事務所の考え
アクセルのレコーディングの打ち合わせのために事務所に来た相川は村上を見つけると
「村上さん、おはようございます」
と声をかけた。
「相川さん、おはようございます。打ち合わせですか?」
と村上が聞くと
「はい。来週からアクセルのレコーディング始まりますからね」
と相川は言った。
「Speranza終わったと思ったらすぐにアクセルなんて暇なしに働きますね」
と村上が笑うと
「夏休みに珍しく長めに休みくれたと思ったらこれですよ。これに平行して清雅の曲も作らないとならないし…働き過ぎだと思いません?」
と相川も笑ったが
「清雅の曲?相川さんも作るんですか?」
と村上は不思議そうな顔をした。
「奏は多分断ってきますからね。時間も迫ってくるし今から少しずつでもっておかないと」
と相川が言うと
「奏君と和には内緒にして欲しいって言ってたけど相川さんにも内緒なのか?」
と村上は呟いた。
「内緒?何がですか?」
と相川が聞くと
「あっ…」
と村上はしまったと言うような顔をしてから
「実は綾子も相川さんと同じように奏君が断ると思うからって作ってますよ」
と言った。
「綾子も?」
と相川が言うと
「はい。もし奏君の曲が採用されたらカップリングに使ってもボツにしても良いから作るって言ってましたよ」
と村上は言った。
「…そんなことになってるのか」
と相川は呟くと
「村上さん、向こうで少し話出来ませんか?」
と聞いた。
ミーティングルームに入った相川と村上は対峙する形でテーブルをはさみソファーに座った。
「あっ、気が付かなくて…何か飲みます?」
と村上がたちあがろうとすると
「いえ、大丈夫です」
と相川は言ったので村上はソファーに座り直した。
「で、話と言うのは…」
と村上が聞くと
「一昨日の和の家でのことです。和たちに契約の話をするとは聞いてましたけど、曲を聴かせたり清雅の話をするとまでは聞いてませんでしたけど」
と相川は言った。
「それはですね、言葉でいくら奏君がスゴいとかスカウトしたいって言っても伝わることには限度があると思いまして。まず、奏君の作った物を聞いてもらい才能を知ってもらってからと思ったので…。特に綾子は奏君には自分で将来を決めて欲しいと言いながらも本音では芸能界に入って欲しくないって考えてますから」
も村上が言うと
「綾子が?そんなこと聞いたことないですけど」
と相川は驚いた顔をした。
「そりゃ、言わないですからね。実は俺も知らなくて佐伯から聞いたんです。奏君が音楽に興味を持ってくれるのは嬉しいけど、出来ることなら音楽の仕事や芸能界の仕事はして欲しくないって話してたって。実際、相川さんと和が和のスタジオに行ったあとに綾子に聞いたら、佐伯から聞いてたのと同じようなことを話してましたし…。多分、和は綾子がそう考えてること知らないんじゃないですかね」
と村上が言うと
「そうなんですか…」
と相川は言った。
「はい。だから、あえてあの場で聴かせましたし実際綾子も奏君の作った曲にはとても興味を持ってましたよ」
と村上が言うと
「じゃ、清雅の件は?それはまだ後からでも良かったんじゃないですか?一度にあれもこれもって…。それにあの曲を聴かせるのを奏は本当に嫌がってましたし和だって…。清雅は自分で歌詞をつけても良いって言ってたのになぜ和に書かせようとするんですか?和もどうしていいか迷ってましたよ」
と相川は言った。
「俺も初めは反対したんです」
と村上が言うと
「だったらどうして?」
と相川は言った。
「結城さんには結城さんなりの考えがあるんです。…それが正しいか正しくないかは俺にはわかりませんが、俺は結城さんの考えに従おうと思っただけです」
と村上が言うと
「考え?それはどんな考えですか?」
と相川は聞いた。
「それは…結城さんに聞いて下さい」
と村上は言うと腕時計を見て
「仕事の約束があるので俺は失礼させて頂きますが、今日は結城さんも事務所にいるので呼んできますね」
とソファーから立ち上がった。
村上が去ったあと相川は考えていた。
奏が必死になって曲を聴かせるのを止めた曲。
勝手に曲がいろんな人に聴かれていたことへの怒り。
その怒りのせいで、音楽も辞めると言ってた。
そのうえ、あの曲を清雅に歌わせたい…歌詞を和につけさせたいなんて…。
一昨日の夜、綾子に作ってくれたおかずのお礼を言うために連絡したら、奏は落ち着いて契約の話はキチンと考えると言ってるけど、あの曲を聴かせたことも清雅が歌うことも和に歌詞をつけさせることも許せないみたいだと言っていた。
「当たり前だよな…」
と相川が呟いていると結城が部屋に入ってきてソファーに座り
「聞きたいことがあるんだって。どうした?」
と聞いてきた。
「一昨日のことなんですけど…。なぜ、あの場で清雅のことを話題に出したんですか?それに、和に作詞させるなんて俺は聞いてませんでしたよ」
と相川が言うと
