそりと心細げにつぶやく彼女の目には恐怖と不安の色がにじむ。
下の様子を窺おうとしたのだが、穴に近づくと床から乾いた音がピシピシと鳴り不安を煽ってくる。すでに一度踏み抜いた場所だ。どうしても落下の恐怖がちらつく。
「下から音がしてないってことはあの黒い自動人形、どこかいったのかな。もしかしてマイン、壊されちゃったんじゃ……」
いくら怪力だったとはいえ、マインは自分とさして変わらない大きさだ。質量の差は如何ともしがたい。頑丈なマインもあの剛腕で破壊されてしまったのではないか。悪い予想ばかりが思い浮かぶ。
「マイーン! 聞こえてるー?」
大声で呼んでも、反響する自分の声しか聞こえない。不安になって何度か呼びかけたところで、リンはマインがほとんど声を出せないことを思い出した。ならばと物音を立てるように指示したが、音は返って来ない。
「やっぱり壊されちゃったのかな……。でも、動けなくなってるだけって可能性もあるし……」
穴から下が見えない以上、マインの安否を確認するには下に降りるしかない。だが、下手にうろつけばあの巨腕で床の染みにされるのがオチだろう。
「行くしか、ないよね」
それでもリンは下へ降りることを選んだ。今はマイン以外に頼れる者もいないと打算的な考えも含まれていたが、純粋に心配だったというのもある。
下へ降りる道はないかとあたりを注意深く探し始めたリンの耳に足音が聞こえてきたのは、少々時間が経ってからだった。リンはとっさに物影へ隠れ、近づいてくる音の方を窺う。迫る真っ黒な巨体を思い出し、否が応にも緊張が高まる。しかし、荒くなる息を抑えようと手で口をふさいでいたリンは、陰からあらわれた見知った顔を見て思わず彼の名を叫んだ。
「ラッツ!」
呼ばれた声に弾けるように顔を向けたのは、茶髪の青年だった。大人というにはまだ少し幼いその顔立ちに浮かぶ表情は、驚きからすぐに安堵へと変わる。
「リン! 良かった。無事だったか」
走り寄ってリンの頭をグリグリと撫でまわしながら、ラッツは笑う。いつもはにやけた笑いを張り付けながら髪をぐしゃぐしゃにされるため、リンはラッツに頭を触られるのを嫌がっていたが、ことこの状況下ではとても心強い。
「ラッツたち、みんなどこに行ってたの! ここに行けって言われたから来たのに誰もいないし、穴には落ちるし、黒い自動人形に襲われるし! 散々だったよ!」
「悪かったよ。だけどこっちもいろいろあったんだ」
泣きながら怒るリンを前に、ラッツは少々野性味を感じさせる顔に安堵まじりの苦笑いを浮かべてすまなさそうに言う。
「とりあえず落ち着け。あんまり大声出すとあいつらに見つかるぞ」
「ッ! ……うん」
一瞬びくっとすくめられた頭に、安心させるように手が置かれる。
「こっちにもあいつらがいたのは予想外だったんだよ。合流予定の場所からやつらを引きはがすのに手間取ってリンとすれ違いになっちまった。こっちにいる人員は少なかったからな」
じんわりと染み込む温かさに、目頭の熱も広がっていく。
「フィルス先生もダルフもベルもみんな、あいつに……。ラッツたちもいないし、一人ぼっちになっちゃったと思って、ほんとに、ほんとうに怖かったんだから」
しゃくりあげながら泣き顔を隠すようにうつむくリンの頭を、さらにグリグリいじりながらラッツは反論する。
「だから悪かったって。けど、あんなとろくさい泥人形に俺たちがやられるわけないだろ。ビオ爺さんだったら避けるとき腰をやっちまうかもしれねぇけどな。
……それにしてもよ、リン。友達勝手に殺しちゃダメだろ」
「……へ?」
思わず間抜けな声を上げたリンの目に入ったのは、口の端を軽く吊り上げたラッツの顔だった。
「っと、話し込んでる場合じゃなかった。とりあえずここから出るぞ、付いて来い」
来た道を引き返そうとするラッツにあわててリンが声をかける。
「ちょ、ちょっと待って! みんな無事なの?」
「言葉通りだよ」
リンの顔の強張りが緩む。
