奏の疑問 1
奏は中学に入った頃からずっと気になっていたことを、由岐に聞いてみようと思った。
「あの、父さんと母さんには言わないで欲しいんですけど…」
と奏は言ったあと
「どうして、母さんは俺を産もうと思ったんですか?」
と由岐に聞いた。
「え?どうしてって…」
と由岐が聞き返すと
「だって、結婚したのって母さんが大学卒業してすぐですよね?Speranzaの活動も作曲の仕事もこれからって時に…やっぱり俺がデキたからですか?」
と奏は言った。
「それはないよ」
と由岐は言ったが
「でも、結婚するときには俺は母さんの腹の中にいたんでしょ?俺がデキたから父さんも母さんも仕方なく…。特に母さんはもっと仕事したかったんじゃないんですか?」
と奏は言った。
由岐は奏を睨んで
「おまえさ、本当にそう思ってるの?おまえがデキたから仕方なく結婚したとか」
と言った。
「…いや…はい。だって、母さん仕事好きだし、俺を産んでも仕事してるし…」
と奏が言うと
「あのさ、それは絶対に無いから。今、俺が言ったとしても信じられないって思うかもしれないけど、綾子が大学卒業したら結婚するって言うのは、付き合い始めた時から決めてた事だし、綾子が事務所入るときも大学卒業したら結婚するって言って入ったんだよ」
と由岐は言った。
「それに、和はおまえと同じように家に両親がいないことが多くて寂しい思いをずっとしてきたし、綾子もそんな和を見てきたから、結婚して子どもが出来たら綾子は仕事を辞めてもいいようにって契約を事務所としていたんだよ」
と由岐が言うと
「でも、結局仕事してるじゃないですか?」
と奏は言った。
「それは…、仕方がない事なんだよ」
と由岐が言うと奏は納得出来ない顔をして
「俺はじいちゃんばあちゃんがいたし、行事とかにもいつも来てくれたりいろんなところに連れてってくれたから寂しいって思ったことは無いけど、産むだけ産んで世話のほとんどはばあちゃんにさせるような母さんは好きになれないです」
と言った。
由岐は今にも奏を殴ってしまいそうな拳をグッと握り
「今から、相川さんと会う約束してるんだけど、誠も呼んで4人で話をするか?」
と言った。
「誠君と相川さん?」
と奏が言うと
「俺一人で話をしてもおまえは納得出来ないだろ?俺は結婚するまでの和の事は話せるけど、綾子の事は同じバンド仲間の誠に聞いた方がいい。それに結婚してからも綾子が仕事を辞めない理由は相川さんに聞いたらきっと納得出来ると思うよ」
と由岐は言った。
由岐に連れられて行った店には既に誠と相川が来ていた。
「よう、奏。久しぶりだな。すっかり男前になって、モテまくりか?」
と相川が言うと
「いえ、そんなことはありませんよ」
と奏は言った。
「それにしても何年ぶりだ?おまえ、音楽はやってるの?」
と誠が聞くと
「音楽はやってません」
と奏はこたえた。
「なんだもったいないな。おまえ両親に似て、ギターも上手いし歌だって上手いのに…」
と誠が言うと
「俺は音楽にあまり興味無いんで」
と奏は言った。
誠と相川は顔を合わせてやれやれと言う顔をした。
「実はさ。今日、奏を連れてきたのは和と綾子の馴れ初めって言うか結婚するまでの話と綾子が仕事を続けてる理由どうしても聞きたいって言うから連れてきたんだよ」
と由岐は言った。
「結婚するまで?」
と相川が聞くと
「ほら、奏がお腹にいた時の話とかさ。こいつ、自分がデキたから仕方なく結婚したんじゃないかってずっと思ってたみたいでさ」
と由岐は言った。
「あー、それね。まだ16歳の奏にはヘビーな話になるかもしれないし、ショック受けるかもしれないけど、俺たちが知ってる事は話してやるよ。奏、聞けるか?」
と相川が言うと
「…はい」
と奏は言った。
「…じゃあ、まず話すのは、綾子がどうして仕事を続けてるかって理由なんだけど…。あの頃、事務所も結婚することは知っていたから、綾子と和それぞれにこの先どうするか聞いたんだ。綾子は和が幼い頃から両親が仕事で忙しくて寂しい思いをずっと隠してたことを知ってたし、自分の子どもには同じ思いをさせたくないって考えてることも知ってたから仕事は辞めて家庭に入ろうと考えてたんだよ。はっきり言って俺は綾子が家庭に入るのはもったいないと思ってたよ。Speranzaも今まで以上に勢力的に活動していけるようになるし、何よりも綾子の才能をここで終わらせるのは残念だったよ。けど、和は綾子の才能を認めていて仕事は続けさせたいって言ったんだよ。実は、由岐にも言ったことが無いんだけど、どちらか一方が家庭に入らなきゃいけないなら、綾子の才能を潰すことは出来ないから自分が家庭に入っても良いとも俺たちに言ったんだよ」
