飯田の心 1
関係者用の出入口に向かって歩いていると
「飯田さんも楽屋に寄って行きますか?」
と相川が言った。
「えっ!俺は部外者だし」
と飯田が言うと
「和の誤解を解くにも話をした方が良いんじゃないか?それにIkokaのメンバーにも会えるかもしれないさ」
と由岐は言った。
「いえ、そんな…俺、Ikokaのメンバーとなんて…。緊張しちゃってヤバいですから」
と飯田が顔を真っ赤にして言うと
「本当にファンなんだな。でも、会えるか会えないかわかんないよ。俺も今まで会った事は無いし…とりあえず行くだけ行って」
と相川は笑った。
楽しそうに話をしながら歩いてる由岐と奏の後ろで緊張した顔で飯田が歩いていると通路の隅の方に入って行く和の姿が見えた。
「あいつ、何してるんだ?」
と由岐が通路の隅を見ると、通路を歩いていると普通は気付かないような所に和と綾子がいて話をしていた。
「なっちゃん、あんな事ぐらいで怒らないでよ。ライブ成功して気持ちが盛り上がったからでしょ?」
と綾子が言うと
「だからって頬っぺたにキスは無いだろ?バグでさえ我慢してるのに…ここは日本だって」
と和はブツブツ言った。
「あー…。またくだらない事で」
と由岐がため息をついてると
「機嫌直してもう行こうよ。ね?」
と綾子が和の手を握ると和は綾子の頬にキスをして
「綾子は俺の物なのに…上書きしないと気がすまないよ」
と綾子を抱き締めた。
「うわ…。本当に恥ずかしい」
と奏が言うと
「だな。思春期の子供の教育上良くないな。先に楽屋行ってよう」
と由岐が奏と歩き出したので相川も行こうとしたが、飯田が動かないので
「驚きました?あれが二人の日常ですから」
と言ったが飯田は二人を見つめていて相川の言葉が耳に入っていない様子だった。
「綾子…チューしたいんだけど」
と和が綾子に顔を近づけると
「今したでしょ?本当に戻ろうよ」
と綾子は和の顔を手で押して離そうとしたが
「ちゃんとしたチューしないと戻らない」
と言って和は綾子にキスをした。
「うわ…またかよ」
と相川は呟いていたが、飯田は二人の表情は見えなかったが飯田に背中を向けてる綾子の細い腰に回された腕と長い髪を撫でる和の手…そして和の頭に回しているだろう綾子の腕から二人がディープなキスをしているのはわかった。
「飯田さん?」
と相川に肩を叩かれて我に戻った飯田に相川は
「いつもの事ですから二人の事は放っておいて行きましょう」
と言って歩き出したので飯田も相川の後ろを付いて行こうとしたが視線を感じて振り替えると和が綾子とキスをしながらジッと飯田を見ていた。
「!?」
飯田はドキッとして目をそらすと先に歩いてる相川の所へ行くと
「申し訳ありませんが、やっぱり今日は帰らせてもらいます。早坂さんにも申し訳ありませんと伝えておいてもらえますか?」
と慌てて言った。
「えっ?…そうですか」
と相川が飯田の様子に驚いていると
「本当に申し訳ありません」
と深々と頭を下げると飯田は急いで通路に向かって歩いて行った。
「…」
相川が飯田の後ろ姿を見てると
「相川さん」
と和が声をかけてきた。
「あ…お疲れ」
と相川が少し困惑した顔でこたえると
「どうしたんですか?」
と綾子は心配そうに言った。
「いや…。別に…。って言うかさ、仲が良いのはいいんだけど、そんな所で抱き合ったりするなよ。奏が呆れてたぞ」
と相川が言うと綾子は驚いた顔をしてから
「だから、言ったじゃない!」
と和の背中を叩くと
「別に呆れる事ないじゃん。俺と綾子が仲良くしてるのなんていつも見てるし、ケンカしてる訳じゃ無いんだし…ね?」
と和は笑った。
会場を出てタクシーに乗った飯田の心臓がバクバクと脈打っていた。
「何なんだよ…」
自分の事をジッ見ていた和の顔が頭から離れなかった。
まるで、何もかもを見透かしているうえで勝ち誇っているかのような瞳。
そして何故か1秒でも早くその場から立ち去りたいと思ってしまった自分。
せっかく憧れのIkokaに会えるかもしれないチャンスを無駄にしてまで、何故自分は逃げるかのようにその場を去ったのだろう…。
そして、とても早く強く脈打つ心臓…。
まるでホラー映画を見ているかのような恐怖感にも似た心臓の動きに飯田は苦しくなった。
自宅に戻っても何故かモヤモヤした気持ちの飯田は
「Ikokaのライブだったって言うのに何なんだよ…」
と自分に苛立っていた。
Ikokaのライブは最高だったし、由岐にも会って綾子の息子とも会って、ライブでは綾子と和がIkokaとセッションしてて…それがすごく格好良くて。
なのに頭の中を占領しているのは和と綾子が抱き合ってキスしてる姿。
夫婦なんだし子どもだっているんだから抱き合うのもキスもセックスだってするの当たり前の事だろ…。
けど、和と綾子の吐息が聞こえてきそうなあんなにもエロチックなキスと和の視線…。
何を見透かされているって言うんだ?
