第1話 邂逅
初投稿です。
更新は非常にゆっくりですが、ご了承ください。
ふいに音が聞こえた。カチカチと何かが当たる音。キリキリと何かが擦れる音も混じっている。
私は真っ暗な闇の中でなにを思うでもなく、ぼんやりと音を聞いていたが、しばらくすると意識がはっきりとしてくる。重たい瞼を開いてみると、目の前には驚いた様子で立っている少女がいた。彼女の手には鉄パイプのようなものが握られていて、着ているワンピースは泥と油で薄汚れている。
(君は……?)
驚きで固まる少女に誰何しようとして、声が出ないことに気が付いた。微かに何か硬いものが擦れる様な音が聞こえるが、自分以外にはわからないほど小さなものだ。喉元で何かが震えているのは感じるのに、何度やっても音が出ない。
周りを見渡すと何かの金属部品が雑多に積まれている広い部屋にいることがわかる。私は部屋の隅で座って壁にもたれかかった状態で眠っていたようだ。
話すそぶりをみせたものの、黙ったまま周囲をうかがう私をみて、少女は目に恐れと警戒の色を浮かべながら問いかけてきた。まだ少し幼げな容貌と肩甲骨まで伸びた黒髪も相まって猫を思わせる。
「あなたは……何なの?」
誰、とは聞かれなかったことを不審に思ったが、自分の脚を見てなぜそう聞いたのかすぐにわかった。
機械の脚。ロングブーツとスカートの間から見えた私の脚は金属の装甲で覆われており、膝の隙間からは歯車がのぞいていた。薄暗い部屋の中で、真鍮のような鈍い輝きを放っている。
さらに、膝に手をやろうと持ち上げた腕も同じような機械のものであり、手は大人の二倍以上はあろうかという大きさだった。頑丈そうな三本の指が生えている手は、ほっそりとしたフォルムの腕も相まって猛禽類の足を連想させる。確かにこれでは誰、とは聞かないか。それにしてもこの服は……。
体を見下ろして目に入ったのは、赤いスカートと白いブラウス。その上には茶色のベストを羽織っている。ベストとスカート生地の淵には刺繍が施されており、高級なものだとわかる。
一見すると良家のお嬢様のような格好だが、いかめしい手足がすべてを台無しにしていた。
奇妙な取り合わせについて考えを巡らせようとしたところで、そもそも自分が何者なのかがわからないことに気付いた。男か女なのかすらわからない。そもそも機械の私に性別はあるのだろうか。スカートをはいているので一応外見は女性型のようだが。私は誰で、なぜこんなところにいるのか。何も思い出せない。
「しゃべれないの?」
顎に手をやったまま何も言わない私をみた少女は、そう聞いてきた。私は素直に頷く。
「言うことは理解してる……。あいつらとは違うみたいね。でもこれじゃ答えようがないか。えーと……。あ、字は書けないの?」
その手があったかと周りを見ると、手元にちょうどいい大きさの錆びた棒があった。これ幸いと棒をつかんだのだが、脆くなっていたのかボキリと折れてしまった。砕けないようにそっと持ち上げ、地面に敷かれたタイルに字を書く。
”記憶がない。
ここはどこ?”
