第3話 残響
私は暗い廊下を疾走していた。革靴が地面をリズムよく蹴る音が反響する。
最初にいた部屋の前を片腕人形が通る前にたどり着かなければならない。なにせ私が十人束になったより太い巨体だ。ただでさえ廊下を狭くしているのに、それに加えてあの剛腕を振るわれたらすり抜けるのは容易ではない。
この体にも少しずつ慣れてきている。脚の力加減も問題ない。
そう思ったとき、うぐっと呻く声がした。脇に抱えて揺られるリンが、私の腕で締め付けられて少し苦しそうに顔をしかめる。
まだ腕の力加減ができてなかったか。リンに恨めしそうな目つきでにらまれた。これでも揺れを抑えようと努力しているのだが……。すまないがもう少し我慢してほしい。
最初の部屋に戻ると決めたあと、私は疲れている様子のリンを抱えて走ることを彼女に提案した。
リンは、赤ちゃんじゃないんだから自分で歩くよ、と主張していたのだが、いざというとき疲労で動きが鈍っては命にかかわるかもしれない。
私は今のところ疲労をまったく感じていない。そもそもこの体に疲労するという感覚があるのかすらわからないが。
それなりの暗視能力もあり、前方を素早く視認できる。何より身体能力が並みの人間の比ではない。
そう思っての行動だったのだが、あとでリンからお小言をもらいそうだ。
リンをどうなだめるか少し考えていると、最初いた部屋がもう見えてきた。扉がなくなった入り口を薄明かりが通って、床にぼんやりと四角い形を描いている。
走る速度を落として部屋へ入ると、ほかの部屋と同じく山と積まれたガラクタの奥に目当ての鉄板が鎮座しているのが見えた。
「もうおろして」
腕の中からとげとげしい視線を送ってくるリンを解放すると、彼女はふぅと一息入れてから私に向きなおる。
「もう少しましな抱え方があるでしょ。背負うとか、その……、お姫様みたいに前で抱えるとか。小麦の詰まった袋じゃないんだからさぁ」
案の定お小言をもらってしまった。機械の体になっているせいか、痛みや息苦しさがどの程度のものだったのかいまいち想像できない。もしかしたら、実はかなり辛かったのでは……。そう思って頭を下げようとしたところ、リンのぼそっとつぶやくような声が聞こえた。
「まあ、私を心配してくれたのはわかったよ。……ありがとね」
若干目を逸らしながらそう言って、そのままくるりと背を向けて部屋の奥へ歩き出してしまった。面と向かって礼を言うのは少々恥ずかしかったのだろうか。まわりこんで顔を見ようとも思ったが、余計なお小言はもらうまいと思い直した。
リンを追って鉄板に近づいてみると、錆にまみれており、長らく放置されているのがよくわかった。
「これはほんとに痛かった……。ほんと、あそこから落ちてよく無事だったなぁ、わたし。」
天井の穴を見上げながらしみじみとつぶやき、そのまま視線を下へ辿っていくリン。彼女が滑り落ちた跡はところどころ反射して光っている。鉄板に爪を軽く当ててひっかいてみると、錆がとれて金属の光沢があらわれた。錆だらけではあるが中身はしっかりしているようだ。
耐久性に問題はなさそうだったが、私の腕の前では分厚い鉄板も紙同然。手刀を打ち込むような真似はもうしない。鉄板に爪をたてて握りこむように力をこめると、めりめりと爪が食い込む。崩れる様子もなく、しっかりと固定された。ブーツを履いているせいで少し足が滑るが、腕の力だけでも問題なく登れそうだ。試しに少し力を入れると、大した抵抗もなくするすると登れた。降りてからリンに目配せする。
「頼んだよ、マイン。ここから出たら、マインのこといろいろ教えてもらうからね。わたしもいろいろ教えてあげるから。とりあえずは常識と文字、それから人の運び方ね」
クスッと笑う声が聞こえたので、首にまわされたリンの腕を軽くたたく。出会って大して経っていないが、冗談を言う程度の信用は勝ち取れたようだ。
ここから出た後のことは何も考えていなかったが、リンと一緒にいるのも悪くない。問題がなければしばらくはこの子についていくか。
そんなことを考えながら鉄板を上っていく。