と相川が言うと
「え?そんな話があったんですか?」
と由岐は驚いた顔をした。
「まぁな。あいつはあいつで考えたんだろ?実際、綾子には楽曲提供の依頼もたくさん来てたしな。で、事務所の中で綾子も和も納得出来る方法がないかって考えて、Speranzaは活動を休止してそれぞれ個人活動することにしたんだよ。綾子には楽曲依頼がたくさん来てたから、家庭と両立しながら作曲家としてやってもらい、他のメンバーも個々の活動をメインにしてもらいSperanzaの活動はアルバム製作と数年に一度のライブぐらいで…と考えていたんだよ。けど奏が産まれて一年の活動休止を終えると、休止前よりもSperanzaの人気は大きくなってタイアップの依頼も増えてアジアや欧米からもオファーも来るようになって…」
と相川が言うと
「俺が言うのもなんだけど、ボレロもSperanzaも個人レベルで動ける範囲はとっくに越えたんだよ。和がよく使う言葉なんだけど、ボレロもSperanzaも4人乗りの小さな小舟で海に出たけど、少しずつ大きな船になってその船に乗ってるクルーも少しずつ増えて…今はとても大きな船でクルーもたくさんいて自分たちだけでは船を動かせないようになったんだ。自分たちじゃなくてたくさんのスタッフの夢も人生も一緒に乗せてボレロやSperanzaと言う船は航海を続けてる。…意味、分かるか?」
と由岐は奏に聞いた。
奏が誠の顔を見ると誠は
「昔から綾子は嘆いているよ。自分は子どもよりも仕事を優先する最低な母親だって」
と言ったあと
「でも、どうすることも出来ないんだよ。Speranzaのこともそうだし、綾子は作曲家としても必要とされてるからさ」
と言った。
「…」
奏が黙ってると
「じゃあ、次は綾子と和さんが結婚するまでのことを話そうか?…奏、聞けるか?」
と誠は言った。
「はい。聞けます」
と奏が言うと誠は
「俺が知ってる事を話すと、和さんが綾子にプロポーズしようとした日に綾子は和さんに別れたいって言ったんだよ」
と言った。
「え?」
と奏が驚くと
「プロポーズしようとしてたとき、和は綾子のお腹の中におまえがいることは知らなくて、突然大切にしたい人が出来たから別れたいって言われたんだよ」
と相川は言った。
「大切にしたい人?」
と奏が聞くと
「おまえだよ」
と誠は言った。
「当時の和さんのマネージャーが綾子に結婚を断って欲しいって言ったんだ。当時のボレロはアジアツアーに成功してこれからは世界進出と言うと時期で、マネージャーが今結婚したら世界進出の足を引っ張るから世界進出が成功するまで結婚を先伸ばししてほしいって言ったんだよ。そのマネージャーは綾子が妊娠してることは知らないで言ったけど、綾子はボレロの邪魔はしたくない、でもどうしても和さんの子どもは産みたいって思って和さんと別れたんだよ」
と誠は言ったあと
「綾子は、和さんに妊娠を知られると絶対に結婚するって言われるのが分かってたから、誰にも言わないでずっと頑張ってたんだけど、和さんの事を傷付けた自分と一人で育てるって決めたのに和さんを忘れられない自分にとても苦しんでた。そして、和さんを忘れるためと子どものためにとバカみたいに仕事に打ち込んで倒れちゃったんだよ」
と言った。
「倒れた?」
と奏が青ざめた顔で言うと
「あの時、おまえも綾子も死にそうになったんだよ」
と由岐は言った。
「…」
奏が言葉を失ってると
「あの時、初めて綾子が妊娠してるって聞いてスゴく驚いたし、俺たちのために和と別れたって聞いてショックだったよ」
と由岐は言った。
「あの日の事、俺は一生忘れないな…。病院での社長が親父やお袋に土下座して大事な娘さんに申し訳ない事をしたって謝ったことも、誠たちが産まれてくる子どもは自分たちが親代わりになって育てるからボレロは世界進出頑張って下さいって怒ったことも…。俺もタケもカンジも今までなんのために音楽やってきたんだろう?って本当に悔やんだし、これからどうしようと悩んだよ」
と由岐が言うと
「その時、父さんは何をしていたんですか?」
と奏は聞いた。
「和?和は…」
と言うと相川は由岐を見た。
「あいつも綾子と同じでしばらくは仕事頑張ってたよ。自分が落ち込んでるって知ったら綾子が自分を責めるんじゃないかってさ。酒も弱いのに付き合いも良くなって…。けど、あいつも無理し過ぎて、そのうえ綾子のことがどうしても忘れられないで苦しんで壊れた」
と由岐が言うと
「壊れた?」
と奏は聞き返した。