とりあえず簡潔な文章を書き、少女の反応を待つ。
「これ……、何語なの? キルケア語じゃないよね? わたし、これ読めない……」
なんと、自分が書いた文字はこの地のものではなかったようだ。だが、私はこの文字しか知らない。キルケア語というのも初耳だ。
少女はキルケア語は書けるかと尋ねてきたが、私は首を横に振るしかなかった。
「とりあえず、話は通じるのよね。一方通行だけど。なに聞けばいいかな……。」
彼女は少し黙った後、先ほどより鋭く、どこか怯えているようにも見える目つきで私に問う。
「あなたは、わたしの敵? わたしを……殺そうとは思わない?」
彼女は鉄パイプを握りしめつつ、じっと私を見る。当然だが、私に敵対する意思はない。少女を見つめ返し、ゆっくり首を横に振る。
「……ま、それはそうか。もしそうなら、すでに攻撃されてるだろうし。そうだな、あとは……」
最初に警戒していた割には、やけにあっさり信じてもらえた。少女はその後も私に質問を重ね、私は首を縦に横に何度も振り、時には捻りつつ答えていく。一通り質問をし終えた少女は、背を向けてぶつぶつと独り言を言い始めた。
「正体ははっきりしないけど襲ってくるわけでもないし、意志の疎通はできる。ここからは一人じゃ出るの難しそうだしなあ。うーん、でもこんなところで埃かぶってるなんていかにも怪しい感じだし……。どうしよう」
しばらく考え込んでいたが、やがて少女は決心したように頷いた。
「ねえ、私、ここから出なきゃいけないんだけど協力してくれる?」
意志のこもったぱっちりとした翡翠色の目が私を見据えていた。警戒の色はだいぶ薄まっている。振り返った拍子に彼女の長い黒髪がゆったりと揺れ、深緑色の髪飾りが光を反射してきらめいた。
上を見ると、壁際の天井に開いた穴から弱い光が漏れている。その下には棚に斜めに立てかけられた巨大な鉄板があり、よく見ると擦れた跡があった。どうやら彼女はあそこから滑り落ちたようだ。天井の穴までは結構な高さがあり、子供がよじ登るには無理がある。
今置かれている状況がいまいち分からないため少し迷ったが、どのみちここから出られなければ何もわからないままだろう。私は頷いて了承の意を示した。
「ありがとう。そうだ、自己紹介がまだだったね。私はリン。あなた自分の名前はわかるの?」
首を横に振るとリンは
「じゃあ、私が名前を付けてあげる。
呼ぶとき不便だしね。」
と言って、私を眺め始めた。
「機械の部分以外はきれいな顔してるし、かわいい名前がいいよね。」
きれいと言われて手を顔にやってみたが、感覚は鈍いようで細かな感触はわからない。いや、どうみても機械の手なのに感覚があるほうがすごいのだろうか。
軽く指先で顔をたたいてみると陶器とも布ともいえるような手応えが返ってくる。しかし、右目の周りはそれがはがれて金属部品が露出しているようだ。
「マインって名前はどう?」
私の首筋を見ながらリンはそう提案してきた。マイン。この名前はかわいいのか? しかし、少々物騒な響きながら、なぜかしっくりくる名前だ。
すぐに頷くとリンは嬉しそうに
「気に入ってくれたみたいで良かった。
じゃあよろしくねマイン。」
と手を差し出してきた。
私はそれに応えるためゆっくりと立ち上がる。膝の歯車が滑らかに回転し、ふわりと舞ったスカートからはパラパラと埃が落ちた。ずいぶん長い間ここにいたようだが、動くのに問題は無さそうだ。この体を作った技術者はさぞ腕が良かったのだろう。
差し出された手を握ろうとして、ギラリと光る自分の大きな手が目に入る。下手に力を入れたらリンを傷つけてしまうのでは、と動きを止めて彼女と自分の手を交互に見ていると、リンは私の顔と手を何度か見比べた後、ふっと表情をゆるめていかつい指を握った。そのまま反対の手で私の頭にやり、埃だらけだよ、と軽くなでるように払う。どうやら危ないやつではないと思ってもらえたようだ。
「それにしても高そうな服だね。いいとこのお嬢さんがモデルなのかな。
長い銀髪に、赤い瞳……、ってどこぞの吸血鬼みたいな特徴ね……」
機械の手足をもつ吸血鬼の少女とは……。製作者はなかなか奇特な趣味をもっていたようだ。
どんな顔なのだろうかと部屋の大きな部品を覗いてみるが、くすんでいて自分の姿を映すことはない。まさか鏡に映らないわけじゃあるまいな。
「それにしてもなんでこんなところに……。わたしが言えたことじゃないけど」
そういえば、リンはなぜこんなところにいるのだろうか。聞きたいが声が出ない。せめてなにか意思を伝える手段があればいいのだが。
「とりあえずあれをなんとかしてここから出よう。」
そういってリンは崩れた配管の山のかげにある金属製の重厚な扉へ向かう。扉は引き戸だったが、山から飛び出た配管が引っかかっていて動かなくなっているようだ。
「これが引っかかって開かないんだ。引っ張ってみたけど全然ダメ」
