長い夜 2
Speranzaのメンバーは楽屋に戻ると誰一人として口を開かずそれぞれに椅子に座っていた。
伊藤と中西は綾子の髪をほどきながら何か話しかけた方がいいのかと考えていたが、何をどう話していいのかわからず黙々と髪をほどいていた。
「…綾子?」
伊藤が声をかけると綾子は我に返ったようにハッとした顔をした。
「髪終わったよ」
と伊藤が声をかけると綾子は
「…あ。…ありがとうございます」
と言って立ち上がり
「シャワー行ってくるね」
とメンバーに言った。
「うん。…俺たちも行かなきゃな」
と隼人が言うと渉と誠も立ち上がった。
4人が楽屋を出るとざわついていた通路が一瞬で静まりかえった。
まるで腫れ物でも見てるかのようなスタッフの姿にメンバーは息苦しさを感じていると舞台監督の佐々木が
「大丈夫?」
と声をかけてきた。
「佐々木さん…」
と隼人が言うと
「救急車…大変だったな」
と佐々木は言った。
メンバーは篠田を乗せた救急車が出るときに、スタッフがファンの子が邪魔にならないように押さえていたのを思いだし
「…スタッフの皆さんが救急車入れるようにしてくれたんですよね。本当にありがとうございました」
と隼人が頭を下げると他の3人も頭を下げた。
「いや、別に礼を言われるようなことはしてないよ」
と佐々木が言うと
「でも、スタッフの皆さんがいなかったら救急車来るのがもっと遅くなったから…」
と誠は言った。
佐々木は俯いて身体を小刻みに震わせてる綾子を見てから
「とりあえず、無事を信じよう」
と言って綾子の肩をポンと叩いた。
シャワーを浴びて楽屋に戻った綾子はスマホを手に取り奏に連絡をした。
『もしもし?』
奏が電話に出た。
「もしもし?ママだけど奏?」
『うん。そうだけど…。ライブ終わったの?』
「うん。終わったよ」
『そっか、お疲れ様。もう帰ってくるの?』
「…ごめん」
と言った綾子の手は震えていた。
必死に涙を堪えて、奏に様子がおかしいと思われないようにして
「ごめんね、今日は帰れないかもしれない。横浜に泊まると思うから。戸締まりキチンとしてね」
と言った。
『大丈夫だって。父さんもいるし心配しなくていいよ』
と奏が言うと
「そうだよね。…パパにもよろしく言っておいてね」
と綾子が震える声で言うと
『…母さん?』
と奏が聞いた。
『母さん、何かあったの?大丈夫?』
と奏が聞くと
「何もないよ。ちょっと疲れただけだよ」
と綾子は無理に笑顔を作って言った。
「明日、友達と来るんでしょ?…ごめんね、明日は楽屋には呼べないと思う」
と綾子が言うと
『別に謝らなくてもいいよ。もともと行く予定無かったし』
と奏は言った。
「そっか…。ごめんね」
と綾子は言ったあと
「じゃ、パパにも戸締まりよろしくって言っておいてね。…おやすみ」
と言って電話を切ったあと、綾子は時計を見て
「山下さん、篠田さんのところに行きたいんだけど」
と言った。
「ごめん、ファンの子が出入口の前にたくさんいるから今は無理だよ」
と山下が言うと
「…そっか。…相川さんから連絡は来た?」
と綾子は聞いた。
「○×大病院に運ばれたって連絡は来たよ」
と山下が言うと
「あとは?篠田さんの様子は言ってなかった?」
と綾子は聞いたけど
「ごめん。あとは、聞いてないよ」
と山下は言った。
それから1時間が過ぎて夜の11時30分を過ぎた頃、楽屋に社長が入ってきた。
「社長、お疲れ様です」
とメンバーの個人マネージャーたちが挨拶をすると
「お疲れ。…大変だったな」
と社長は言った。
「社長、篠田さんはどうなんですか?」
と隼人が聞くと
「…相川と結城と篠田の家族が病院に行ってるけど…連絡が来ないから何とも言えない」
と社長は言ったあと
「今日は家に帰っても篠田が心配で眠れないだろ?近くのホテルとったからお前ら4人で泊まれ」
と言った。
「ホテル?」
と隼人が言うと
「篠田にもしも何かあったとき、4人一緒の方がすぐに病院に行けるだろ?」
と社長は言った。
「社長、ありがとうございます」
と隼人が頭を下げてると
「あの…。病院には行けないんですか?」
と渉は聞いた。
「…病院は…もう遅いから」
と社長は困った顔をしたが
「少しでもいいんで篠田さんの様子を見たいんです」
と渉が言うと他のメンバーも
「篠田さんの様子を自分たちで確認しないと安心できません。お願いします」
と頭を下げた。
社長は困った顔をして一度ため息をついてから