「なんだぁ、良かったぁ……」
「ま、そういうことだ。分かったなら、ほら、行くぞ」
手を引こうとするラッツをリンはとっさに引き止める。
「待って。まだ下にマインがいるの、助けなきゃ」
「マイン? 誰だそいつ?」
「えっと、誰というか、何というか。たぶん自動人形……だと思うんだけど」
リンの瞳が中空をさまよう。
「自動人形? リンは一人で来たんじゃなかったのか?」
「連れてきたんじゃなくてここにあったの。下の階に置いてあって。脱出の手伝いしてくれたし、しゃべれるんだよ。わたし、あんな高性能な自動人形は初めて見た」
それを聞いたラッツの視線が厳しいものになる。
「しゃべる? 自動人形がか?」
「うん。名前付けたら気に入ったって言ったんだ」
ラッツは少し考え込んでから、幾分か温度が下がった声で言う。
「やめておけ。ほかにも危険な奴がうろついてるんだぞ」
「え、でも……」
「今は、駄目だ」
真剣な目で言い聞かせるような様子のラッツにリンは思わず口を閉じる。
「そんな顔するな。戻ったら親父たちに相談する。探すにしても人手があったほうが良いだろ」
リンは後ろ髪をひかれながらも、知り合いに会えた安心感といつものいい加減な姿がなりを潜めているラッツの様子に大人しく手を引かれていく。そんな様子を見てラッツはリンの気を紛らわせようと今までの経緯を尋ねた。
「戻りがてら何があったのか教えてくれ。そのマインってやつのことも含めてな」
リンは頷き、いままでのことをひとつひとつ思い返していった。
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何もない乾いた土地が続く荒野の先、大きな岩場を越えたあたりから、巨大な城壁を備えた街が見える。砂嵐がない日でも、白い蒸気が絶えずに吹き上がっているせいでいつも街は霞んでいた。しかし、そんな中でも太陽の光を反射する城門はひときわ大きな存在感を放っている。
荒野には似つかわしくない、銀色に輝く機械仕掛けの門はこの街の名物の一つだ。この巨大な城門は日が昇ると開門し、日没には閉門する。蒸気機関を動力に大小さまざまな歯車がかみ合わさって巨大な扉が動く様子は圧巻の一言である。
蒸気と歯車の街、エギオン。
蒸気機関とそれを動力にした機械産業で成り立つこの街は、外から見た様子からこう呼ばれていた。城門をくぐって街の中に入れば、張り巡らされたパイプと回転する歯車、吹き出す蒸気がこの街の盛況ぶりを伝えてくる。雑多な街は初めて訪れる者を例外なく迷わせるが、そんな様子も住んでいる者から見ればこの街の自慢の一つだ。
入り組んだ道、どこにつながっているか分からない階段、きしむ扉。どれもが通る者に街の新しい一面を見せ、飽きさせない。知らない場所を通るたび新たな発見がある。その魅力に取りつかれた者はいつのまにか街の住人となっているのだ。
リンの父、ギルもそんな魅力にはまった者の一人だった。ギルは長めの黒髪を首元で束ね眼鏡をかけた、一見すると学者か何かのようにみえる男だ。性格は温和そのもので、彼と初めて会ったものは皆彼が蒸気機関の整備士だとは思いもしない。
職人気質の頑固者が多い中で、柔和な笑顔を浮かべ穏やかに話すギルは街の中でも少々変わった整備士だと思われていた。しかし、腕は一流であり、その気質と相まって街の女からの受けがいい。
「おかえり、父さん。またナクファさんのところ行ってたの?」
リンは道具箱を抱えて帰ってきた父に声をかけた。
「いや、ナクファさんのところは一昨日直したよ。今日は道具の修理が終わったってカラムのところから連絡があったからそれを取りに行ってたんだ」
「ああ、そういえばこの前、仕事中に道具箱を落としたって言ってたね。てっきりまたナクファさんがお気に入りの父さんを呼ぶために何か壊したのかと思った」
「はは、いいじゃないか。お得意さんがいるのは悪いことじゃないよ。それにナクファさんは特別報酬をはずんでくれるから我が家の家計に貢献してくれてると思うけどね」