リンは忌々し気に配管を蹴るが、彼女の胴ほどの太さの配管はびくともしない。
私はそれをどかそうと手をかけた。
「たぶん動かすのは無理だよ。
切るか、端がひっかかってる山を崩さないと」
背後からリンに言われたが、ものは試しと気にせず引っ張る。
山が崩れる危険性もあったが、私たちは少し離れた場所に立っているので遠慮せず思いっきり引っ張った。するとぎりぎりと音を立てて配管が動く。思ったほど重くない。
邪魔にならない位置まで動かしてから、リンの方を振り返ると、彼女は口を半開きにして呆然としていた。不審に思って視線をたどると、蛇腹折になった配管が山から飛び出ていた。
「嘘でしょ……。これ混合重水用の強化配管よ。こんなの素手で曲げるなんて」
この無残な鉄くずを作り出したのは私で間違いないようだ。リンの反応からするに、とんでもない怪力らしい。呆けたリンを見つめていると、少ししてハッと意識を取り戻した。
「と、とにかくその力は頼もしいよ。聞きたいことが増えたけど、とりあえずここから出よう」
そういって取っ手を引っ張るが扉が開く気配はない。
「これでも開かないの!? こんのおおお!」
リンが壁の出っ張りに足をかけて全体重をかけても動く様子は皆無だ。それどころかバキリと大きな音を立てて取っ手が折れてしまった。
「あたた……。もう! なんなのよ!」
しりもちをついたリンは扉をにらむが、扉は依然として立ちふさがっている。むしろ取っ手が取れてほとんど壁と言っていい状態になってしまった。扉に鍵穴などはなく、開かないのは錆が原因のようだ。
「なんとかできない? こんな扉ぶち破っちゃってよ」
リンはしりもちをついたまま背を反らして見上げるようにして私に顔を向け、私の後ろにちらっと目をやる。視線の先には私が曲げた配管がある。改めて見ると掴んだ部分が傷だらけになってひしゃげているが、私の手にはほとんど傷がないことに気が付いた。手を開いたり閉じたりしてみても違和感はない。この体はかなり頑丈なようだ。この頑強さといい、先ほどの怪力といい、まるで重機のようだな。
他人事のように考えながら扉を開けようとしたが、取っ手が無くなりつかむ場所がない。仕方なく壁との隙間に手刀を打ち込むと、ガキュッと音がして金属製の扉に腕がめり込んだ。力が入りすぎたようだ。指先を隙間にさし込むつもりだったのだが、この体は思っていた以上にパワーがある。自制しなければ辺りを破壊してしまいそうだ。リンを傷つけないように気を付けなければ。
そのまま扉を引っ張ると、耳障りな音を立てながら扉が外れて手前に倒れる。
リンがやった、と小さく叫びながら嬉しそうに駆け寄ってきた。私に礼を言いつつ外の様子をうかがう。
扉の先は暗い廊下になっており、似たような扉がいくつも並んでいる。
「扉はもう関わりたくないから、とりあえず突き当りまで行ってみよう」
うんざりしたように扉を見るリンに頷きを返し、後をついていく。この建物に人の手はほとんど入っていないようで、廊下の壁や床はボロボロだ。先ほどいた部屋のほうがまだ状態がよかった。
扉の数を二十ほど数えたところで、私の耳が後方からの不審な足音を捉えた。爪が当たらないように手の甲でリンの背中を軽くたたき、手を耳に当てて遠くの音を聞く真似をする。
「音がするの? 何も聞こえないけど……」
怪訝な顔をするリンを制止しつつ、目を凝らす。暗闇の奥で揺れる影がある。あれは野犬か?
リンに伝えようとしたが、どうすればいいのかわからず固まっていると、四足の獣はよたよたとこちらへ向かってきた。危険かどうかわからないため、リンをかばうように前へ出る。
近づいてきた獣にリンも気づき、目を凝らしている。
「あれは探索犬だと思う。首輪でわかるようになってるから。迷い込んだのかな? 痩せてるみたい」
犬は尻尾を振りながら近づいてきた。それを見たリンはしゃがんで犬が来るのを待つ。
「おとなしい犬だから大丈夫だよ」
そういって彼女が口の端を緩めた瞬間、犬の脇にあった半開きの扉がけたたましい音をたてて外れ、暗闇の中から、ぬうっと黒い丸太のような腕が出てきた。かと思うと、地面に衝撃が走る。
「なっ、何!?」
驚愕に固まるリンを後ろ手にかばいながら振り下ろされた腕の先を見ると、赤いしみがじわじわと広がっている。
これは、まずい。私は後ずさりしようとしたが、リンにぶつかった。下がらせようとしたが、彼女の足は根のように張り付いたまま動かない。
そうこうしているうちに、腕の主が暗がりから現れた。丸太の腕にふさわしい巨木のような胴体が廊下をふさぐ。
出てきたのは、片腕の巨大な人形だった。人形というにはいささか飾り気が無さ過ぎるのっぺりとした容貌だが、人型であることに変わりない。人形はどこが前かわからない頭部をこちらに向けて腕を振り上げた。
とっさに私はリンを抱えて飛び退いた。