天井の穴まであと少しのところまで登り、少し気が緩んでいたのかもしれない。つかんだ部分が脆かったのか、力み過ぎたのか。部屋の入口に巨大な黒い塊があることに気付いた瞬間、手が滑った。
「え、わっ」
振り落とされまいとしたリンにしがみつかれる。何とか踏みとどまろうとして脚に力を入れた結果、ブーツが滑ってさらにバランスを崩した。ふっと背が軽くなる。左右に振り回される形になったリンが手を離してしまったようだ。機械の体の性能をフルに活かして振り向きざまにリンを捕捉、体をわしづかみにする。
「し、死ぬかとおも、……っ! マイン! あれ!」
ほっとしたのもつかの間、リンから鋭い声が飛ぶ。
指した方には、右腕を後ろに振りかぶった人形。すぐそばにはガラクタの山。何をしようとしているのかは明白だった。
振りかぶられた腕がすくいあげるように払われ、私の背を超えるような大きさの鉄塊が紙くずのように宙を舞う。狙いは甘いが数が多い。今の態勢で避けるのは無理だ。
つかんでいたリンを反射的に天井の穴へ放り投げる。精度は完璧。小柄な体が天井の穴へ吸い込まれていく。
「マイン!」
驚きが入り混じった悲痛そうにゆがめられた顔がちらりと見えたが、すぐ穴の影へと消える。その直後、轟音とともに視界が閉ざされた。
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そよ風が吹いている。頬をなにかにくすぐられる感触。
まぶたの裏にちらつく光に、目を開けた。
日の明るさに目がくらむ。けだるい体を起こすと、乱れた銀髪が顔にまとわりついてきた。顔を振って払うと頭についていたらしい白い花びらがくるくると風に流されていく。
日のまぶしさに手でひさしをつくって辺りを見渡す。どうやらここは小高い丘のようだ。辺りは緑の絨毯で覆われ、ところどころに白い花が咲いている。山の向こうまで広がる青空にも、白い雲が花のように点々と浮かんでいる。丘を見下ろすと、下のほうには雲を映す河がゆったりと流れており、川岸にはぽつんと小屋が建っていた。
ふと、かざした手に違和感を感じた。
みると薄い手のひらに、白くて細い五本の指がついている。
人の手だ。
これはいったい……。
「おーい、どうしたのー?」
混乱してペタペタと手を触っていたところに急に声をかけられ、反射的にびくっとして振り向く。
いつの間にか後ろに立っていたのは、白いワンピースを着た子供だった。座っている私から見て、太陽を背負う形になっているため顔はよく見えない。が、服装からすると少女のようだ。
少女は不思議そうに首をかしげたままたたずんでいる。
彼女の後ろのほうには大きな木が生えていて、白っぽい服を着た数人の子供がその周囲を走り回っていた。
「なにしてるの?」
少し呆けていた私に少女が声をかけた。なんだか先ほどから頭に霞がかかっているような感じがして、妙に現実感に欠ける。
「いや、何をしていたというか、起きたらここにいたんだ」
「へ?」
お互いに少し固まった。
声が出た。幼さがにじみ出るような高い声だ。あまりに自然に出たので、自分のことながら虚を突かれた。
少女も、表情は見えないものの、ポカンとした顔が思い浮かぶような返事だ。
「起きたらここにいたんだよ。ここはどこなの?」
「えと……、何言ってるの? さっき私たちと一緒に来たじゃない。」
「君たちと一緒に?」
「うん。ねえ、しゃべり方変だよ。ほんとにどうしたの?」
話しぶりからするに私とこの子は知り合いらしい。だが、記憶がない私にはまったく心当たりがない。
「あ、もしかして冗談のつもり? 相変わらずセンスないなあ」
少し考えている間に、少女には下手な冗談を言っていると思われてしまった。
「いや、そうじゃなくて……」
「はいはい、わかったよ。とりあえずみんなのとこ行こう?」
耳を貸してもらえない。少女はあきれたように笑いながら、私の手を引き、私は半ば引きずられるように立ち上がった。彼女は手を離して、そのまま木のほうへ駆けていく。