軋む鋼板の扉を閉めながらおどけたように笑うギルに、リンはジトッとした視線を向ける。
「ふーん、まあいいけど。それにしてもわざわざ時間かけて修理なんかしないで新しいの買えばよかったのに」
「いやいや、何を言っているんだい。いいかい、プロの整備士にとって道具は頑強だけど繊細な相棒なんだ。手に馴染んだ道具なら微妙な音とか感触の違いで機械の異常がすぐにわかる。この微妙な違いが効率、機械の安全性として如実に……」
「はいはい、わかったよ父さん。はやく汚れ落としてきて。ナクファさんのおかげで今日もおいしい夕食が待ってるよ」
いつもの癖で熱く語りだしたギルに、長くなりそうだと直感したリンは父を洗い場へ追いやった。語り足りなさそうな様子のギルを尻目に、テーブルの上の料理を見やる。
リンに母親はいない。幼いころに事故で死んだらしい母に代わって、この家を守るのはリンの役目だった。
料理、洗濯、掃除に加えて時には家の修理。仕事で疲れているだろう父のために、小さいころから家のことは何でも一人でやっていたリンはそこらの主婦よりも優秀だという自信があった。
今日も父のために、腕によりをかけて夕食を作ったのだ。
さっぱりしてテーブルに着いたギルが、半透明の具が浮かぶ野菜スープを見て口の端にわずかに笑みを浮かべた。
「懐かしいな、これ。昔リエルが良く作ってくれてたやつだ」
「母さんが?」
「ああ、リエルはリンと違って料理は苦手だったけど、これだけは自信があるってよく作ってたんだ。よく街の裏門から出てサボテンをその辺りから採ってきてたよ」
スープをすくって口に運んだギルはおっ、と小さく声を上げた。
「この歯応え、採りたてだね」
「うん。ミリアがおすそ分けしてくれたんだ」
台所に残る材料をちらっと目をやったリンは、昼過ぎに、お互い仕事親父の世話には苦労するねぇ、と愚痴られながら半ば強引に押し付けられたことを思い出す。
次に文句いうことがあったら愛道具で尻叩いて追い出してやるさ、と笑いながら帰っていった豪快さとは裏腹に、細やかな下処理のされたサボテンを見て思わず口角が上がる。
「それにこの味付け……。レシピをどこかで見つけたのかい?」
「ううん、違う。ミリアに教えてもらったの」
「ああ、そういえば彼女とリエルは仲が良かったね。そうか、ミリアに……。リエルもミリアにこの料理を教えてもらったのかなぁ」
ギルは懐かしむように目を細めた。その様子は亡き妻を思い出し、哀しんでいるようにも見える。リンはそんな父を見て、話題を変えた。
「そういえば、今日は道具を取りに行くだけだったにしてはやけに遅かったね。何かあったの?」
「あぁ、そうだ。忘れてた」
ギルは立ち上がると道具箱の中から翡翠のような石がついた髪飾りを取り出した。
「道具を取りに行く前に時間があったから、久しぶりに街をぶらつこうと思ってね。寄った先にあった出店で見つけたんだ。いつも家のことをよくやってくれるリンへのご褒美さ」
はい、と手渡された髪飾りを見たリンはほう、と息をついた。銀色のフレームについている葉のようなデザインにカットされた石は、見る角度によって薄い緑のようにも青緑のようにもみえる。
「つけてみてもいい?」
嬉しそうに尋ねるリンにギルはもちろん、と頷く。ギルと同じ黒い髪を肩まで伸ばしたリンに、その髪飾りはよく馴染んでいた。
「うん、似合ってるよ」
ギルはにっこりと笑って言った。
リンも少しはにかみながらも笑って答える。
「ありがとう、父さん」
上機嫌になった二人は楽し気に話しながら夕食を食べ始めた。
蒸気が煙る機械街の一角で明かりのついた家からいいにおいが漂ってくる。時折外に漏れ聞こえてくる父娘の笑い声が、家の中の様子を伝えていた。
通りかかった者が聞けば、誰もが幸せそうな家庭だと思うだろう。
これが、二人が笑いあいながら一緒にいられる最後の夜だったとしても。