「話題に出したのは間違ってないと思うよ。時間も迫ってくるし結論は早く出してもらいたいからね。それから、和に作詞って言うのは清雅の意向も入ってるんだよ」
と結城は言った。
「清雅?」
と相川が聞くと
「清雅が親子ほど年の離れた子が作った曲和ならどんな詞をつけるか見てみたいって言ってさ。子どもが父親のことを書いたって曲に父親はどんな歌詞をつけるんだろう?って俺も興味がわいてさ」
と結城は言った。
「興味って…。でも、二人ともスゴく動揺してるみたいですよ」
と相川が言うと
「それはね、予想してたよ。けど、和がどんな歌詞をつけるか気にならない?それに、たとえ清雅が歌ったにしろ二人が作ったものが世の中に出回ることになるんだよ。これって和のことを書いた曲に清雅が詞をつけて歌うことよりも残酷なのかな?」
と結城は聞いた。
「…」
相川が返答に困ると
「清雅も言ってたけど、今は顔出しNGでライブも何もやらないで新人がパッと売れる時代じゃないんだよ。うちは、大型新人として奏君を売りだそうと思ってるから最初からタイアップ取りに動くよ。その時に、もし清雅に大抜擢された新人って箔があるのとないのと全然違うだろ?そうゆうことも考えてこっちは動いてるんだよ」
と結城は言ったあと
「まぁ、奏君は断ってくるだろうって言うのは予想してるよ。だけど、せっかく良い曲なんだから詞をつけてあげたいじゃない。売り出す売り出さないに拘らず奏君の処女作の詞は和に書かせてやりたいって思ったんだよ。多分、清雅もキチンと理由を話せば諦めてくれるよ」
と言った。
「…」
相川がまだ納得出来ないような顔をしてると
「でも、奏君をセールスするのに清雅って名前がついてるのとついてないのとでは全然違うからな。いくら、良い曲を作ってもそれを聴いてもらうチャンスが無かったら売れないんだよ。チャンスに巡り会えないで消えてった奴らを相川なら沢山見てきてるだろ?」
と結城は言った。
「はい…」
と相川が言うと
「でも、清雅って名前が無くても俺たちもレコード会社も奏君のことはどんどん売り込むつもりだけどね。ありとあらゆるコネを使って売り出してやろうって村上も案を練ってるみたいだし、契約の方も奏君だけじゃなくて和や綾子にも納得してもらえるものにしようも俺たちもレコード会社も頑張ってるからさ。相川はまた忙しくなるだろうけど楽しみにしてろよ」
と結城は笑った。
「…結城さんの考えはわかりました。でもやっぱり俺は和と奏の気持ちを考えると」
と相川は言った。
「奏君がスゴい怒ってたって綾子から聞いたよ」
と結城が言うと
「和も怒りと言うか悔しさみたいのを表してましたよ。詞も検討させてくれって言ってきたし。俺はどっちも断ってくると思いますよ」
と相川は言った。
「そうかな?俺は和は断らないと思うけど。和はなんだかんだ言っても仕事はキチンとするし」
と結城が言うと
「ですかね…」
と相川は呟いた。
「そうだよ。和は和なりに何がベストかいろいろ考えてるみたいだし、とりあえず今度奏君を含めて会う約束してる一週間後後まで待ってみようと思ってるよ」
と結城が言うと
「一週間後?早くないですか?」
と相川は言った。
「早いと言えば早いけど時間が無いからね。和たちは10月の末には渡米するし、その前に契約結ばないと奏君は卒業するまで飼い殺し状態になりかねないからな。和たちに契約期間を高校卒業するまでにして欲しいって言われたし」
と結城が言うと
「卒業するまで?」
と相川は驚いた顔をした。
「ああ。うちは3年固定給で結ばせようと思ったんだけど和がたいした活動もしないのに給与もらうのは奏にとって良いことじゃないって。高校卒業するまでは歩合で結んで、本格的に活動するようになる卒業後に固定給プラス歩合で契約をし直して欲しいって」
と結城が言うと
「そうなんですか…」
と相川は感心した顔をした。
「本格的に活動始めるまで事務所は採算は取れない可能性もあるけど投資だと思い毎月決まった給与がもらえる固定給が良いと思ってたけど 、和は何もしないでも毎月決まった給与が入るのはお金を軽く考えてしまうからダメだって言うんだ。それに固定給プラス歩合って言うのは本格的に活動始めても歩合で一切お金が入らない時があると働く意味を見失う可能性もあるし、給与に上乗せでお金がもらえるっていうのは自分の実績が認められて初めて発生する金額だから喜びも嬉しいし歩合が付かない時は自分を見つめ直す良いチャンスになるって言うんだ」
と結城が言うと
「だから、あの二人は歩合の方が収入があるのに固定給プラス歩合を続けてるんだ」
と相川は言った。
「まぁ、そんなわけでさ。こっちは急いでるわけさ。奏君が契約するかしないかはまだはっきりとはわかんないけど、結論は渡米前までに出してもらわないと安心して和も綾子も…俺も日本離れなれないからな」
と結城が言うと
「わかりました。俺も時間を見つけて奏と話してみます」
と相川は言った。




