押し潰される心
和は自分でもどうやって部屋に帰ってきたか分からなかった。
リビングのソファーに横たわると、テーブルの上に飾った、向日葵が夜の薄明かりに照らされていた。
向日葵は綾子が好きな花。
太陽の光を浴びて凛とした姿勢をして力強く立っている向日葵は綾子に似ていると和はずっと思っていた。
いつか自分も向日葵のように綾子のようになりたいと思っていた。
「…違うか。俺が向日葵だったんだ」
和は向日葵の花束を見ながら呟いた。
太陽をいつも追いかけ、太陽の暖かい光に包まれて輝くけど、太陽が沈むと朝日が昇るのをいつかいつかと待ち焦がれている姿は自分と似ている。
綾子の優しさに包まれて輝く事は出来ても綾子が居なくなると綾子を求め恋しがってる輝く事が出来ない自分。
綾子は太陽で自分は太陽を追いかける向日葵だと和は思った。
…太陽の光を浴びないと向日葵はどうなるんだろう?
花びらを一枚一枚と落とし、重たい頭を支えきれなくなって枯れていくのだろうか?
じゃ、自分はこれからどうなるんだろう?
綾子を失った悲しみとどう向き合っていけばいいのだろう?
綾子がいつものように笑って隣に座っているかの感覚に襲われるこの部屋で、綾子を忘れる事が出来るのだろうか?
キッキンで料理をする綾子の姿が浮かぶ。
洗面所で一緒に歯磨きをする綾子の姿が浮かぶ。
ソファーで自分の事を膝枕して頭を撫でられているかのような錯覚を感じる。
ベッドに横になると、隣に寝ている綾子が寝ぼけて抱きついてくるような気がする。
目を閉じると、楽しかった幸せな日々が次々と浮かぶ。
けど目を開けると一瞬で現実に引き戻されてしまい、とても静かで寒くて身体が震えて止まらなくなる。
胸がざわざわして、ギューっと締め付けられるような感じがして苦しい。
夢の中では二人が別れた事が嘘のように幸せな日々が続いているのに。
いつものように膝枕してくれて、いつものように綾子を抱き締めて…。
もう二度と目が覚めなくてもいい。
和はそう願った。
綾子と別れて2週間が経った。
和は相変わらず忙しい毎日を過ごしていた。
本当は仕事なんてどうでもいいって思ってたけど、もしも仕事を休んでると綾子に知られたら責任を感じると思い、毎日仕事をこなしていた。
お酒が弱いから今まではスタッフやメンバーが飲みに行く時も断っていたけど、今は自分から誘って飲みに行くようになった。
最近、お酒が弱くて良かったと心から思うようになっていた。
お酒を飲んで部屋に帰ると綾子がいない寂しさを感じる暇なく眠りにつける。
夢の中の綾子はいつも和の隣に座って笑っていた。
幸せな日々が夢の中だけでも続いているのが和は嬉しかった。
…けど最近は、夢の中で綾子が泣いてる。
慰めてもずっと泣いている綾子を見て悲しい気持ちになりながら和は目を覚ます事が多くなった。
和は現実でも夢の中でも押し寄せる胸の張り裂けそうな悲しみに襲われ押し潰されそうになっていたが、もし綾子に会っても恥ずかしくない強い人間になろうと自分に言い聞かせて頑張っていた。
事務所で打ち合わせをしている吉川と村上の向かいに座ってる和は窓の外を眺めていた。
「和、雑誌の取材なんだけど…聞いてるか?」
と村上はここ数日様子のおかしい和に言った。
「…え?あ…取材?何の雑誌?」
と和が聞くと
「うん。実は女性週刊誌なんだけど…」
と村上は編集部から届いた資料を和に見せた。
その雑誌は和が抱かれたい男に選ばれてから何度か一緒に仕事をしている雑誌だった。
「また、抱かれたい男?」
と和が村上に聞くと
「いや、違うんだ。実は理想の恋愛ってテーマなんだけど、アンケートで和と綾子が理想の恋人同士に選ばれたらしくて、二人一緒に載せたいらしいんだよ」
と村上は言った。
「…」
和は背中が凍りついたような気がした。
何でこんなタイミングで…。
和の顔色が悪くなったのに気付いた村上が
「いや、無理なら断るよ。プライベートな質問とかされて事務所発表より先に結婚することが週刊誌に載るような事になったら困るし、今まで仕事とプライベートは別にしたいって仕事してきてるんだから」
と言うと和は張り裂けそうな胸の痛みを必死に隠してながら
「…綾子は何て言ってるの?」
と聞いた。
「まずは和に聞いてからと思ってたんだけど」
と村上が言うと
「綾子が良いって言うなら引き受けるよ。多分、嫌だって言うと思うけど」
と和が言う向かい側で吉川は困った顔をしていた。
打ち合わせで遅れる和よりも早く曲作りの為にスタジオに入ってるボレロのメンバーは最近の和について話をしていた。
「最近、アイツおかしいよな?」
とタケが言うと
「確かにおかしいよ。機嫌よく笑ってる事が多くなったと思ったら突然ボーッとしている事もあるし、飯もあんまり食わないくせに毎晩飲みに行ったり…」
とカンジは言った。