何に負けたと言うんだ?
和が勝手に勘違いしてるだけで、自分は綾子の事を女として見てる訳じゃ…ない?
「…」
綾子が和の物だって事はもともと理解していたけど、あんな風に抱き合ってキスしてる姿を見てショックだったんだ…。
綾子を性的な対象として見てなかったから…見ることが悪い事をしているように感じてたから…。
「違う…」
抱き締めたい…キスしたい…セックスしたい…そんな事は一切考えてなかったけど、綾子が今何をしているのかいつも気になって…仕事で疲れてないか?ご飯はちゃんと食べてるか?忙しくてもキチンと睡眠とれてるか?とかいつも綾子の事が気掛かりで、lineを送るにも緊張して何を書いて良いのか迷いに迷って結局挨拶ぐらいしか出来ないのに返事が来るのがバカみたいに待ち遠しくて…返事が来るとその日の嫌な出来事なんて全部ぶっ飛んでしまうくらい浮かれて…。
まるで子供のように綾子に恋をして、綾子は男の中でも対等に仕事をしているから勝手に男と一緒にいても結婚してても抱き合ったりキスしたりなんてしないと思いこんでいたんだ。
…その上、自分でも気付いていなかった恋心を和に見透かされたうえに、綾子は自分の物だから無理だぞと言わんばかりの瞳で見られたからその場を1秒でも早く去りたい気持ちになったんだ。
「別に俺はナゴミさんから綾子を奪おうとか綾子さんとどうにかなりたいとか…そんな気持ちは全然無かったのに」
飯田は呟いた。
あんな場面を見て綾子も女だって事を知った今、もう今までみたいに純粋で無邪気な気持ちで綾子に恋は出来ない。
綾子のキレイな髪を撫でたい抱き締めたいキスしたい。
一晩中抱き合って次の日に目が覚めた時には綾子が隣に寝ていて欲しいと言う思いと同時に、綾子の心も身体も全てを独占している和がとても羨ましく、とても憎らしく思えた。
「だから好きだなんて気付きたく無かったよ。初めから勝ち目無いの分かってるんだから…」
と飯田は肩をガクッと落として目を閉じた。
その日、そのまま眠ってしまった飯田はスマホの着信音で目が覚めた。
「…もしもし?」
と飯田がスマホを取ると
『もしもし、直樹?寝てた?』
と由岐の声が聞こえたので飯田は驚いて目をパチッと開いた。
「えっ!あっ…今バッチリ目が覚めました!」
と飯田が言うと
『ごめんごめん。今日オフって聞いてたからさ。この時間なら起きてるかな?って思ったんだけど、本当ごめん』
と由岐は言った。
「時間…もう14時まわってますもんね。逆に起こしてもらって良かったです。このままだと一日中寝て終わるところでした。で、今日はどうしたんですか?」
と飯田が時計を見ながら言うと
『昨日、先に帰ったろ?実はさ、渡したい物があってさ。夕方メシ行かない?』
と由岐は言った。
 