「出入口に車を用意しろ。今からメンバー出す」
と山下たちに言った。
綾子たちは楽屋を出ると、出入口に向かって歩いた。
途中で会った佐々木に
「篠田さんのところに行くの?」
と聞かれた。
「はい」
と綾子が言うと
「みんな待ってるから、早く帰ってこいって伝えてもらえるか?」
と佐々木が言うと、まわりにいたスタッフも
「頑張れって伝えてください」
「一緒に飲みに行こうって伝えてください」
などと次々と伝言を頼まれた。
「わかったよ。ちゃんと伝えるから」
と渉が言うと
「ほら、行くぞ」
と社長は言った。
社長の後ろをついて通路を進み出入口の扉を開けると、メンバーを待ってる車のまわりにはまだ残っていたファンの子とファンが近づくのを止めている警備員がいた。
「あっ!出てきたよ!」
とファンの一人が言うとまわりにいた子たちは一斉に車の方へ向かってきたので警備員は必死になってファンの子を押さえていた。
「渉ー!」
「隼人!こっち見て!」
「誠!誠!」
「キャーッ!綾子!」
ファンの子たちは黄色い声でメンバーに呼び掛けたので、メンバーはファンの子たちに笑顔で軽く手を振り用意された車に乗り込んだ。
走り出した車の中で誠が
「こんな時でも笑顔で手を振らなきゃならないなんて、嫌な職業だよな」
と言うと
「俺たちは音楽が仕事だけど、夢を売ることも仕事だって篠田さんがよく言ってるだろ?笑顔で手を振るのも仕事だ、我慢しろ」
と隼人が言うと
「わかってるよ!わかってるけど…」
と誠にしては珍しくとてもイライラした様子で言ったので綾子は誠の頭を優しく撫でて
「誠、さっき取り乱した私が言うのもあれだけど、私たちの仕事はこうゆう仕事なんだよ」
と言った。
「だけどさ…」
と誠が震えながら言うと
「みんな同じだよ。みんな、好きで笑って手を振った訳じゃないよ。けど、ここでイライラしても何も変わらないよ。今は篠田さんの無事を祈ろう」
と誠の頭を自分の肩に乗せて綾子は言った。
綾子と誠の姿を後ろの席から見ていた隼人と渉は初めて聞く誠のすすり泣く声に涙を浮かべたが、それぞれ誰にも知られないように窓の外を見つめていた。
外の風景を眺めながら、渉は前にもこうゆう気持ちで病院に向かっていたことがあったなと思い出していた。
あれは…奏がまだお腹にいた時。
和と別れて仕事で無理して心労と疲労で奏を流産しかけた時だった。
綾子が苦しそうにお腹を押さえているのを見て、もしかして綾子が死んでしまうのでは?という恐怖でいっぱいだった。
病院で綾子も奏も危なかったと聞いたとき、何も気付いてあげれなかったことを隼人と篠田と悔やんだ。
綾子とお腹の子を自分たちの子どもと同じように育てていこう、綾子を支えて生きていこうとみんなで話をした。
あの時、篠田は自分たちと一緒に事務所を辞めてもいいと言っていた。
篠田にとってSperanzaのメンバー以上に大切なものは無いから、自分の子供としてお腹の子を認知してもいいと言った。
結局、綾子は和と結婚したけど篠田は今まで結婚しなかった。
Speranzaと同じぐらい…Speranza以上に大切にできる人に巡り会えないといつも言っていて、しまいには俺はSperanzaと結婚したんだと言うのが篠田の口癖だった。
「篠田さん…」
渉はとても小さな声で名前を呟いた。
病院の救急出入口の近くに車が着くと、Speranzaのメンバーは急いで車を降りた。
早く篠田のもとに行きたい、篠田の無事を確認して安心したい。
焦る気持ちとは裏腹に身体は震えていた。
篠田は大丈夫。
驚かせて悪かったと笑ってくれる。
明日のライブも期待してると言ってくれる。
…でも、もしもの事があったら。
メンバーは重く心にのし掛かる不安を消そうと必死だった。
大丈夫、大丈夫。
不安になることなんて何も無い。
何かあったら相川が連絡くれるって言ってたけど、連絡は来なかった。
便りがないのが良い便り。
メンバーが薄暗い救急出入口の玄関先まで来たとき、玄関の外に結城の姿が見えた。
「結城さん!」
と綾子が声をかけると結城は手に持っていたスマホをポケットにしまって
「綾子…お前たちも」
とメンバーが来たことに驚いた顔をした。
「結城さん、篠田さんの様子は?大丈夫なんですよね?」
と綾子が慌てて聞くと結城は困った顔をして
「とりあえず、会いに行こう。あいつもお前たちがきてくれたと知ったら喜ぶよ」
と言った。