「昨日もスタジオ出てった和の戻りが遅いから探しに行ったら、非常階段の所で身体を震わせて泣きそうな顔してたんだよ。なのにスタジオ戻ってきたら何も無かったような顔して普通に話してるし…」
とタケが言うと
「由岐、綾子から何か聞いてない?」
とカンジは言った。
「綾子?…アイツ最近忙しくて家に帰らないでホテルに泊まってるみたいだし、連絡も取ってないから分かんないな」
と由岐が言うと
「何だよ。役に立たないな…。そうだ、今夜はメンバー4人で飲みに行こうか?スタッフいると言えないような事も俺たちだけなら話せるんじゃない?」
とタケは言った。
仕事を終えた4人はインディーズの頃に相川によく連れてきてもらった居酒屋に来ていた。
「4人だけで飯行くとかって何年ぶり?」
とカンジが言うと
「4年?5年?…いやもっと前か?」
と由岐が言った。
「この店も久しぶりだよな。確か、特製サラダのドレッシングが美味いんだよな」
とカンジはメニューを見て
「和は何食べる?」
と聞いた。
「あ、俺?適当に頼んじゃって大丈夫だよ」
と和が言うと
「お前さ、最近ろくに飯も食ってないじゃん。そんなんじゃ身体持たないぞ」
とタケは言った。
「そんなこと無いよ。あれかな?スタジオ籠る事が多くて体力使わないから腹が減らないのかな?」
と和は言ったが
「腹が減らなくても無理やりでも食べないと身体壊すぞ」
と由岐は言った。
4人は仕事仲間じゃなくて、高校生やインディーズの頃のように友達として楽しい時間を過ごしていた。
3人が心配したのがムダだったかのように和もいろんなものを食べたし楽しそうにお酒を飲んでいたが、酔いがまわり眠そうな顔をしていた。
「和、そろそろ帰ろうか?」
とタケが言うと
「大丈夫。せっかく4人で飲んでるんだもん。朝まで飲もうよ」
と和は眠い目を擦って言った。
「でも、明日も仕事あるしさ」
とタケが言うと
「仕事?あー、仕事か…」
と和は立ち上がったが、よろけて転びそうになった。
「おい、大丈夫か?」
と由岐が和の身体を支えると
「大丈夫、大丈夫。…そうだ。これから俺の部屋行かない?美味いワインとシャンパンあるんだ。俺一人じゃ飲みきれないから一緒に飲もうよ。そうだ、村上さんも呼ぼうよ」
と和は言った。
3人は顔を合わせてどうしようと言う顔をしたが、和がしつこく誘うので村上に連絡して迎えにきてもらい和の部屋へ向かった。
村上が手配した車に乗った和はすぐに転た寝をはじめた。
「綾子…綾子…」
と寝言を言う和を見てタケは
「何だよ。最近、綾子の話しないと思ったら、やっぱり最後は綾子かよ。向こうもアルバム製作も終盤で忙しいから同じ都内にいても会えないもんな」
と笑った。
「和も大人になって綾子に会いたくても口には出さないで我慢してたんだな。これからは少し綾子と過ごせるようにしてやらんとな」
と村上が言った。
「綾子…綾子…」
寝言を呟く和の目から溢れた涙が頬をつたっていくのを隣に座ってるカンジが気付き
「村上さん。和が泣いてますよ。よっぽど綾子には会いたいの我慢してるんですよ。だから最近様子がおかしかったんだ」
と言った。
和のマシンションの前に車が着くと村上は和を起こした。
「着いた?じゃ、飲みなおそうか?」
と和は今にも転びそうな足で歩き出したので由岐と村上は両脇を支えた。
エレベーターを降りると和は背負っているカバンから鍵を取り出して
「ちょっと汚れてるけど気にしないでね」
と笑って4人を部屋に招きいれた。
几帳面な和の靴が無造作に転がっているのに違和感を感じながらもリビングに入った4人は明かりをつけた途端に驚いた。
リビングのあちこちに散らばってる洋服と飲みかけのペットボトルと缶ビールの空き缶、テーブルには花弁と枯れて茶色くなっている向日葵の花束。
「あー、ごめんね。今ちょっと片付けるから…」
と和は洋服を寝室に放り投げ、テーブルの上の向日葵をゴミ箱に捨てようとしたが、身体が震えて身動きが取れなくなった。
「和?どうした?」
と由岐が和の身体を触ると
「…由岐。俺の何がダメなんだよ」
と和は呟いた。
「え?何言ってんだよ。お前さ、弱いくせに飲み過ぎ。こんなに身体震わせて…アルコールが身体に合わないんだよ。とりあえず、向こうに座ろう」
と由岐が和を支えて歩き出そうとすると、和は由岐の手を払って
「俺の何がダメか聞いてるだろ?質問に答えろよ!」
と和は怒鳴りながら枯れた向日葵の花束を壁に放り投げて座り込んですすり泣きをはじめた。
「和、どうしたんだよ」
「大丈夫か?」
と村上たちも慌てて側に来たが、うつむいて泣いてる和の姿がとてもちいさく見えて何も言えないでいた。
「何でだよ…。俺の何がダメなんだよ…。何で突然別れるとか言うんだよ…。俺の何がダメなんだよ…。綾子がいないとどうしていいかわかんないよ。頑張ってみたけどもう限界だよ」
と和は呟いたが、由岐たちは突然の和の言葉に驚きその場に立ち尽くすことしか出来なかった。