仕方なく後を追って木に向かおうと足を踏み出した瞬間、視界がぐらりと傾いた。よろめいて膝をつく。強烈なめまいに襲われ、立ち上がることが出来ない。何とか顔を上げると、遠ざかる少女の背がどんどんかすんでいく。
そのまま目の前が真っ白に塗りつぶされるまで、動くことが出来なかった。
▲
顔を照らす薄明かりに気づいて体を起こす。その拍子に落ちたボルトがたてる硬い音が、静かな空間に響いた。どのくらいの時間が経ったのか。リンと人形はどこかへ行ったようで、自分以外に音をたてるものはいない。
先ほどの夢はいったい何だったのだろう。見覚えのない光景に、見知らぬ子供たち。自分も人の子供だったようだし、失った記憶に関するものだろうか。何も思い出せないのにわからないことばかりが増えていく。もやもやとしたものが拭いきれないが、今は考えるよりも現状把握が先決だ。
立ち上がろうとして地面に転がるボルトに目がいく。一瞬、自分の体が壊れたのかひやっとしたが、ボルトのサイズがどう考えても大きすぎる。さっと見た限り目立った損傷もなく、特に問題なく動かせた。相変わらず逸脱した頑丈さだ。
ただ、服の方はそうもいかなかった。スカートはあちこち破れ上着もボロボロだ。服の下から色白な肌が覗く。色合いのせいか若干無機質な印象を受けるが、スカートの破れ目から垣間見える肌には我ながら妙な色気がある。触ると顔と同じく何とも例えようのない感触が返ってきた。頭から肩、太ももの付け根付近の一部まではこの肌モドキで覆われている。ここだけ見せるなら人間といっても通じるかもな。……色仕掛けするには、手足がゴツすぎるか。
ボルトの他にも、あたりには散乱したガラクタがあり、最初に目が覚めたときより更に雑然とした部屋になっていた。鉄板も真ん中から折れて力なく壁によりかかっている。
リンはうまくここを出られただろうか。先ほどは急な出来事だったのであまり考えずに体が動いてしまったが、上に敵がいないとも限らない。あのデカブツも見当たらないことだし、早急にリンと合流したいところだ。
しかし、なぜあの人形は私を放置して去ったのだろうか。私は意識を失っていたのだから、潰すなり何なりしていてもおかしくないはずだ。頑丈過ぎて壊せなかったのか? いや、もしそうだとしてら服が破ける程度で済んでいたとは思えない。破壊しようと試みたのならば、私は素っ裸になっていただろう。手当たり次第に攻撃を仕掛けるような奴がなぜ何もしなかったのか。そのときふとリンの言葉を思い出した。
『あいつは腕の届くところにいる奴は手当たり次第に攻撃するのよ。近くにいなくても生き物がいれば、そっちに近づいてくるわ。すっごくのろいけど』
生き物。確かにそう言っていた。なるほど、私は生物の範疇には入らない。攻撃を受けたのはリンが一緒だったからという訳だ。手当たり次第に”破壊”するのではなく、手当たり次第に”殺害”するということか。
手っ取り早く穴まで登って追いかけられないかと壁に爪をたててみるが、やはりボロボロと崩れる。登るのは無理か……。いや、リンがいない今ならばこの体で暴れまわっても問題ないか。いまだに自分の限界がどの程度なのか試していない。せっかくだ。全力を出してみよう。
まずは屈んで思い切り垂直に跳ねてみた。ガボッと音を立てて地面が陥没し、一気に目線が高くなる。手を伸ばすと穴の淵に手がかかった。最初からこうすればよかったと思った瞬間、つかんだ手の周りにひびが広がる。まずいと思ったときには崩落した天井と一緒に落下していた。
落ちた天井と一緒に大の字になって、広がった穴を見上げる。おかげで入りやすくなったな。うん、これはこれで上々の結果といえる。床に半分めり込んだ腕を引き抜いて立ち上がると、人型にへこんだ地面が何とも頭の悪い絵面となっていた。
ここまできたらとことんバカにやってみるかと気を取り直して、今度は壁に向かって思い切り走る。その勢いのまま手と足を壁にかけ、獣のように壁を駆ける。指を突き刺した壁が崩れる前に上へ進む。次もまた崩れる前に手を上へ。崩れた部分は足を突っ込み足場にする。力任せの強引な方法だが、機械の四肢は苦も無く動く。
最後は壁を蹴りぬいた勢いのまま、天井の穴へ飛び込んだ。